第3話

 子供扱いされて少し悔しくなった私は、庭の隅に一箇所、雪がこんもりと小さな山を作っている場所を指した。

「それじゃあさあ、あの花の名前はなんっていうの?」

「あの花と申しますと?」

「あのこもの下にある花。春になったら、毎年ここの庭で一番に咲く花の名前だよ」

 菰と聞いて、彼は腰を浮かせて小さな雪の山に近づいた。

「春一番に、ですか。ということは、わたくしが初めてここに来た頃には、花は落ちていたかもしれませんね」

 今朝から誰も足を踏み入れていない庭の雪は少し深かった。彼のくるぶしよりも少し深いだろうか。

 そんな新雪で革靴が濡れてしまうのを気にせず、彼は菰に積もった雪をそっと手で拭い落とした。

「ああ、確かに菰がありますね。ううむ。しかし、中の木は全く見えません。何の木が植えられているのか尋ねても、お嬢様は名を知らぬのですね」

 彼はわざとらしく腕を組んで、片方の手で顎をさすりながら何やら考えつつ、再び縁側に腰を下ろした。そして靴を脱ぎ、中に入った雪を掻きだすと、何食わぬ顔で再びその靴を履いた。

「あの木の葉は、どのような形でしたか?」

 私の方を見た彼の顔が、思ったよりも近くて私は思わずおしりをずらして距離を取った。顔の温度が上がったのが、書生君にバレていないだろうか。私は両手をおしりの後ろの方について、身体を後ろに倒した。

「私が見た時は、葉っぱなんて残ってなかったよ」

「枝ぶりは? 下の方で幾つかに分かれておりましたか?」

「そうでもなかったんじゃないかな。普通だよ、普通」

 私の心には、少しずつ苛立ちが募っていった。こっちはどうせ花の名前なんて分からないだろうと、ただの嫌がらせで聞いてみただけなのに、この古風な書生君は真剣に考えている。

 きっと古風すぎて、今どきの女子中学生が考えていることなんて分かりっこないのだ。

「ああ、もういいよ! こっちが聞いたのに、質問ばっかりするんだから」

 私はそう言って頬を膨らませて、彼をにらみつけた。

「そうは申されても、今は全く姿が見えませんからね。少しでも手がかりがないかと」

 真面目もここまで行くとかわいそうだ。私はため息をついて、妥協案を出した。

「分かった。それじゃあさ、花の名前、付けてよ。書生君があの花の名前を考えて」

「わたくしが花の名を、ですか?」

「この庭以外で咲いているの見たことない花だもん。もしかしたら。あの場所にだけ咲く花なのかも。だから、書生君が名前付けても大丈夫だって」

 なんともいい加減な理屈だと我ながら思った。だが、適当な私とは対照的に、彼は今日一番真剣な顔で、目を閉じるギリギリまで細めて菰を見つめた。

 そして、菰を見つめる目を優しくして、そのまま視線を動かさずに口を開いた。

「では、『咲』と書いて『えみ』と呼ぶことにしましょう」

えみ……。そ、それじゃあ、私の名前と同じじゃない」

 私がそう言うと、彼は私を見てほほ笑んだ。

「わたくしは、お嬢様のことは、お嬢様としか呼べませんから。だから、あの春一番にこの庭に咲く花の名は、えみにします」

 私は、その時初めて彼の口から自分の名を聞いた。

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彼だけの花 西野ゆう @ukizm

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