〈裁縫〉・一


 官吏の指示にしたがい、あらかじめ提出されていた布がずらりと並べられる。


 どれも素晴らしい出来栄えで、むすめの布の仕上がりを見た大臣らが満足げにニタアと笑っている。


「それでは、これより〈裁縫〉の試験を開始とする」


 官吏が一歩前に出て、ふと、並べられた布に墨を——かけた。


 真っ黒に染まっていく布と比例して、横に並んだ女人たちの顔も青ざめていく。


 大臣から怒号のような、唸りに似た声があがり、ただ皇室の席に座った者だけが冷たい視線で大臣らを見ている。


 ——なんとなく、予想していたことではあった。


 糸が切れる寸前のような、妙な緊迫感を感じながら冰遥ヒョウヨウは人知れず息をく。


 緑色の光。官吏の目に灯った光の彩。


 あれは——怒りと正義だ。


「これより〈裁縫〉のを行う。呼ばれた者から順に列ごと席につけ」


 威圧感のある命令に、となりに並んでいたむすめから驚愕と低い舌打ちが聞こえた。大臣らもどよめく。


 実力至上主義。絶対序列。


 そんな言葉が一番似合うこの宮廷で、と罵倒される官吏が、名家出身のむすめたちにかける一声とは思えない。


 ——けれども。


 決して、彼女らは拒絶できない。


 なぜなら、ここで下手に拒絶すれば、甲乙丙丁こうおつへいていのうち、こうおつももらいないであろうから。へいていでは、落第だ。


 ひとつ落第すれば後のない試験で、反抗するのが最善策とは思えない。


 冰遥はそっと、ころり、真珠のような息をいた。


 彼は、それを逆手にとって、忍耐力を試しているのだ。



 ——文琵ウェンビ、やはり裁縫は実技試験だったわ。


 次々と名を呼ばれて前に出ていく女人たちの着飾った背中を見ながら、冰遥は不安でそっと簪に手を触れた。


 芍薬を模した真珠と金細工、珊瑚と螺鈿らでんの枝。


 巻子が解かれ、ばらばらと言が頭に流れ込んでくる。


 熱情となり金に金蓮花きんれんか、知性となり銀に木白香もくびゃっこう、力となり銅に白薇ふなばらそう


 金は熱情。希望に等しく、理想に等しく、愛に等しい。


 脳裏に、躘の顔がうかんでくる。


 胸が、一気に楝色おうちいろの炎をたたえて激しく燃え上がる。



「時間は一刻※2時間。前にある団扇への刺繍を課題とする。我が皇室に通ずる模様を施すこと」


 頭にずっと流れていたさざなみが止んで、ゆっくりと目の前に焦点が合い始める。ああ、そうだ、今は試験の途中だった。


 団扇うちわのうすい生地はよれやすく、針が通りやすい上に失敗するとそれがすべて見える。


 丁寧に、けれども時間内に終わらせなければ。


 試験をはじめる銅鑼の音が地を震わせ、一斉に女人たちが刺繍にとりかかる。



「……前に聞いていたものと話がまったく違うじゃないの! これじゃあここで甲も乙ももらえないわよ!」

「知りませんよ、わたしだって……!」

「ちょっと、文句ばかり言っていたら怠惰だって目つけられますよ!」

「ああ、もうやだ、これだからお父さまの言うことは聞きたくなかったのよ」


 手元に集中しているのに、隣から聞こえてくる文句や愚痴が多すぎて嫌になってくる。


 針を指に刺して、痛い! わたくしの綺麗な手に傷がついたらどうなるの、やらなぜこんな地味なことをしなくてはいけないの、やら使用人のすることでしょう、やら。


 ——口を動かすなら手を動かせ、って話だな。


 聞き慣れた声が聞こえて、弾かれるように顔をあげる。ぼんやりと、躘がこちらを向いているのが見えた。 


 ——いたんだな、黑々フェイフェイ

 ——おかげさまで。


 声の所在を知る限り、よほど近くにいるようだ。


 ——そういえば、沙華、おまえは普通に刺繍できるのか。

 ——練習しただけだ。もともとできたわけじゃない。


 我が皇室に通ずるもの、と言われてはじめに思いうかんだのは国鳥の孔雀だった。藍色の糸と緑色、金糸銀糸を組み合わせて繊細な模様を縫いだしていく。


 練習していて、よかった。——そう思える未来があったとは、思ってもいなかった。



 いつの間にか時間はあと少しにまで迫っていたようで、日の光がゆるやかに手元の孔雀に差した。


 ひとつ、真珠のようなため息をつく。


 安堵した。相対評価ではなく絶対評価だが、冰遥の今までの練習の甲斐あり、美しい孔雀が息づく団扇が完成した。



 しばらくして試験終了を知らせる銅鑼が再び、静かだった地を震わせ、一斉に女人たちが作業の手を止めた。


 女官たちが順に団扇を回収していく。


 皇室や大臣らには誰か縫ったものかは伏せられ、手札に評価が書き連ねられていく。


 数分後、官吏が一歩前に出て声を張った。


「すべての者の評価が決まった。それゆえ、一人ずつ評価を読み上げる」


 知っている名がほぼいなかったが、唯一分かった、翡翠宮にはじめて来たとき、目配せで争っていた姫愛禮ジィ・アイリー姚汐涵ヨウ・シハンはどちらも甲だった。


 さすがは貴族のむすめだ、幼いころから刺繍をしてきたのだろう。


 朱杷雅チュ・パヤ爛美ランメイはどちらもへいだった。ひとつめの落第。悔しそうに爪を噛む二人から、静かに目をそらす。


 冰遥は、中流貴族のために呼ばれるのが後の方であった。


陽冰遥ヤン・ヒョウヨウ


 官吏の声に、清廉せいれんと顔をあげる。






「……甲」

「ありがとう、ございます」


 顔をあげると、遥か上に座った躘と目が合った。そして、にっこりと微笑まれた気がした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る