第3話 謎

 黄銅のケトルから、しゅーっと湯気が噴き上がった。

「いやはや、驚かせてすまなかった。お客さんなんてめったに来ないからね」

 低くてよく響く、紳士的な声。先ほど聞いた悲鳴と同じ声とは、とても思えない。

「私の名前はジークムント、どうか気安く『ジーク』と呼んでくれ」

 レーダとアレックスは、森の中で見つけた家の住民に快く迎え入れられた。

 が、アレックスにはどうにも目の前の現実が飲み込めない。

「さあ、飲みたまえ。この森で採れたハーブのお茶だよ」

 優しくマグカップを差し出してくれるジークの手は、人間のものではなかった。

 どう見ても、「根っこ」である。

 木や草の、土の下に埋まって水分や栄養を吸い上げる働きをするあの根っこが、マグカップの取っ手にしゅるしゅると巻き付いているのである。

「あの……ジーク?」

「ん?」

 ジークの背丈は、ソファに座らされたアレックスとだいたい同じだ。目が合った、ような気がするが、ジークには目がないどころか、鼻も口もないのである。

「あなたは、何という植物なの?」

 歩く草花の根っこ。

 少なくともアレックスの目には、ジークはそのように見える。

 ジークの頭部には細長い葉がもさもさ生えており、その中央で紫の星形の花がふよふよ揺れている。

 よく太った主根が胴体だ。左右に生えた二本の太めの側根は腕のようだし、二股に分かれた末端は足のようだ。実際、彼(便宜上そう呼ぶ)はまるで人間のように二足歩行していた。

「人間かそうでないか、動物か植物かなんて、大した違いではないと思わないか?」

 渋い声で前置きをした後で、まあいい、とジークは言った。

「『マンドラゴラ』、人間は僕たちのことをそう呼ぶね」

「わたくし、本で読んだことがありますわ」

 レーダが口を挟んだ。根っこといえども初対面の相手なので、言葉遣いが丁寧である。

「マンドラゴラの根には不治の病さえたちどころに直してしまう薬効があるけれど、引き抜くときにすさまじい悲鳴を上げるのですって。それを聞いた人は、あまりの恐ろしさに心臓が止まって死んでしまうとも。……それは本当なんですの?」

「私が本気で叫べば、人間を殺すくらい訳ないだろうね」

 ハハハ、とジークが不敵な笑い声を上げた。口もないのに、どこから声が出ているのだろう。

 アレックスは震え上がった。ドアを開けて姉弟と出くわしたとき、びっくりしたジークはすさまじい金切り声で叫んでいた。もっとジークが驚いていたら、いまごろ姉弟はこの世にいなかったかもしれない。

「人語を解する二足歩行の植物の殿方なんて、わたくし初めてお会いしましたわ。……ええっと、殿方、で合ってますこと?」

 それにしても、レーダはなぜこうもすんなりと状況を受け入れられるのだろう。

 アレックスは混乱している。「百花」でも灰色に枯れた森。そこで暮らす二足歩行のマンドラゴラ。まるっきり謎だらけではないか。

「私に人間のような性別はないが、君が言う『殿方』が良い意味合いの言葉なら嬉しいな。よろしく、レーダ」

「よろしくお願いいたしますわ、ジーク!」

 レーダはジークの細っこい腕(側根だが、腕なのだ)と握手した。

「……かわいい」

「えっ」

 姉のため息まじりのつぶやきを、アレックスは聞き逃さなかった。レーダの「かわいい」の基準もまた、不可解な謎である。

「ねえジーク、私たち行くところがなくて困っているんですの。厚かましいお願いなのは承知ですけれど、もしよろしかったら、しばらくここに置いてくださらないかしら?」

 レーダはこの家のことが気に入ったようだ。

 小さな家だが、掃除が行き届いていて片付いている。ここは言うなれば台所兼居間で、姉弟がちょうど寝転がれる大きさのソファがひとつずつあるから寝泊まりするのには困らなそうだ。

「私はもちろん歓迎だが」

 ジークは背後を見やった。赤く塗られた扉がある。奥にもう一部屋あるようだ。

「この家の主人に聞いてみなくてはね。……なあ、ゾルマ?」

 赤い扉がガチャリと開いた。

「『しばらく』なんて言わずに、ずっとここにいるがいいさ」

 しわがれた耳障りな声に、アレックスは総毛立った。

 理由のない恐怖に心臓が早鐘を打つ。早くここから逃げ出したい。――しかし、なぜだか身体がぴくりとも動かなかった。

「私のしもべとして、永久にね」

 黒いローブをまとった老婆が、アレックスの青い目を見つめてニタリと笑った。

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