第2話 再会

「無事で良かった」


池から上がってきた男性が、娘と私に笑顔で言った。


「ほんとうに。無事でなによりだ」


初老の男性も安心した笑顔で言った。


人だかりはホッとしたようなざわめきを残してまた散り散りにわかれていった。初老の男性も妻らしき女性と共に笑顔で去っていった。私は深々と頭を下げた。


池に飛び込んで娘を助けてくれた男性は、胸から下がずぶ濡れだった。私は持参していたタオルを2枚差し出したが、「まず娘さんを拭いてあげてください」と言って受け取らなかった。


男性は「念のため、病院に行ったほうがいい」と言ってくれたが、さいわい娘は水を飲んだ様子もなく元気で、その必要はなかった。池の堤に咲いていた菜の花を掴んでいたせいだろう。


かおりは菜の花を摘みに柵の隙間から出て池に落ちたのだった。私は着替えを持参してきていたので、すぐにかおりを着替えさせた。


男性に何度もお礼を言い、せめてクリーニング代を出させて欲しいと言った。しかし「自分にも子供がいる。困ったときはお互いさま」と笑って固辞した。



ビールだけでなく、つまみも買っているのか、夫は戻ってこなかった。



私は、その男性に見覚えがあることに気づいていたが言い出せずにいた。名前だけでも教えてと言うのを固辞して立ち去っていく男性に私は言った。


「あの、もしかしたら、嵯峨さんですか? 北高の」


男性は驚いた様子で振り返り、私の顔をじっと見て言った。


「あれ? ひょっとして、河野か?」


嵯峨航平は高校の時の同級生だった。


嵯峨は高校1年の時から水泳部のエースだった。深さもわからない池に躊躇なく飛び込んだ理由がわかった。


「そう。3年の時に同じクラスだった河野マキ。覚えてる?」

「もちろん覚えてる。こんなところで再会するなんてな」


なぜかまた涙があふれてきた。なんだろう。この涙は。私は見られないようそっと横を向いて涙を拭いた。


「河野、結婚したんだ。 娘さん、今いくつ?」

「かおりは、娘は、今、3歳と2ヶ月なの」

「ひとりだけ?」

「うん。今はひとりだけ。でもおなかの中にもうひとりいるの」

「そうなのか。そりゃ、うらやましい」


いつの間にか私と嵯峨くんは高校時代に戻っていた。


「嵯峨くんは?」

「ああ、俺も2年前に結婚した。今は息子がひとり。まだ6ヶ月だけど」

「そうなんだ。10年ぶりくらいかな」

「そうだな。俺が27だから。ウチのクラス1度も同窓会やってないもんな」

「なつかしい。みんな元気でいるかな?」


私と嵯峨くんは同時に桜を見上げた。


満開の桜の下。木漏れ日がキラキラと輝いていた。


「しばらく会わないうちに、キレイになったな。河野」

「そう? お化粧してるからだよ。嵯峨くんは変わんないね」

「まあな。俺、童顔だから」


嵯峨くんは照れたように笑った。笑顔も高校生の時と変わっていなかった。


「あ、すまん。嫁が待ってるから行くよ」


私は嵯峨くんがずぶ濡れなのをすっかり忘れていた。


「大変。着替えないと風邪ひいちゃう。今日は本当にありがとう」

「今日はもう帰るよ。今度また。時間があるときに」


嵯峨くんは走っていった。途中で振り返り、右手を上げて笑った。別れたあと、振り返って右手を上げて笑う。高校時代と同じだった。


遠く池の反対側にベビーカーを押したショートヘアの女性がいた。嵯峨くんに向かって笑って手を振っている。あの人がきっと嵯峨くんの奥さんなのだろう。



私の目からまた涙があふれた。嵯峨くんに助けてもらったのはこれが2度目だった。




つづく。


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