第四章 紗羽采娘娘のこと

ただただ、あなたを信じていたいだけ

金色の命のある限り


 ああ、なんて彩のない目だろうか、と冰遥ヒョウヨウは思う。


 光という光をすべて吸いこんでしまったかのような、底の抜けた彩。


「青い、目だったんだ」


 ゼンが、くちびるを噛む。彼の身に舞い落ちた邪術の残像が、ほのかな光を放ちながら形をつくり出す。


 彼の記憶に、仙がひきだそうとしている想いに塵が反応している。


 多様な彩に縁取られ、ささやかに煌く細粒が仙の記憶をかたどってゆく。


 蠢きながら姿を変えるそれに驚いた冰遥が隣の露楊ロウヤンを見ると、彼女は俯いて兄の話に耳を傾けているようだった。


 なるほど、己にしか見えぬものなのか、と理解した冰遥は、仙の声に耳をすます。


「白い面をした、うら若い少女だった……」


 冰遥にだけ見える《記憶》が、光とともに蘇ってくる。


 ――白い面の女とともに。





 宮中は何百にもなる屋舎たてものから構成されている。すべてが管理のもとに仕切られ、住まうひとも分けられている。


 宮廷のなかでもひときわ豪華絢爛ごうかけんらんに建てられたのが、皇帝の住まう宮闕やしき


 ここに気軽に立ち寄れる者は、皇帝の血を引く者しかいない。


 仙はある晩、この宮闕にいた。


 皇帝暗殺をくわだてた黒幕をさがしあてるためだ。


 賊徒の情報通から『王宮にいる占いをする奴が、黒幕と関わりがある』と聞きつけ、やってきたのだ。


「どこにもいねぇじゃねぇかよ……」


 仙はつぶやき、気だるそうに前髪をかきあげる。彼の手に、一切の灯りも持っていない。


 夜は深い。


 灯りをともさず眠り、暗がりを好む皇帝の好みにあわせ、夜の故宮こきゅうに一切の灯籠はなくなる。


 暗がりの夜の路を歩くのに、灯りは必須だ。


「どこもかしこも暗いんじゃぁ、灯りなんてすぐに探せると思ったんだけどなぁ……?」


 彼はつまづきながら、歩きつづける。


 信頼できる情報通から聞いた話だ、いないわけがない。そう思いながらただ目前の闇に目をこらす。


「おぬし、こないな夜更けに行燈ももたず、何をしているのだ?」


 鈴のような声が、ふと闇から聞こえた。


 思わずふりかえると、先ほどまではなにもなかったところに女が立っている。青い目、艶のある黒髪、白い面のうら若い少女だ。


 手元には、小さな雪洞ぼんぼりを吊るしている。


 仙はおもわず眉をひそめた。


 なぜに彼女の気配を察せなかったのだ、と。


 ——異質だ。たどりついた答えはそれだった。すぐに気配を変え、警戒にはいる。


 賊徒の組織にいるうち、気配を消すのに長けた者を幾度となく見てきた。だが仙は知らない。ここまで巧妙に、気配を消す者を知らない。


 まるで——はじめからそこにいなかったかのように。


「おぬし、占いはしやんのか?」


 女は、人の規格を超え神秘に満ちた青い目を細め、まなじりを緩めると唇を割った。


 さながら春に咲く桜のような、それでいて奇妙なほどに端正な顔だった。


 女はくいっと口角を引き上げると、手招きをするように身をひるがえした。


「少し参れ、占ってやる」


 行燈の灯りが、一瞬だけ、黒くはためいた気がした。




「それで、ついていったのね?」


 幻想は終だというように数瞬すうしゅん閃き、蝶の鱗粉りんぷんがそうであるように宙へと散っていった虚像にれながら、冰遥は恍惚こうこつとした表情で尋ねる。


「ああ。特にその晩、何かがあったわけじゃないんだ。少し話をしただけ。けど……すぐに分かったんだ。こいつが黒幕だって」


 仙の瞳の奥が、その黒く、深く、沈んだ瞳の奥が金に燃えている。


 金となり黄に紅花べにばなほむらとなり赤に芍薬、水となり青にあさがお、土となり緑に欝金香チューリップ、毒となり紫にトリカブト


 冰遥は邪術のことばを反芻しながら、その美しい彩のきらめきを眺めていた。


 熱情となり金に金蓮花きんれんか、知性となり銀に木白香もくびゃっこう、力となり銅に白薇ふなばらそう


 じゃあ、その眼睛がんせいにたゆたうは熱情なのか。


「だから、力を貸してほしい」


 金の光をただよわせた瞳で、仙は言の葉を散らす。


 鶴のような声で、遠くまで滑らかに届きそうな清らかな声だと、彼女は思った。


「俺たちと、一緒にたたかってくれ」


 その瞳の奥が、金に燃えている底が揺れている。怯えだろうか、畏怖だろうか。否、安っぽい感情を超越ちょうえつした彩がある。


 邪術のことばにあてがえば——それは彼の強い熱情なのだろう。


 軽々しく首肯しゅこうするのがはばかられた冰遥はちらりと隣の露楊に視線をうつす。


 彼女の瞳にも、やはり金が見えた。


 ——金はどう転じようとも黒にはならない。なぜなら金は純なる彩だからだ。


 冰遥は安堵の嘆息たんそくをすると、蜂蜜のように柔らかい微笑を口元にうかべた。


「もちろん、争います」


 仙の張りつめた息が、ほどけるのが見えた。


 口には出さずに胸懐むねのうちに仕舞うにとどめた言葉が、彩をにじませて広がる。


 ――もちろん、争います。命のある限りは。彼を護ろうとする限りは。

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