僕の物語

 夕日の中、こちらを振り向く先輩は静かな笑みを浮かべていた。


 何も感じていないような、全てを諦めてしまったほほ笑み。


 まるで、先輩の感情が、夕日の赤が、先輩の血のように見えて、血の中に感情が溶けて、流れ出してしまったかのように見えた。


「ねえ」


 先輩の、絹糸のようにすべすべとした、長い黒髪がさらりと揺れる。


 その黒髪が夜のようで、綺麗だと思ってしまった。


「愛ってさ、毒みたいだよね。自分を殺して、殺して、殺して、壊す」


 急に、思っていた言葉と違うものを突きつけられたため、頭が真っ白になる。


 いや、なんで、急に、そんなことを?


「え?急にどうしたんですか、先輩」


 愛の定義。


 愛とは何か。


 僕にとって、愛とは何なのか。


「だって、そうじゃん?生きる上で、愛は必要。でも、必要以上に求めたり、与えられたりしたら自分が壊れてしまう」

「そう、でしょうか?」

「うん、そうだよ。愛に溺れたら1人で立てなくなっちゃうでしょ?でも、愛がなければ常に孤独を感じちゃう」


 先輩の考えて、思った愛は僕が想像していたものとは違った。


 僕にとって、愛とは、2人で育むものだ。


 大切に慈しみ、毎日水をあげて、花が咲くのを2人で待つものだ。


 先輩が言うような、そんな気持ちを持ったことはない。


「だからさ、愛って毒だと思う。甘くて甘くて、人を魅惑して、魅力的なほど甘くて苦しい、苦い毒。甘いと感じる間は薬で、苦いと思ったら毒になる」


 先輩は、愛のことを毒と言う。


 彼女は、今までどんな愛を受け取ってきたのだろう。


「ねえ、ボクと約束してほしい。どうか、ボクにその毒を向けないで。ボクはたった、たった一滴でもその毒を受け入れたら壊れちゃうから」


 先輩は、静かな声で僕に告げた。


 僕は、一言も返すことができなかった。


 先輩の笑みは、静かで、固まっていた。


 目は、何も、どんな感情も映してなかった。


「約束、だからね?」


 勝手に約束して、勝手に了承される。


 先輩にとって、約束とは何なんだろう。


「さあ、帰ろっか。書類仕事が待ってるし」


 くるりと、元の方向に向き直る。


 僕からは先輩の背中しか見えない。


 夕日は、沈んでいた。


 ……欲しい。


 僕の中で欲が鎌首をもたげる。


 見つけてしまった。


 欲しいものを、僕は、獲物を、今、見つけた。


 1人で立てないなら、凭れればいい。


 孤独なら、甘い毒で満たしてあげる。


「約束、しますよ」


 あなたとは違う約束を。


「待っててくださいね、先輩」


 これは、僕が先輩を堕とすまでの物語。

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これは、ボクの、僕の、物語 紅花 @Koka-Beni

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