後宮の巫覡のしょうたいは


 ゼン眼睛がんせい花天かてん に似て非なる金の輝きをたたえて相好そうごうを崩す。


 兄を支えるように肩を寄せた露楊ロウヤンが、喉につかえたしこりをとるように息をほどいた。


 彼が、舌のうえで誰にも聞こえぬようによかった、と呟いたのを冰遥ヒョウヨウは聞いた。


 なんとも言えぬ、浅黒くてぬるい彩が胸のうえを滑ってけてゆく感覚が広がって、不快感に眉をひそめた。


「それで、たたかうにしても、作戦をたてないとな……」


 囁くように言をらす仙に、冰遥は片眉をあげた。


 神秘に満ちた面差しに、西日のようにさっと差しこんだひらめきの彩を見つけた露楊が、ふと冰遥に視線をむける。


「それなら、わたくしに考えがあるの。聞いてくれない?」


 彼女の挑発的な、その笑みはまぎれもなく黒い旗を掲げて大地を駆けたの面影をのこしていた。




「そろそろ、中秋節の時季じきね。のこり二週となったわ。……自信はある?」


 秋の昼下がり。西日が肌を焦がすように燦々さんさんと光っている。


 水亭すいていでゆっとりと泳ぐ鯉の尾びれが舞っているようだと微笑んだあと、ヤン夫人は唐突に尋ねた。


 冰遥は困惑に目をしばたたかせたが、狂い咲く花天かてんのようにゆるく破顔すると、かすかに首肯した。


「わたくしの持てる、最善をつくそうという心構えです」


 結果がどうなろうとも、そうつぶやく。


 冰遥が彼女のとなりに立ち、赤い鯉を覗くととなりからふふ、と笑い声が聞こえた。


「……ヤン夫人?」

「ふふふ、皇后になってもらわなくては困るのに、ずいぶんと悲観的に現実を見ているのね」

「……あ」


 この試験で貴賓がきまるというのに、遠慮がすぎる発言だったかと肩をおとす。


 ヤン夫人は、腹の底からわく明るい笑みをおさえきれなかった。


 なんて人間味あふれる子なのだろうか。天女のように美しいかんばせを持っているのに。


「あなたは庶子的すぎるのよ。……でも、きっとそれが冰遥さんの一番の魅力なのでしょうね」


 ヤン夫人がその丹唇たんしんを割り、やさしい言の葉を散らすと、冰遥はむずがゆさに身をよじった。


「すみません……」

 冰遥がかすかに眉尻をさげると、

「責めてなどいないわ」

 ヤン夫人は黒瑪瑙のような目を水面に向けた。


「あなたのような人がいることで、宮廷ここは如何なる時も、中庸ちゅうように在れるのよ」


 ヤン夫人は語り、ふ、と小さな息をこぼした。


 その黒瑪瑙の底、雨の滴る烏のような濡れた光沢をまとう彩が、金色に燃えている。


 冰遥は声にこそ出しはしなかったが、静かに嘆息たんそくした。――彼女も、何かの熱情に燃えている。


「ひと夏の夜には、中庸もなくなってしまったときも、あったけれど」


 彼女の瞳が、遠い昔を見ている。


 その声に滲む、奇妙な言のひびきに眉をしかめると、ヤン夫人は冰遥をふり返ってやさしく笑った。


「今となっては、誰も語ろうとはしない昔の話なのだけれど……もしかしたら、後々役に立つかもしれないわよね」


 国の文献からも一切名を消された


 その当時宮廷では大きく噂になったのにも関わらず、今となっては忘れ去られた女の存在。


 夫人はふと、春霞はるがすみを貼ったように薄い桃色をした指先で、青白い艶のある冰遥の手を握った。


 そのまま、やわらかく握りこまれる。


 ああ、翡翠宮に来た直後にも、こんなこともあったな——と、冰遥は思う。


 あれから、謎が深まるばかりではあるがこの場にも慣れたものだ。冰遥はほんのりと温かい指先をじっと見ながら考えた。


「わたくしが知得ちとくするものは、すべてあなたに分け与えること、誓いましょう。信じていますよ、冰遥さん」


 ヤン夫人は数瞬の沈黙のあと、引き結んでいた唇を割った。その瞳に、瞳孔の底にうかぶ揺るぎないなにかが見える。


「……ええ」


 かすかに、冰遥の握りしめた指先に力がこもる。


「わたくしが、まだ、ここに来てから間もないころの話なのよ。……そのとき、わたくしは十四になったばかりで」


 髪に挿した簪から、細かい光がもれる。


 冰遥にだけ見えるその光は蝶となり舞い、ふとヤン夫人の指先に——触れた。


 冰遥はしずかに目を閉じる。瞼のうらに、情景がうかぶ。ヤン夫人の回想に落ちてゆく。


「珍しい紫色――いえ、青紫色の目をした、それはそれはきれいな方がいて」


 白い面。こちらをぎろりと覗くあの、印象的な眼差し。


 間違いない、あの女だ、と冰遥は思う。


 賊徒だったあの夜、冰遥を術でさらったその正体。あの、幽鬼だ。


「そのひとは、いろいろなひとを占っていたのよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る