陽都スーラ
夏至祭へ
「ユリシラさま? 寝ぼけてます? ユリシラさま?」
「オォウオゥ。塔暮らしの
「雇い主はユリシラさま。命令するな」
ユリシラの背には硬い舟底の、体の上には薄布の感触がある。視界は未だ体に戻らず、空の上にある。
ユリシラの大元たる「水」が危険を見せようと干渉し続けている。
はじめに見えたのは、金と玉で編まれた質素な舟。
百合の茎一本、指先一つ動かさないユリシラの体に声をかける世話役のウィガ。あくびを噛み殺しながら櫂をあやつる六腕の船頭と、虹色の背びれに岩綱を結んで泳ぐ、もう一方の船頭ヘルツだった。
杉の木1本分、舟の上に漂いながら視界は四方へひらけていく。
中天にかかる
「月」から北方山脈を下る川も、水都サラーズのくぼ地にも、砂漠へ分かれる2本の川も、中央山脈の地下から陽都スーラへ伸びる大河も、大河から3本に分かれる支流と、今ユリシラの乗る舟がある南の海都ヴルナへ続く川にも、霧のような陽炎がたっている。
「ユ、ユリシラさま? 息してます!? ねえユリシラさま!?」
陽炎の原因は、まぼろしとして浮かぶ太陽の向こう側にある。シャボンのように浮島を包む結界。ゆるく渦を巻く極彩色の向こうで、チリチリと、灰のいろが―――。
「起きろ」
『ぐ』
頭がひどく痛み、体が重い。
激しくむせる音は、どこからもしない。無理やり留めた空気が喉を突く。その場の全員が『ゆるし』を与えない限り、ユリシラは音を立てられない。
「スタッカート! ゆるしたげて! ちゃんと息できてない!」
「ハッ! さっきの言葉そのまま返してやんよヘルツゥ。夏至祭だからってお優しいこった! 大罪者ユリシラ・パールを? 伝承祭にぃ? あぁもったいねェ。もったいなくていけねェや」
「お前ブン殴るぞ!」
「やってみろよ盗賊風情が! 大口叩きやがってよぉ。手前らの護送なんつー酔狂、ヘルツだけでできんのかよぅ、ア? おやさしーぃいパヴナのはからいで招かれた裏切り者共が」
六腕―――スタッカートの言葉は、ユリシラたちを取り巻く事実だ。
ウィガは拳を握ったまま冷たくスタッカートを睨む。膝から伸ばされた竹の幹が、柔らかにユリシラの背をこする。
スタッカートはいかにも苛立たしそうに唾を吐く。下の二腕に櫂を持ち替えて、上の腕がユリシラたちを指す。中の二腕は、腰に曲げて置かれた。
「蛮族の王子に伝承修復なんぞを頼まなきゃぁならねェ知恵者が手前の他にいんのかぁ? それともなんだ、悪食用の晩餐にでもなんのかよぅ? ハハハ、セヌルのきったねェ笑いが想像できらぁ。ジュノーの角よりかは珍味間違いなしだなぁ」
へらへら笑うスタッカートを、ウィガは『どうすれば違和感なく追及されずに消し去れるか』考えている目で見ていた。敵意を感じ取ってか、スタッカートからも表情が抜け落ちる。
「なら、許してやるからなんか話せよ。こっちばっか話すんじゃつまらねェ。自爆すんなら恨み言の一つ吐いたらどうだ、ん?」
つま先で蹴られる顔面から花弁がはがれる。短く千切られた薄荷色の茎がささやかに揺れる。ユリシラは白い額を上げて、傷だらけの百合でスタッカートを見る。
「日差しが強いですが、平気でしょうか? 熱射病が心配です。どうか十分に水を飲んでご自愛くださりますように」
「気色わりぃ。素直に吐けばいいだろぉが。水でこっちの喉くらい簡単に塞げるっつったらどぉだ?」
「分かってるなら! ユリシラさまがやるはずないって分かるだろ!」
叫んだウィガが、中腕でなぎ払われる。
ウィガを助け起こそうと肘を立てるユリシラを、強い蹴りが舟底へ戻した。ウィガが痛みに呻く。唾が、二者のすぐそばに落ちる。
「役立たずの継承者。リーカヤの暴走もスーラ侵攻も止められない」
逆光でスタッカートの表情は見えない。
ウィガが黒曜色の目を上げる。ウィガは5000年ユリシラの世話をしてくれている。ユリシラの
「……ユリシラさまは、ぼくに食われかけてても話し合いしようとするよ。そういうお方だ」
「口ではどぉとでも言えるだろ。なぁ、こいつの行動を思い出してみろよぉヘルツ。家族に大森林を焼き払わせたんだ。12あった都は4に減ったぞ。エ? おかげで焼け野原ばっかりだ。川さえ残ってりゃおこぼれで楽に暮らせたってのに……。はぁ、どぉーせ今も笑ってやがるんだ。いつだって、こっちどぉにでも」
舟が揺れる。スタッカートの言葉が途切れる。バランスを崩した体を支えなければとユリシラは飛び出すが、届かない。痛みに文句を叫ぶスタッカートが引き攣った表情でユリシラを払い飛ばす。
「おいヘルツ! 手前一体」
声は再び途切れた。
遠い大理石の山塊はスーラの都だ。薄く、陰翳のある灰色の煙をまとって見える。何もなければ「幸先が悪い」と、誰かが言っただろう。
ヘルツはさざ波を立てるほど震えている。中途半端に上げたヒレの向こうから、不規則な呼吸音がユリシラにまで届く。
ウィガはユリシラを守るよう駆け寄る事まではできたが、あとは汗を一筋垂らしたきり、まばたきもしないでいた。
スタッカートは拳を噛んで大声をこらえている。
まだ体を起こせないまま、ユリシラは丸く穴の開いた空を見ていた。
しらしら。
灰だ、と認識する前に、青い炎が視界を埋めた。
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