〈装飾〉・二
官吏から手札を渡される。
指先が、震える。
耳の後ろのほうが、熱くなってトクトク鳴りだす。
腹の底から胸にせりあがってきた圧迫感が、目頭を濡らした。
信じられない。
でも、現実だ。
静かに、後ろに下がり、手汗で手札が滑らないようにぎゅうと握りしめる。
黄と白がまざった手札を懐にしまい、息を吐く。
浅はかに見ていた現実が、広くさえ見ていなかった過去が、ただ血脈となって全身に巡り、芽吹くように肌から突き出てくる。
官吏の声が、遠ざかっているのを感じる。
記憶の漣がゆっくり、遠のいていく。
戦場の悪魔。戦わなくてはいけなかった、あの日の自分。賊徒に育ち、軍の指揮官までに登りつめた我が国は
知っている過去と、現在がぐちゃぐちゃになって脳の帳簿に開かれる。
そうして、ゆっくり息を吸うと、幼い躘が思い浮かんだ。
どこを好きになったのか、分からない。
顔立ちだって、端正ではあるのだが好みではないと言い切れる。優しい声か、気遣ってくれる温かさか、それかはじめて与えてくれた愛の保持者だからか。
どんな理由づけがなくても、冰遥は躘が好きだった。
初恋だ。どうやっても、忘れられない初恋だ。
彼を追いかけて、この宮廷に入った。側室でもいい、正室ではなくてもいい、ただ彼にさえ人生を捧げても悔いはないと、真剣に思えるくらいには本気だった。
奇妙で、気持ちの悪かった邪術だって、彼を救うために持って生まれたのかと思えるくらいに、本気だったのだ。
——残れるとは、思わなかった。
こんなことを思ったら叱られるかな、と冰遥は小さく笑みをこぼす。
自分の身に起こったとは思えない奇跡のような現実の数々に、脳が麻痺しているかのように。
甲、の文字をもう一度頭に浮かべてみる。
ああ、本物だ。
爪先立ちしているかのような浮遊感に現実味もなかったが、一気にかかとまで地に落とした気分になる。悪い意味ではない。現実が頭を直撃した。ああ、残れたんだ、と。
呑気にはいられなかった。
興奮したように後頭部が熱くなる。
ゆっくりと意識が浮上してきた。あたりを見わたす。もう、装飾の試験の準備が終わろうとしている。官吏が横目で冰遥を見て、顎で
目を伏せて軽く会釈し、人の間をぬって庖厨に向かう。準備しろ、と言わんばかりの鋭光に、その緑の正義に胸が震えた。
庖厨に入れば、女官が冰遥に気づき顔を上げた。挨拶の代わりに微笑まれて、こくんと頷く。
実技評価だ。本番も準備も、誰いっさいの手伝いも受けないことが、前提にある。
前菜、くらげの冷菜と
昨日仕込んでおいた料理を前に腕をまくり、皿に盛りつけようと——したが、異変に気がついた。
皿が、割られている。
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