第6話
花の遺体をすぐにでも掘り起こして、窮屈な土の中から救い出してやりたかったが、俺と珠だけじゃこれ以上はどうしようもなくて。すまねえと思いながらも、人を呼ぶために一度その場をあとにするしかなかった。
「花、もうちょっと待ってておくれ」
花に一言、謝って背を向け歩いたんだが、一歩、一歩と進むたび、花との思い出が頭を巡って、鼻の奥がつーんとなって。
「ちくしょう、泣いてる場合じゃねえんだ。俺にはまだ、探さなきゃいけねえやつがいるんだ」
「泣きたいときは、泣くべきだよ」
珠のやつ、今の今まで喋らなかったのに。とんでもねえ時に喋りやがってさ。俺は危うく、涙に暮れて立ち止まるところだった。
しかしよ、それより先に、絶対に確認しなきゃいけねえことがあったんだよ。
「…やっぱり、泣いてちゃいけねえよ。陽吉を探さなきゃ。珠、陽吉について何か知ってねえか。まさか」
まさか花と一緒に埋まっているのか──そう言いかけて、思わず口をつぐむ。
家は埋もれ、花も死んだ。あの惨事を見りゃ、誰も陽吉が生きてるとは思うまい。けどよ、父親の俺が簡単に諦めちまってどうする。その姿をこの目で見るまで、俺は陽吉を探し続ける覚悟をした。
「大丈夫だ、弥吉。陽吉は無事だよ」
が、俺の心配事はまたしても珠の一言で簡単に片付いちまってよ。一体何度、珠に助けられてるんだかな。
「本当かい?一体どこにいるんだい?」
そう問いかけると、珠はぴたっと止まった。そしてゆっくりと俺の方へ振り向いて。
「…弥吉。今から、お前が来るまでにワタシが見たこと、したことを話すね」
珠の身体には泥が所々についていて何箇所かは陽の光で乾き、土へと戻っていた。有り体で言ってしまえば薄汚れた身体だったんだけれど、それでも語り出した珠の姿は、いつの日か俺と見合いした時に自分の罪を苦しみながら吐き出した、花の寂しい美しさを彷彿とさせたのさ。
「花が死んだのは、ワタシのせいなんだよ」
似てるなぁ。花も、珠も。切り出した言葉に血の繋がりをも霞んでしまう義姉妹の絆を感じたよ。そして、いつも二人から聞くことしかできない俺の不甲斐なさも。
こうなったら、聞くことが俺の使命なのだろう。俺は珠の懺悔を全て受け止めてやるんだと腹を括った。
「ワタシは二人と別れてから、裏山の奥の方で住んでいた。と言っても一匹だけってわけじゃなくて。そこにはワタシと同じ、狐達がいてさ。化け狐はワタシだけだったけれど、あいつらは奇異の眼差しなんか向けずに気さくに話しかけてくれたから、特別辛い思いもしなかった。
でも、時折ふたりはいまなにをしているのかなぁって気になってしまってね。身を引くと決めたのに、村近くに降りる仲間達へ『よければ弥吉と花の様子を見てきとくれ』なんて
けれども、ワタシの心は弱いから。決意して姿を消したのに、二人のことを知りたいと仲間を使ってしまうワタシだ。山を降りてしまったら、きっと二人の優しさに甘えて、また迷惑かけちまう。だからいくら行きたいと思っても、ぐっと堪え耐えた。二人が今なにをしてるか、そのことが耳に入るだけで、ワタシはとても幸せだった。
それで、昨日。山で仲間たちと過ごしていたら、とんでもない雨が降ってきた。なのでいつもとおんなじように、木や巣穴の中に入って雨宿りしてたんだけれども、不意に遠くの方で、雨とは違うパラパラと、何かが落ちてくような音がした。
『今の音は何だろう』
『雨かな?』
『ううん、雨じゃない』
最初は皆、首を傾げて一体何の音かと、正体を当てるのに夢中になった。けど少ししたら、今度はどざーって音と、バキバキと木が折れる音がして。
『あれ、違う音がしたよ』
『なんだろう』
『木があんなに鳴るなんて』
今までに無かった音に皆が不気味さを覚えはじめた。
そして。
『…ぃ…ぉーい…おーい!』
誰かが呼ぶ声がする。穴から顔を出してみるとそれは顔見知りの猪だったのさ。
『どうしたんだい?』
『狐たち、早く山を降りるんだ!山のあちこちが崩れてきてる!俺の仲間も何匹か巻き込まれた。この山はもうだめだ!』
『ええっ!なんだって!』
『それは大変だ!』
『逃げなきゃ』
『逃げなきゃ』
『逃げなきゃ!』
それを聞いた仲間達は我先にと、急いで山を降りはじめた。もちろん村には人がいるから降りれないと、そっちとは反対方向にね。ワタシも周りの流れに従って逃げようとした。だけどいざ山を捨てるとなったら、ワタシはどうしても、どうしてもどうしても。最後に二人に逢いたくなってしまって。せめて、別れの一言だけでも、と。
それで、皆が山を降っていく中、ワタシは獣の波に逆らい村の方向へと走ったんだ。
『どこへいくんだい、そっちへ行くと群れからはぐれてしまうよ。皆、もうここの山には戻ってこないだろうから、はぐれてしまったら二度と会えないかもしれないんだよ』
とその様子を見ていた猪が心配してくれたけれど、
『ごめんなさい。二度と仲間に会えなくなろうとも、どうしても逢いたい友がいるんです』
って、バカなワタシは制止を振り切って村へと向かった。背中に『気をつけるんだよ』という声かけを貰ってね。
そうして村へと降りる道中、普段動くはずもない小石が、パラパラと落ちる音があちこちで聞こえた。多くを知らないワタシにも分かった、これはまずいことが起こっているのだと。しかも小石の流れる先は、弥吉達の家へ向かっている。
どうにもならないくらい、イヤな予感がした。ワタシはそれが気のせいであってくれと、考えを振り切るように必死になって走ってさ。やっとこさ山を降り、あの家へと辿り着いた。
『花、弥吉、いるかい!』
もはや一刻の猶予も無かった。下にくると余計に分かる。さっきよりさらに多くの土や砂や小石が、裏山の崖から流れて落下してきている。これじゃ今にも、土が雪崩れてくる!
『あれ、どちら様ですか』
『ワタシだよ、珠だよ!花、ここは危ないんだ!急いで出てきておくれ!』
『珠!?本当に珠かい!?』
『あぁ、珠だよ!頼む花、逃げておくれ!それと弥吉は、子は!?』
『弥吉は山向こうの村に行っているよ、陽吉は…陽吉!ほれ、寝てないで起きておくれ!家から出るんだよ!』
『さあ、こっちへ──』
人に化け、戸を開けたのと同時だったよ。土砂が波のように流れてきて、あの家の後ろ半分が潰れたのは。その衝撃は凄くて、ワタシも思い切り倒れてしまってね。
『痛っ…』
何とか起き上がって花の方を見ると、足が、潰れた家の壁に挟まれてて。
『は…花!』
『うっ…私は大丈夫…それよりこの子を!』
今、考えるとさ。大丈夫なわけないんだよ。花はとんでもない激痛に耐えてたはずで。けどアイツは強いからさ、強いから、自分のことを後回しにしてさ。
腹に庇った、陽吉をワタシに押し付けてきて。
『この子を早く外に!』
『花!花は!』
『いいから!早く!』
『おっかあ!おっかあ!なあ、あんた!おっかあを助けてくれよ!』
残された時間は、少なかった。
『…!』
キツネは、耳がいい。まだ土の動く音がする。もう一回、さらに大きな土砂が来る。
『…すまねえ、花』
『なに言ってんだよ、あんた!おっかあを置いてくな!』
『いいんだよ、珠。…そうだ。出来れば弥吉さんも助けてあげて』
『おっかあ!おっかあ!!』
花は最後に、微笑んで。ワタシが走ってそこから出ると、土砂は全てを飲み込んだ。
振り向きはしなかった。いや、振り向けはしなかった。とにかく山から離れて、村の中央へ陽吉を連れてった。
『離せよ!離せ!おっかあを助けるんだ!おっかあを見殺しにするな!人殺し!人殺し!!!』
陽吉はひどく暴れてさ。その言葉に、ワタシは返すこともできやしなかった。やがて村の中央に着く頃には、陽吉の声はしなくって。代わりに泣き声だけがあって。
…でさ、中央には庄屋さんがあるだろ。あそこに人が集まっててさ。そこに陽吉を連れて、この子を頼みますってね。
そうすると、ワタシを覚えてくれてた人もいて。
『アンタもここにいなよ』
って言ってくれたけど。ワタシは、そこにいる資格はないからさ。まだやることがあるって断って、それで弥吉を探してたんだ
でも、これでやることはぜんぶ終わった。
じゃあね、弥吉」
…全て話し終えると、珠はスッキリした顔をして、役目は終えたと、居なくなろうとした。けどな。
去ろうとする珠を、泥まみれの狐の珠を、俺はギュッと抱きしめた。──やっと逢えたのによ、行かせられるわけねえよなあ。
「珠。お願いだ。もう、どこにも行かないでくれ」
「どうしてだい。…ワタシは花を」
「殺したなんて、言うな」
俺は、泣き虫だった。泣いても泣いても、まだ涙が出てきてしまうんだから。
「お前は花に言われたんだろう。弥吉を助けてくれと。なら、助けてくれよ」
「もう、助けたじゃないか」
何粒も、何粒も、涙は溢れて。
「いいや。未だ、苦しい。この苦しみから助けてくれ。これ以上、親友が、愛する人が、俺の前から消えるのは嫌なんだ。お願いだよ珠…お願いだ」
それは我儘以外の何物でもなく。珠を困らせるだけの願いだったろう。でも何と言われようとも、俺は珠を、二度と離す気はなかった。
「離しておくれよ、弥吉」
「いやだ」
「弥吉。だって、ワタシは。」
「いやだ!」
「…ワタシは。…ワタシだって。わたし、だって。一緒に居たいけど。でも」
「俺が許す。俺が許すから。一緒に居てくれ、頼む。頼む…」
「だめ、ダメだよ、弥吉。わ、わたし、また、優しさに、甘えてしまう」
「甘えていいんだ。お前は、お前は頑張ったんだ。だから、帰ってきておくれ」
「うう、ううう」
「泣きたいときは、泣くべきなんだろう、珠。」
「や、弥吉の、バカ、お前も、泣いてるじゃないか」
「へ、へへへ、そうだなあ…」
こうしてよ、一人と一匹になっちまった俺たちは泣きに泣いた。もう泣いて泣いて、これ以上涙なんか出ねえやってくらい泣いて。それでもまだ泣いて。ついに泣き疲れて。どっちも腫れぼったい目になってな。
「…なあ、珠。お前はあったかいなあ」
「そうかい、弥吉」
「そうさ」
「そうかい」
そんな話を、泣き終わった後にしたっけな。
──あとはお前の知っている通りだ陽吉。俺と珠は庄屋に行き、人手を募ってようやく花を土から出してやって。それから葬式を合同であげてな。本当は亡くなった奴ら一人一人、別々に葬式をやってあげたかったが、人数が人数だったのもあって、合同になっちまってな。
それでも墓の方は個別に建ててもらってよ。…そうだ、村の墓地の場所は変わってねえから、あとでお前も手を合わせてけ。墓標はどこか覚えてるか?銀杏の木の隣だ。そこに花は眠ってるからよ。
そして葬式関連が一通り終わってから、というか同時進行で村の復興もやってな。どうしようもねえ部分もあったが、男衆は農道具やらなんやらを使って、できる限り土をどかし、女衆は家が無くなっちまった奴らへ炊き出しをしてくれた。
ひと月、ふた月、み月経っても終わりは見えなかったが、だいぶ村も片付いてきてよ。失った分の家を建てようかって話が出て。
しかしもろに土被った所にゃ絶対に家建てちゃいけねえぞってみんな肝に銘じて、忘れはさせねえと石碑も彫った。
そうして新しく家が建って、俺と珠は一緒の家に入ろうかとなった。それにはお前にも説明をしなきゃと思っていたけれど、その矢先にお前が家出しちまったのさ。
「どうしよう、ワタシのせいだ」と珠は
そうそう、珠と再婚したと村の奴らに聞いたと思うが、それは最近のことでな。俺が死んでも、珠と俺と花が家族だったって証を、どうにかしてこの世に形として残したかったんだ。…そのうちあの世に行った時、「妻の座は私のものです!」って花にどやされる気もするけどよ。
珠との婚礼は狐の嫁入りだってのに雨が一滴も降らねえ、実に晴れやかな式だったよ。ま、珠はボロボロ泣いてたがな。「あれま、こんな晴れの日に涙の雨かい」って俺が聞くと、アイツは「ワタシは狐だからいいんだ」って強がってたな。
…なぁ陽吉。お前が珠を許せねえ気持ちはよく分かる。でも、珠の想いも分かってくれねえか。あん時にお前を連れ出した珠の辛さを、お前を送り出した花の強さを。
なあに、すぐにとは言わねえさ。ゆっくりでいいんだ。花も、珠も、そして俺も、ゆっくり待って生きてきたんだ。だからお前もお前なりの速さで進んでくれりゃいいよ。
──はぁ、やっと全部を話せた。あぁくたびれた。すまねえが俺はちと眠る。お前は…そうだよな、墓参りか。おや、吹雪も止んで丁度いいな。戸はきちんと閉めてけよ、寒いからな。
ん?そういえば、珠はどこにいるんだって?珠はな、お前の足音を聞いて「ワタシは合わせる顔がない」って外に出ちまったよ。きっとその辺にいるさ。もし帰りにあったなら、どうか話してやってくれよ。おう、じゃあな…ゴホッゴホッ…。
家から出た陽吉の目には雪化粧をした村の風景が飛び込んだ。歩み出すとぎしぎしと、新雪の鳴く音がする。
「こんな雪の中外にいちゃ珠も…俺のもう一人の母も寒いだろうに」
小声でボソリと言ったその言葉に、
「ありがとう、陽吉」
と、誰かが返した気がして。はたしてどこからかと見渡すと、昔より遠くなってしまった裏山の麓が、薄ぼんやりと光っていた。
それを見てふと、キツネは耳がいいという珠の言葉を思い出し、
「ははあ、なるほどな」
と、陽吉はひどく納得したのであった。
狐の嫁入り 遠藤世作 @yuttari-nottari-mattari
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