悪名高き女官といううわさ
ヤン夫人がまだ後宮に入って間もないころ、宮中でささやかれる「とある女官」の名をよく聞いたという。
皇帝からの寵愛を受けようと望む後宮の華たちがこぞって通ったといわれる、占い処。
その主であり、後宮にはびこる闇に対応するため連れてこられた
側室として後宮に入る女人以外の、皇帝に仕える女を女官と呼ぶ。
巫覡は女官のひとりであり、祭りや神事に携わり、
けれども彼女は、望み、お
彼女は術のことを《神からのお力》といって詳細を話すことはしなかったが、黒い炎をたくみに操る美しい術だった。
術にもまさる美しい面。可憐で、知性をもちあわせた物静かな少女。
女人たちはそんな彼女のことをいたく慕っていた。
相手にふかく干渉するわけでもなく、けれども決して見放すわけでもなく。
絶妙な距離感を保ち接する彼女をひとつの、心のよりどころとしていた女人も少なくなかった。
だがあるとき、後宮の女人たちの間で、妙な噂が立った。
正体の知れない、やけに幻想的な青紫色の目をした女官がいる、という噂だった。
恐ろしいのは噂の内容で、その青紫色の目をした女官が関わった人たちはひとり残らず——死する、という旨の内容だったのだ。
側室らは名も知らない、実在しているかどうかも分からない女官の名を呼ぶのも恐れて悪名高き女官と呼んだ。
その女官の話はついには皇帝にまで伝わり、宮中では誰しもが女官のことを恐れるようになった。
皇帝は
その状況を危惧したのは臣下たちで、悪名高き女官が誰なのか、後宮の巫覡に突き止めてもらうことにしたのだが——巫覡は突如、姿をくらませた。
さながら月が雲隠れしたような、失踪だった。
巫覡がいなくなった途端、ぱたりと悪名高き女官に関する噂も消え、その二人はもとからいなかったかのように名があがることさえなくなってしまった。
そのころ仕えていた女官たちは皆少しずつ減り、今では当時のことを語り合える者もいなくなった。
だが、ヤン夫人は覚えていた。
その当時、彼女と親交の深かった女人が巫覡のことを——青紫色の目だった、と言っていたことを。
「つまりは、その巫覡が悪名高き女官と同一だと思っている、というわけですか」
「わたくしの憶測にすぎませんが……」
ヤン夫人はしずかに言葉をこぼし、
冰遥は胸騒ぎを感じながら、顎に手をかけて水面をじっと見つめた。なにかが、心にひっかかるのだ。
理論では片づけられない、ただの
「なにか、心掛かりがあるのですか」
どこか憂いを纏った冰遥の顔を見て、ヤン夫人が尋ねる。
「少し、胸騒ぎがするというか……どういうわけか」
「ならば、
突然の提案に、冰遥が目を見開く。
「でも、わたくしのような身が気軽に行ける場所ではないのでは……」
ヤン夫人が、はっと口を開く。それもそうでしたね、とつぶやいた彼女には、頭にまったくその考えがなかったのだろう。
「……では、わたくしから陛下に話してみます」
「え! いや、そんな——」
「いえ! 冰遥さんにはできることをしてあげたいのです。許可が下り次第、女官伝いでお伝えします」
「……ありがとうございます。いつも」
ヤン夫人は何も言わずにこりと笑い、冰遥もうすく笑みを浮かべて返した。
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