Fa:陽都にて
伝承祭は陽都の娯楽であり、義務である。
祭りの日には陽都、地都、理都が都を解放し、歌劇や空中絵巻、舞踏に食事と趣向を凝らして知識を伝えるしきたりになっている。
―――見る影もない。
大理石の頂。居住区から遠く話された小部屋にアルカは座っている。三方は石や鉄で塞がれ、唯一の出入口には
檻の中、森育ちの細長い体は窮屈そうに折りたたまれていた。身じろぎするたび、首と片足を戒める鎖が重い音をたてる。
スーラにとってアルカは、蛮国ガーンタの王子である以前に、得体の知れない生き物だ。無駄なくしなやかな筋肉は、植物にとって未知。ビロードのような栗色の体毛が死んだ細胞であるのも、腐肉を着ているようで気味が悪い。右肩から腰へ這う月下美人は『誰から盗んだのか』と宴席で決まって話題に上がる。
何より『遺伝情報を10持っていない』ことが、スーラには信じがたいことだった。
「よほど、伝承の修理をされては困るのか」
鋭い
星座の彫られた格子の向こうには、祭りに浮かれ騒ぐ陽都と、鈍色を濃くする青い空、それと、真っ黒に焼けた平原が見えた。
「地都は行方知れず、理都はキルートに射ち落された。……それで、パヴナ・ラズライア。あなたはどうするつもりだ?」
格子の前まで上って来た若者の眉は、これ以上なく寄っている。
「スーラは、リーカヤの行いを正当と信じる連中しか、もういない。伝承とてここまで来てしまえば役に立たん」
「そうだろうか? あなたが改めれば、いくつかの悲劇は防げるだろうに」
「傍観に徹したお前に、言われたくはないな」
アルカもパヴナも無言で互いを見る。パヴナは格子脇の壁に背を預けて腕を組んだ。
家や屋台の軒先に吊るされた『石灯』が大理石と穴ばかりの都を万華鏡のように彩っている。羽と川を模した切り紙で覆う
視線を遠く投げれば、暗い空も墨のような山々も見えるだろう。パヴナは目を閉じる。腕を解いて、姿勢を正した。
睨みつける、が適切だろうアルカの視線を鼻で笑う。
「何千回とやり直しても結局こうなる。ならば更地の方がまだ進みやすかろう?」
「愛し子の責務を投げるのか」
「我らが何をしたとて、浮島生物は感謝もしない。当然の権利とむさぼって、努力も何もかも―――ならば、オレが救いたいと思った一名救って、一体、何が悪い」
パヴナはふところから、濃赤に桃色を一滴足した色の石を出す。黒に近い赤が揺らぐ、丸いピジョン・ブラッドにパヴナは笑い、アルカは目を見開いた。下から乱雑に投げられた丸石は、格子を抜けてアルカの手に受け止められる。
坂の下から見えない何かが駆け上り、パヴナの短い髪を暴れさせる。
明かりのほとんど入らない部屋にいるアルカより、空を背に立つパヴナの姿が暗く
「……そういうことだ。『月より預かった加護をあなたを通し月へお返しする。不死も炎も、未来の重みも、我には背負う資格なし。初春の君よ、天空と未来をどうかお守りください』」
「ふざけるな! わたしに加護を守れと、どの口で」
「仕方ないだろう。文句なら月に言えばよかろうて」
パヴナは愉快そうに言う。
スーラでは同じ親から生まれた年上の者を「春の子」と、年下の者を「秋の子」と呼ぶ。最も年かさの者は、春の子の中でも「初春」と呼ばれて区別される。
「オレはスーラだよ。スーラで生きると、もう決めた」
「なんの、つもりだ…! 今、更……!」
対するアルカは、怒りのあまり絶句する。
役目を疎かにしたと誇らしげに語るパヴナを、どうしても理解できない。喘ぎながら、アルカは叫んだ。
「知識が残ってさえいれば、ヨタカの道は、もっとなにかあったはずだ!」
浮島の歴史にはあまりに抜けが多かった。生物学は浮島にあるわずかな知識すら残していなかった。『灰の怪の成立』と『流星の子』の物語は歪み、『愛し子』も『地上の物語』も『地上の文化』も伝承は変わり果てていた。
6つの家が厳重に保管していたはずの知識―――月へ至る道の一つは、無残にも失われた。
パヴナは答えない。鎖を鳴らす大きな音を聞き「そういえば」と呟いた。
「ここは元々、身分の高い流星の子を幽閉する場所だったらしいぞ。ちなみに、最後の使用者はサティ・シェロデルカと言ってな。あのリーカヤの友だ。たしか…あと一名いたな。カーネリアンとか言う、お前より遺伝情報の少ない奴が」
「ならば何故『流星の子』を灰の子などと呼んだ! 汚点と呼んだ!」
アルカの脳裏を、偽りだらけの伝承が走る。
『浮島にはただ一つだけ、汚点がある。『流星の子』と呼ばれるものども。楽園に灰を持ち込んだ、最も忌まれるべきもの。始祖は、灰の怪に取りつかれながら、周囲に影響を与えぬ特異なるもの。灰の病を得ながら、子を宿し、灰の因子を持ち込んだ大罪人である。灰に輝く頭髪は、怪に取りつかれた浮島の仇である。別名を『灰の子』と呼び、見つけ次第、地上へ突き落とすことを命ずる。』
「あなたは何をしていた! 伝承をやり直せる立場にあったはあなただって…!」
「なあ、リーカヤのやったことは罪だと思うか?」
背を向けたまま、パヴナは笑う。
「伝承を滅ぼし、知を焼き払い、民を殺し、12あった都を9つ滅ぼした。……アルカ・シシュド。春者は、ユリシラはどこまで許す気なのだろうなぁ。リーカヤ殺しの炎熱使いも許すのか? 大衆の悪意は? 無知な暗殺者は? 許すのか。それはどこまで?」
ふと牢に向き直り、パヴナは細長い包みを格子の間から入れた。うっすらと笑う。
「ご自愛を。いと尊き太陽の愛し子よ。キルートからも差し入れだ。ここは寒いだろう? ちょっと温かくしてやるよ」
「待て。待てと言っている!」
重い包みに隠された鍵を、アルカは強く握った。
パヴナは数歩離れて空を見る。追及の声が飛んできても、気にもできずに自嘲する。
伴侶に誰の牙も向かず、己も死なない理想郷のために幾度となく繰り返した。世界は時に、全体の平和のため個々の幸福を取り上げると知っていても、幸せにしたかった。そのために、いろんなものを見捨ててきた。
アルカも、ユリシラも、キルートも、全員、見捨てた。
結果、滅ぶのだ。
都も命も幸福も
「一万年、行かなくてすまん」
パヴナが幸福を諦めれば、あと数日猶予ができる。アルカや残った愛し子たち。それと
パヴナの愛は、生き延びる。
青い炎が、パヴナを包んだ。
星の浮島~月冠の巡歴~ 一華凛≒フェヌグリーク @suzumegi
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