装飾〈準備編・後〉


 震える指先で仕上げた飾り切りがようやく、五分の一まで完成した。


 そうすると、鶏白湯を煮込んでいる蓋を開ける。あく取りが十分ではなかった。


 鍋の淵にこびりついているあくまで丁寧に除去し、あくがあまりでないことを確認して、火を中火に調節する。


 これで、とりあえず鶏白湯は時間の許す限り煮込むだけ。


 次は無錫排骨ウーシーパイグーの調理だ。いい塩梅の水の量になっていたので、香辛料を取り出し、水溶き片栗粉を入れてとろみをつける。


 あまくて、ちょっとだけ香ばしい辛みのある香りがたつ。


 食欲をそそる香りにうっとりし、次は赤みを出すために、赤い紅花べにばなを入れる。


 普通ならば紅米を煮だすのだが、今回はもう少し柔らかい赤にしたかったので、紅花を使う。


 箸で刺すだけでほろろと崩てしまいそうなほど柔らかい肉を崩さないよう、慎重にたれと絡める。


 てらてらと照り、魅惑的な赤色のそれは見るだけで美味びみそうだった。


 熱いままに耐熱の容器にいれ、蓋をしめる。味がなじむと更に美味しくなるので、蓋もしてしっかりと密閉した。


 飾り切りを進めながら、時折かまどの方へ走り丁寧に卵液を塗り重ねる。


 藻屑蟹もくずがにの茹で蟹は熱いままで出すため、当日調理となった。清水にいれ、出来る限り明日、調理しやすいように弱らせておく。


「はぁ、やっと……やっと、あと少しね」


 ここまで長い時間飾り切りだけをしてこなかったため、手首が疲労しているのが分かる。


 残るは一番の大仕事。野菜を使って、飛び立とうとする朱雀を一皿に大きく盛りつける。


 部分が細かく、今までのものに比べ大きな規模で盛りつけなければいけない。


「大丈夫ですか? 冰遥さま」

「あぁ……尚食さま」


 のこり半刻しか残っていないことを伝えにきた尚食の顔を見たら、安心したのが眩暈がした。


 倒れ込みそうになって、足趾そくしに力を入れる。


「ちょっと! 手を切っているではないですか!」


 尚食のあわてた顔に手元を見ると、包丁の刃がざっくりと左手親指の付け根にはすに切りこまれていた。


「あ……」

「すぐに手当します。料理に血でも混じったら大罪です」


 どばどばとあふれてくる血を見ても、脳は驚くことに鶏白湯のことを心配している。痛みも感じない。


 まだ、鶏白湯の臭み消しが終わっていない……。


 尚食が、冰遥の機微を感じとって、早急に連れてこられた医務室で止血のために包帯をまきながら語った。


「試験に本気になる気持ちは理解できます。……でも、無謀は禁物です」


 血が少しばかり滲むだけになった傷に、紫根の軟膏を塗る。止血とともに、傷の治りをはやめる効能があるらしい。


「朱雀の飾り切りは、なしに致しましょう」

「——そんな!」


 弾かれたように顔をあげる冰遥の目には、涙が張っていた。


 できます、ならないといけないんです。やらせてください! 冰遥はそう粘るが、決して尚食は首を縦にふらなかった。


 ——あの、朱雀が一番の〈装飾〉なのに……。


「できれば、わたくしだって応援したいです。やらせてあげたい。……でも、なりません。傷が深い。なにより、料理に血が混じったらそれは大罪です。ここを追放になるか、最悪処刑です」


 尚食の口調は、今まで聞いたことがないほどに強かった。


 諦めるしかないのだ、と冰遥は悟った。


 ——でも、どうすればいいの。あれがなくては〈装飾〉の試験にはふさわしくない。きっと、落第になる……!


 あれが、一番の目玉であり冰遥がここまで必死に練習してきた〈装飾〉の集大成だった。


 あれがなくては、甲はとれない。一番の自信があったところで、落第になってしまえば、一貫の終わりだった。


「……冰遥さま」


 涙のせいで、視界が滲んだ。


 ぐっと眉をしかめた尚食が、言葉さえ、声さえ出ずに涙に崩れる冰遥の背中をさすり、必死に宥める。


「きっと大丈夫です。朱雀の飾り切りがなくとも、きっと大丈夫です。だってあんなにも美味しい料理なんですから。自信をお持ちになってください」


 尚食に慰められても、胸の異常な鼓動がやまない。


 苦しい。なんで、わたくしはいつになっても不運で、救われないのだろうか——。冰遥は、強く唇を噛んだ。


 しばらく涙を流していたが、顔をあげ、瞬きをして、涙を散らす。


「尚食さま。ひとつ、頼みがございます」

「……なんでしょう」


 まっすぐな冰遥の視線に、尚食のあたたかい視線がぶつかる。


「飾り切りのほかに、なにかできる〈装飾〉はありますか」


 尚食は顎に手をあて、しばらく考えていたが、なにかひらめいたように目を見開いた。


「ございます!」


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