第3話 追憶

高2の校外学習のとき、私は足を滑らせて川の急流に落ちた。その時、真っ先に飛び込んで助けてくれたのが嵯峨くんだった。あの時嵯峨くんがいなければ、私は今ここにいなかったかもしれない。


嵯峨くんにすれば、誰かが溺れてたら助けるのが当然だったのだろう。嵯峨くんは誰にでも親切で優しくて、困ってる人を見たら助けずにはいられない。嵯峨くんはそういう人だった。10年たった今も変わっていなかった。



嵯峨くんは気づいていないだろうな。



あの時、私を抱きしめてくれた嵯峨くんの胸の温もりを、大切な思い出として今も覚えていることを。今もたまに思い出すと、切なくて胸が苦しくなってしまうことを。



夫が缶ビールとつまみの入ったコンビニ袋をぶらさげて帰ってきた。


「遅くなってすまん。コンビニで知り合いに会って、ちょっと話してた」


ほほに残る私の涙と、かおりの洋服が変わっているのを見て夫がたずねた。


「何かあったのか?」

「何かあったのか、じゃないわよ。大変だったんだから」


私は事故の顛末を話した。


「ほんとにもう。大事な時にいないんだから」

「そんなこと言ったって。仕方ないじゃないか。悪かったよ」


そりゃそうだけど。でも夫の心配そうな顔を見ていると安心した。今の私が愛しているのは、やっぱりこの人なんだ。そう思った。今の私は、河野マキじゃなくて、北原マキなんだから。


いろいろあって疲れたのか、かおりはぐっすり眠っていた。左手にはしおれた菜の花を握っていた。


「頑固な子ね」


私は笑った。


「誰に似たんだ?」


夫も笑った。


「あなたでしょ?」

「いや、頑固はマキのほうだろ?」


2人で顔を見合わせて笑った。




かおりを助けてくれたのは通りすがりの人。名前も言わずに立ち去ってしまった。夫にはそう言っておいた。同級生の嵯峨くんだったことは話さなかった。




いつか夫にもちゃんと話さないといけないな。


でも今は・・・。






(おわり)


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満開の桜の下で(全3回) 黒っぽい猫 @udontao123

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