第4話 宇宙人

 理解されないということは、死と値する。



四.宇宙人



 目が覚めたとき、まず見知らぬ天井が飛び込んできた。昨夜の出来事をすべて忘れているわけではないが、それでも大村静(おおむらしずか)は飛び起きた。周囲を見渡すと飲み会が開かれていた談話室ではない。懐かしい家具の配置に、ここが個室であることはすぐにわかる。

 無駄に大きなタンスに、六畳ほどの畳、ただ一つ変わっているとしたら、電灯の形だろうか、傘がなくなっている。いや、そんなことはもはやどうでも良いのだ。肌寒くて目覚めた大村は、自分が下着だけで布団の上に転がされているという異様さに恐れを感じた。そして頭痛。完全なる二日酔いなのだが、裸踊りなどとち狂ったのだろうか。

 この部屋の住人はいないのか、朝日の当たらない部屋は静かだ。窓は開け放たれており、はたはたと揺れる原稿用紙が見えた。今時、手書きの原稿、と思うだろうが、秋月融では紙原稿が一般的だった。大村が入部した当初もパソコンを使う者はいたが、次第に手書きへと変わっていった。理由はわからない。

 服を探すが、どこにもない。代わりに脱ぎ捨てられたのか、抜け殻のようなスウェットがあるだけだ。この部屋の主のものだろう。着るか迷って、心許なさに耐えられず、着た。

 少しだけ大きな袖をまくって、昨夜のことを思い出そうとする。秋月祭りのあとに誘われて、談話室で酒盛りをしていた。昔から寮の飲み会には参加していたので、今回も懐いてくれた後輩たちに気をよくして加わったのだ。

 時計を探して、この部屋にはないらしいとわかり、自身のスマホに視線を向ける。すぐ横に転がされていたそれを開くと、写真フォルダがすでに開かれていた。なんの写真を撮ったんだ? と、見てみれば飲み会の写真ばかりだ。機嫌良く映っている自分と、後輩たち。何の問題もない。

 そう思い、次々と写真をスライドさせていくと、肌色の写真が突如現れた。それが最後であり最新の写真のようだ。意味があるのかないのかわからない写真フォルダをとじ、時間を見れば十時すぎを示していた。窓の外の様子から朝で良いだろう。

 はたはた、と原稿用紙が揺れている。思わず気になって近寄る。見てみれば、整然とした文字が書き綴られている。タイトルは秋月融ーしゅうげつゆうー。文字はあきづきゆうだが、読みを変えているらしい。

 最初の一言目は、「誰に捧げるわけでもないが、ここにいるみな、夢中になっている」である。

 大村はその一言で、ある男を思い出す。真辺建生(まなべたてお)だ。彼は第十回ネット新聞大賞の最優秀賞だった。大村も審査員としてこの大賞に参加した。

 授賞式で、純文学界の重鎮とも言える人が彼をこき下ろすという珍事が発生したのだ。満場一致で彼の小説が最優秀だと決まったのに、真辺が大学二年生という若さであることを知るやいなや、手のひらをくるりと返した。

 大村が口を挟もうとしたとき、真辺は自ら発言したのだが、それが原因で賞を剥奪されたのだ。結局、最優秀賞はなし、となり授賞式はネットで話題となった。

「テクニックとか、勢いとかで小説を語るようになったら、読み手は苦痛でしかない。作者が自分の小説に夢中にならないでどうする。私は、これからあなたを超えるくらい人気になるので、この賞はいりません」

 宇宙人、と誰かが飲み会で言っていた。覚えている限り、大村が真辺と談話室で顔を合わせた覚えはないのだが。原稿用紙から目を離し、ゆっくりと立ち上がる。全部読むにはもったいないだろう。

 部屋から出ようと、ドアノブに手をかけたところで、勝手にドアが開いた。驚いて半歩下がる。現れたのは、肩まで伸びた髪をハーフアップにした、金髪の青年だった。確かに真辺建生だが、かなり派手な髪の色になっている。

「おはよー」

「お、おはよう」

「お腹空いてる?」

 否定しようとしたが次の瞬間には、思い出したかのように、腹が鳴った。それを返事ととったのか、真辺は手に持っていたビニール袋を突き出す。大村はおずおずと受け取ると、部屋の中に押し込まれた。

「いやぁ、起きなかったらどうしようかと思った」

「ごめん」

「大人なんだから、お酒の量くらいわきまえてよ~」

 悪戯そうに言うので、怒ってはいないと思いたい。大村はもう一度謝ると、その場であぐらをかいた。真辺も座って、大あくびを一つする。

「どこまで覚えてるの?」

「う~ん、飲んでいたのは覚えてるんだが・・・・・・」

 その瞬間、真辺は捨てられた子犬のような顔をした。耳と尻尾が見えるかと思うほどだ。

「えー、あれ覚えてないのー?」

「あれって? 何? 何かやばいことした?」

 真辺は黙り込む。言うべきか迷っているようだ。知らないままでは、もういられない。何か悪い予感がするが、おい、と促すと真辺はついに口を開いた。

「えーと、俺のことをべた褒めしてくれて、あの賞はお前が取るべきだったとか、挙げ句の果てには、俺にゲロ吐いて、そのまま眠りこけた」

「うわぁ・・・・・・自分のことながら・・・・・・。すまんかったな」

「そっかぁ・・・・・・褒められてうれしかったけど、あれは全部酔っ払いの戯言かぁ」

 ぐうの音も出ない。ゲロをぶちまけても、部屋に置いてくれたと言うことは、その戯言のおかげだったのかもしれないが。後輩に世話を焼かせたあげく、裏切りにも近いことをしていたのだと思うと、自己嫌悪に沈む。

「いや、どんなことを言ったのか覚えていないんだが、僕は、君の小説を読んですごいと思ったのは違いないから」

「無理しなくていいよ」

「無理してない。これは本当のことだから」

 だが、情けないことに相当腹が減っているのか、大村の腹から虫の鳴く声がする。格好がつかない。促されるままにビニール袋を開くと、そこにはコンビニのむすびとお茶、あさりの味噌汁が入っていた。

「食べていいよ。お湯もあるし」

 空腹に耐えられず、口につけると、ほどよい塩分に涙腺が刺激される。鼻の上がつんとなるが、泣きたいのはきっと、迷惑をかけられた真辺なのだ。そう思うと、涙は引っ込んだ。

「読んだ?」

 真辺の視線が卓上に向けられた。いまだに原稿用紙がはたはたと風になびいている。文鎮が乗っているので、飛んでいくことはない。

「タイトルと最初の一文だけ」

「俺は自分を宇宙人だと思うことはないんだけど、なぜか小説以外は、理解されたためしがない」

 ふーん、と受け流そうとして、ふと思ったことを口にした。

「理解されたければ、同じ言語で、同じ目線で、同じ思想で話さないといけないんだってよ」

「全部、クリアしてると思うんだけどなぁ」

 相手に理解力がないと言えばそれまでだが。小説が評価されると言うことは、突飛なことを考えているわけでも、相手を思いやる心がないわけでもないのだろう。それこそ、そう、すべてクリアしているのだ。彼が理解されていないと思う原因は、彼にはない。

 では、どこにあるのかというと、他人にある。人はすごい人を見ると、理解できないものだ。秋月融に住んでいる者はどこか変人のように思われるのだが、その点、真辺はおそらく感覚的に普通なのだろう。才能という一点が彼を宇宙人にしている。

「孤独を解消するには、筆を折るほかないね」

「そうしたら、普通になれるかなぁ?」

「なれるよ。何でもできる天才はいない」

 真辺は悪戯ぽく笑うと、そうかもしれない、と言った。だからといって、彼が筆を折ることはないだろう。そういう確信もきちんとある。

「そうだ、スマホ見た?」

 突然の問いに大村が頷くと、さらに笑みを深める。何やらまた嫌な予感がする。

「なぁ、昨日は君を褒めてゲロ吐いただけだよな? 服が汚れて、だから脱がせてくれたんだよな? 着せてはくれなかったみたいだが」

「そうだよ」

 なんとなく、信じられなくなって、スマホの写真フォルダをもう一度見る。だが、肌色の写真を最新に、おかしな写真はない。他にクラウドやチャット、メールを確認するがおかしなところはない。

「そうだ、連絡先交換しよ」

「いいけど・・・・・・」

 腑には落ちない。だが、ないものを疑っても仕方ないのだ。大村は朝ご飯を飲み込むついで、疑念も一緒に腹の奥に下した。





「あの子はぎりぎり二十歳だけど、大学生に手を出すのは大人としてどうかと思う」

 後日赤山が見せてくれた写真には、真辺の頬にキスをする自分の姿が映っていた。

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