『漢達の話し合い』
二〇二三年八月十五日
少しぬるくなったコーヒーをすすり、一息つく。シズと名乗る女の子との出会いから早いもので三日が経った日。僕は原稿用紙を開きながら、スマホを耳に当てることで電話を装うという必殺技を手にしていた。これで周りの目を気にしなくて済むようになったのだ!
というのは半分間違っていて…
「今日も彼女さんと長電話ですか?ここ最近よくいらっしゃってますけど」
はい、店員さんに覚えられてしまいました。
空になったカップに無言で入れてくれるものだから、サービスがいいなと思ったら、会計できっちり請求してくる彼女が高校生だというのだから、日本の今後は明るいのだろう。
「はは、最近遠距離になりましてね、寂しがって電話してくるんですよ~。ご迷惑でしたかね?」
「いえいえ!お盆真っ盛りの東京じゃこの時間暇ですから、仲良さそうだなぁと羨ましく見てます!」
「あんまり見ないでほしいかなぁ」
元気よくポニーテールを揺らしながらニコニコと接客してくれる彼女は高校生らしく恋愛に興味津々のようで、遠恋中の彼女と言い訳してからは、毎回シズと話しているとニヤニヤとこっちを見てくるのが大きな欠点である。
「にしても、今日は短かったですね。どうしたんです?」
「3時間は長いだろ!彼女に予定があるんだよ」
「浮気ですかね?」
なぜか嬉しそうに、なみなみコーヒーを注いでカウンターに去っていく店員さんの後姿を眺めながら…
「ああ、おっぱいがもう少し大きければなぁ」
「勝手にモノローグつけるのやめてくださいよアキラさん」
後ろからとんでもないモノローグをつけてきたのは寺尾
ややプリンになりつつある金髪に、何個あるんやと突っ込まれること間違いなしのピアス、ウェイウェイしてるかと思いきや意外と賢く面倒見のいい、入学当初からお世話になっている先輩だったりする。断固として尊敬はしない。
「んで~かわいいかわいい後輩のユキト君は、先輩に資料も渡さずにど~してイチャイチャしちゃってんのかな~」
「イチャイチャしてないですッ!」
ニヤニヤしながら肩を組んでくるアキラさんに、つい険しい顔で応対してしまう。
人見知りするタイプの僕にはこういった態度で接してくれる人はありがたいのだが...時々、うざい。いや、だいたいうざい。特に僕が女の子と話しているのを見つけた時の寺尾さんはほんとに、やめていただきたい。
「はいはいわかったわかった。んで、資料はいつになったらおれの手元にとどくのかぁな?」
そう、もともとこの原稿用紙は文学部であるアキラさんの卒論資料として実家からとってきたものなのだ。しかし、シズと話すのにこれが何故か必要と分かった今、渡すわけにはいかなくなったのだ。
「あ~ちょっとまだ見つかってないんですよね~」
「ん?目の前にあるこれは?」
バレた。いや、うん、こんな机の上置いておいてバレないわけがない。
「んん? 何もないですよ?アキラさん暑すぎて頭沸いてるんじゃないですか?」
「口わっる!? いや、さすがにそれだませると思わないでほしいわ!」
「...馬鹿だから行けると思ったのにな」
「バカって言った!」
夏休みに入ってからアキラさんと会うことも殆どなかったので、久しぶりに話せてよかった、楽しい。なんて思うわけもなく、ユキトの頭の中はこの原稿の扱いでいっぱいであった。そして
___閃いた。
ん?卒論資料なら、コピーで良くない?
「アキラさん」
「なんだいユキトくん」
「コピーで良いですか?」
「だめです」
二つの口から放たれるテンポの良い会話は、交渉の決裂という結末を迎えてしまう。それはあまりにもあっけなく、最初から決まっていたかのような
___いやなんでだよ!
「いや、アキラさん。コピーでも変わらないですって、こんなの!」
「いいや、俺は現物を借りたい。これは決定事項だ」
平行線を辿り始めたこの会話に、ユキトは少し口を止め、グラスを少し傾ける。
蕩けた頭にカフェインという名の脳みそ覚醒の確定演出を入れる。そう、これより始まるであろう交渉という名の壮絶な戦い、舌戦に向けて、ユキトは脳を回すためのエンジンを積み込んだのだ。
それはアキラも同じであった。ゴクリと動く喉仏はまさにバイクのアイドリング。戦地へ赴かんとする覚悟は火を見るより明らか。ゾーン状態を彷彿とさせる眼力は、まさに百獣の王。
なみなみと注がれた黒い液体は胃袋に消え、残された氷が寂しくカランと音を立てる。そして、グラスが机に置かれる音をゴングに、戦いが始まる。
口火を切ったのはユキト。
「アキラさん、まずは現物を求める理由を聞きましょうか」
「ふむ、いい質問だ」
考え込むように、アキラは両肘をテーブルについて少し目を伏せる。この場の空気感、緊張感が周囲に伝播する。
「俺は...ゼミの女の子がファンなんだ。現物を持ってくると言ったらすごく喜んでくれた。これを違えることはできない」
は?
「それだけ、ですか?」
「男が行動を起こすのに、それ以上の理由が必要なのか?男に二言があってはならない、そうだろ」
再び、その場は静けさに支配される。
この静寂を破ったのは、またもやユキト。
「他に、理由は?」
「強いて言うなら、その女の子が可愛い」
「コピーしてきます」
ああ、アキラさんはやっぱりアキラさんだったかと、呆れを前面に押し出しながらテーブルの上の原稿用紙を重厚な黒い鞄に仕舞っていく。
もう話は終わったと言わんばかりに、立ち上がろうとするユキトの両肩をアキラは押さえつけるように静止させる。
「待て待て待て待てい!!!」
「話は終わりましたよアキラさん」
アキラさんの卒業に関わる論文、大事なものであるからこそできる限りの協力をしたいと思って持ってきた原稿だが、こんな理由でこき使われていたとは...
そうなれば行先はコンビニへ一直線である。何なら写メで送ればいいんじゃないか?うん、先輩の見栄のためにわざわざコンビニに行くのも馬鹿らしいわ。
「そういうお前は何なんだ?ここまで原稿持ってきたのに俺に渡さない理由を教えてもらおうじゃないの、ユキトォ!」
もう結論は出たとばかりにカフェの外へと出ようとするユキトの体がピタッと止まる。嫌なところを突かれたと言わんばかりの苦々しい顔に気づいたアキラは、ニヤッと口角を上げる。
それを聞かれる前に決着をつけたかったけど、くそッこれは僕も反論できない!
「まあまあ座りたまえよユキトくん。話し合おうじゃないか」
ニヤリ、というかニチャリと笑うアキラはまさに気持ち悪いの権化...失礼いたしました。
肩を組んで隣り合って座る二人。先程までとは打って変わって萎縮するユキトと足を組んで余裕有りげに追加注文をこなすアキラ。
「じゃあこの森のコーヒーと、ザッハトルテでももらおうかな~。あ、もちろん君のおごりだよ ユ・キ・ト♡」
「お二人は仲いいんですね! ユキトさん最近ここにお一人でずっといたので、一人が好きなのかな~って思ってました!」
先程のポニーテールの店員さんがあまりにいい笑顔で言うものだから、悪気はないのかもしれない。が、言ってることほとんどボッチいじりだよそれ!
アキラに肩を組まれながら小さく縮こまっているユキトが弱々しく返事をする。
「いや、一人が好きなわけでは...というか、後輩に奢らせるのどうなんですか?」
「ん~どうしたの?やましいこと隠して逃げようとしたユキトく~ん?」
やっぱりめっちゃ仲いいですね!とルンルン笑顔で奥に下がっていく彼女を横目に、ニチャニチャ笑顔のアキラが視界にズイッと入り込んでくる。
「んで、最近ここにずっといるって?え? 聞きたいことが増えてきましたな~」
「それとこれとは」
「あの娘狙い?かわいいよな~」
もうアキラさんは止まらない。ただでさえ反撃体制であった+中学生レベルで大好きな恋バナが入ってくると、この人はフルスロットル暴走機関車である。
ため息をこぼし、すでにほとんど溶けて小さくなった氷をストロ-でかき回す。
「さあ、漢の話し合いと行こうじゃないか。隠し事ばかりのユキトくん」
遠い貴方が綴るもの 流水 @OwL4869
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