第22話 メッセージ
翌日から早速、姉弟の新しい「仕事」が始まった。
朝のうちに水汲みと野草採集をすませ、昼からはゾルマに与えられた本と帳面を開く。レーダは『世界の国々』という本に釘づけだ。かつて家庭教師に教わった内容よりも、海の向こうの国々のことがより詳しく書かれている。
アレックスは、絵がたくさん書いてある『花の図鑑』を選んだ。しかし、花の絵に添えられた短い文章を読むのに悪戦苦闘している。しばらく勉強をしていなかったせいで、帳面に植物の名前を書き写すのも一苦労だ。
「うう、勉強は苦手だよ……」
ソファーに身を投げ出したアレックスに、ジークがとことこ寄ってきた。彼は掃除の最中なので、その手にほうきを携えている。
「どれ、見せてごらん。なになに……『獅子の歯』は多年生の植物で、主に黄色、ときに白い花を咲かせる野草である。『灰枯』が来ると綿毛によって種子を風に乗せて飛ばす……」
「すごい! ジークは本も読めるの?」
「ハッハッハ、魔女のしもべとして当然のたしなみだよ。読めない文や知らない言葉があったら遠慮なく私に聞きたまえ」
言いながらジークは鼻歌交じりに掃除に戻る。
家事百般をこなし、家庭教師までできるインテリ根っこ、ジークムント。
「頼もしすぎる……」
そのぼってりした背中を見つめて、アレックスは思わずつぶやいた。
***
ハインリヒ・フォン・シプナーは、昼間にひとりで城の中庭に出た。
咲き誇る花々がいくら素晴らしくても、もう見飽きてしまった。侍従長の職を失い、子どもたちにも会えない日々はハインリヒを鬱々とさせた。クララが気丈に振る舞ってくれるのが救いだが、今日は月のもののために部屋で休んでいる。
ヴァルターからは、彼の政権において要職に就かないかと打診されている。だがそんなことはいまのハインリヒには到底不可能だった。ヴァルターはフランとその王子たちを処刑し、そのうえ我が子として大切に育てたアレックスまで手にかけようとしたのだ。たとえヴァルターが民衆からは支持されていようとも、ハインリヒには許すことができない。
ハインリヒは立ち止まって、深いため息をついた。
丁寧に世話された花々よりもハインリヒの目を引いたのは、足下の石畳の隙間から顔を覗かせている雑草たちだった。中でも獅子の歯は、彼にとって印象深い花だった。「灰枯」の季節になると、幼いレーダがよく息を吹きかけて綿毛を飛ばしていたものだ。アレックスのほうは「なんだかかわいそう」と言って、綿球が欠けるのを嫌がっていた。
「そんな花が気になりますか?」
そのありふれた花を屈んで眺めていると、背後から声がした。脚立と大きな剪定鋏を脇に抱えた男だ。どうやら庭師らしい。
「いや、私の子どもたちが好きだったのを思い出して。気に触ったなら申し訳ない」
丹精した花々を無視して雑草を眺められては、庭師としてはいい気分はしないだろう。だが彼が気に留める様子はなかった。
「いえいえ。よほどお子様のことを深く愛していらっしゃるという証拠ですよ、フォン・シプナー卿」
突然名前を呼ばれて、ハインリヒは警戒した。
もちろん侍従長であったから、城に出入りする庭師に顔と名前を知られている可能性はある。しかし、だとしたらこうも気安く話しかけては来ないのではないか。
「お子様がたに、会いたいですよね?」
「失礼だが、あなたは……」
庭師は名乗る代わりに、右手をくるくると回した。
花の匂いが強くなった――いや、違う。この匂いを嗅いではいけない。
「何者だ!」
遠くでハインリヒを監視していた騎士団員が駆け寄る。が、庭師に剣を突きつける前にへなへなと倒れ込んでしまった。
「きっと会わせてあげますよ。私たちがね」
ハインリヒは鼻を手で覆ったが、無駄だった。襲い来る暴力的な眠気に抗う術もなく、その場にくずおれた。
男は脚立と鋏を投げ捨て、代わりにハインリヒを軽々と抱える。
「おっといけない、忘れてた」
倒れている兵士の首元に、彼は一枚の紙切れを差し入れる。
《彼は預かった》
それはこの国を乗っ取ったばかりの宰相ヴァルターへ対しての、宣戦布告のメッセージであった。
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