第21話 短夜
亡きフランメル王と侍従長ハインリヒ・フォン・シプナー、そして宰相ヴァルター・フォン・グローバーは、王立学校の初等部で出会った。
王立学校は、貴族の子弟の中でも特に優秀な者のための教育機関である。授業は「百花」の季節のみ週に三日、内容は主に政治経済、軍事、法学、史学などである。
もしレーダが男子だったら家庭教師からの推薦を受けていたかもしれない。アレックスは勉強も武術馬術の類もまるっきり苦手なので、お声がかかることはなかった。
初等部は十歳で入学するのが通常だ。ヴァルターは子どものころから聡明だったが、十歳のとき重い熱病にかかり、その療養と長引く後遺症のためにしばらく入学できなかった。幸運なことに病気は全快したが、入学したときには十三歳、同年代の他の子はもう中等部へ進学していた。
(いまさら学校なんて。家で勉強すればいいじゃないか)
内心では反発を抱えながら、それでも厳格な父の命令で渋々従った。王国きっての貴公子たるヴァルターの通学には、馬車の送迎つきである。
授業の難易度は心配していない。問題は、中途半端な時期に現れた三歳年上のヴァルターのことを、ほかの子どもたちがどんな目で見るか、だ。
(どうせ年齢のこととか、病気のこととか、根掘り葉掘り聞かれるんだろう。うんざりだ)
教官がヴァルターを皆に紹介してくれるわけではなかった。ただ今日から、教室の生徒が十五から十六に増えるだけである。ヴァルターは一番後ろの隅に座って、なるべく目立たずにやり過ごそうとしていた。
それなのに。
「お兄さん、誰?」
授業が始まる前、にこにこ笑いながら近寄ってきた赤毛の子どもがいた。
初対面の、しかも年上の相手に対して、態度がなっていない。貴族は貴族なのだろうが、着ている服の意匠が少し古臭い。さして身分の高くない家が、無理をして子どもを通わせているのだと一目で分かる。
「あ、俺はハインリヒだよ。みんなハインツって呼ぶ! よろしくなー」
屈託なく手を差し伸べられては、拒むわけにもいかない。
「ヴァルター……ヴァルター・フォン・グローバーだ。ヴァルターでいいよ」
フォン・グローバーだって、というひそひそ声が聞こえた。
すごいお金持ちだよね。王様と仲が悪い家だよね。そういえば病気の子がいるってお父様が言ってた。
もしヴァルターの気が短ければ、手から光線を撃って年下の同級生を泣かすくらいのことはしたかもしれない。そうせずにすんだのは、もっと気が短いやつが目の前にいたからである。
「うるさいな! ヴァルターと仲良くする気がないやつは黙ってろよ。こいつはもう俺の友達だからな、悪く言うやつは許さないぞ!」
おそらくこの教室の中で一番身分の低い家の子が、ぴしゃりと皆を黙らせた。そのことにヴァルターは驚き、また痛快でもあった。
しかし、教室内には気まずい空気が流れる。そんなとき、
「あー、よかった、間に合いましたー」
場違いにおっとりした声が響いた。長い黒髪を三つ編みにした少年が、あわや遅刻かというぎりぎりの時間に教室に入って来たのである。
「どうせまた髪の毛いじってたんだろ、フランー?」
(……フラン?)
ハインツが三つ編みの少年をからかう。その名に、ヴァルターは覚えがあった。
「そうなんです、三つ編みがなかなかうまくいかなくって……あっ、新しいお友達ですか? 僕、フランメルです。フランと呼んでくださいね」
青い瞳をぱちくりさせて、少年は微笑む。
フランメル第一王子だ。
ヴァルターは軽いめまいを覚えた。いくら自分が上流貴族でも、王族はやはり雲の上の人である。
その、王子様が、僕の友達?
***
三つ年下のハインツとフランのおかげで、ヴァルターは週に三回の登校が楽しみになっていた。
明るくて生真面目で嘘がつけないハインツと、おっとりしているけれど意外と頑固なフラン。年長のヴァルターがまとめ役になることが多かった。
三人でいるときには、お互いに家柄のことは忘れて、ただの少年同士でいられた。
だが。
中等部への進学が目前に控えていたある日、十六歳のヴァルターは授業が終わっても教室でひとりふさぎ込んでいた。
「どうしました、ヴァルター? お迎えの馬車が裏で待っていますよ」
先に帰ったはずなのに、わざわざ引き返してきたのはフランである。このときヴァルターが一番避けたい相手だった。
「今日は一日元気がなかったですね。何か悩みがあるなら、聞かせてくださいませんか」
ヴァルターは顔を背けたが、フランは笑みをたたえたまま隣に座って動かない。
フランが首を傾げると、耳の上に付けたガラス玉の髪飾りがしゃらしゃらと揺れた。相変わらず、凝った髪型をしている。
こうなるとフランは頑固だ。話を聞くまで動かない。
「君のことだよ」
「僕の?」
「今朝がた父に、あまり君と仲良くするなと言われた」
フォン・グローバー家は昔から王家と対立している――もっと正確に言えば、虎視眈々と王権奪取を狙っている家系だ。その子息同士が仲良くするべきではない、というのが父の考えだった。
「それで、君はどう答えたんです」
「『嫌です』とはっきり言ったよ。父はかんかんに怒ってた。だから家に帰りたくない」
フランはあははと笑った。真剣に悩んでいるのに、あんまりな反応ではないか。
「僕も父に言われますよ。『フォン・グローバーの息子に、寝首をかかれんようにな!』って」
声変わり前の十三歳のフランによる国王陛下の物真似は、少しも威厳がなかった。
「ひどいよね。僕たちはただの友達なのに」
「ですねえ」
そう言いつつも、相変わらずフランはにこにこしている。
「でもね、僕たち王家は、フォン・グローバー家が睨みを利かせてくれているから、ちゃんとしなきゃなーって思える面もあるんですよね。家同士が対立しているのは、悪いことばかりではないんですよ、きっと」
ヴァルターは思わず目を見開いた。フランは年齢の割に、考え方が大人びている。
ふと、フランが青い瞳をまっすぐに向けてきた。
「ねえヴァルター、僕はいつか父の後を継いで、国王になります。そのとき僕が全然この国を良くできなかったら、僕たちを殺してくださいね」
普段なら、悪い冗談を言うなとたしなめるところだ。
けれどもこのとき、ヴァルターはフランの目の奥に、何かいつもと違う切実さを感じた。それは本来敵対すべき彼と、親友としての日々を過ごしてきたゆえに見えたことだった。
フランにも何か悩みがあるのだろうか。だとしたら打ち明けてほしかったが、同時に尋ねてはならないとも思えた。それはおそらく、王家の秘密に関わることだ。いましがた自分が訴えたものより、はるかに重いだろう。
ヴァルターは答えを返すために、息を吸った。
***
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。夜は終わった。
ヴァルターは諦めてひとり寝のベッドから起き出し、洗面台に立って顔を洗った。
何度も同じ夢を見る。昔の夢だ。
あのときヴァルターは、「いいよ」と答えた。
フランが王位に就いた頃には、国王はすでに国王派の諸貴族たちの
ヴァルターもフランとともにあがいてみたつもりだが、どうすることもできなかった。結局ヴァルターは、一族の悲願とフランとの約束との両方を果たす選択をした。
――もう少し夜が長ければ、僕は「いやだ」と言えるのだろうか。
ヴァルターは上着に腕を通す。
群青色に、金銀の刺繍。
彼の名はヴァルター・フォン・グローバー。
フランメル王を
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