《白》へと還す


 冰遥ヒョウヨウは簪をぬく。


 長く絹のように美しい髪が留め具をうしない、ふわりとおろされ、彼女の背に放射状を描いて舞う。


 冰遥は指先で簪をくるりと回すと、ふぅっと息を吹きかけた。


 転瞬てんしゅん、玉が、深緑ふかみどりから赤紫あかむらさきへとぐゆりと色が変わる。


 死骸が息を吹きかえすように、薄青紫――楝色おうちいろをたたえた炎がぶわっと立った。


 瞬間、炎からか——風が吹きつけはじめ、冰遥の髪が炎をかこむようにさらさらと散りはじめる。


 不思議な色をした奇麗な炎から光をうけ、月光の余韻を残した夜のなかに、その異質な彩は浮かびあがり見惚れるほどに美しい。


 露楊ロウヤンは、その情景の美しさに息を呑んだ。


 紫色の目は炎に誘発されるようにいっとう光り、揺れる炎に照らされる白い面はさらに滑らかで美しく。


 あでやかに、さらに細やかにさらりさらりと宙へ舞う漆黒ともいえよう髪はくすしくも、神により創られた奇跡、神秘に満ちた白銀しろがねに見える。


 まるで、毒蜘蛛がその住処に糸を張り巡らすような。

 おのれに近づこうとする外敵から身をまもるような。


 そんな、鮮やかな白銀だ。


 ――炎はすべての源。転じて、《白》へと還す。


 冰遥は胸中にしてつぶやき、薄く白金はっきんを帯びた眼睛がんせいを開く。


 手に握った新月塩を口に含むと、炎へと吹きかけた。


 須臾しゅゆにして炎は消えたかに思えたが、次の刹那せつな麒麟きりんうろこのような黄色い炎があがった。



 彼女は戦場で、敵の呪いにかけられ死に倒れゆく戦友たちを見てきた。


 医学、薬学、看護学、いずれも意味をなさず、あきらめかけたときに頭に響いてきた言葉。


 ――炎はすべての源。転じて、《白》へと還す。


 凛とした、水音のような爽やかな声だった。


 悪も転ずれば善となる。

 術も転ずれば、きっと命を助ける術となろう。



 冰遥は炎を手にすると、力を与えるように炎に息を吹きつけた。


 ――炎は黄色のまま、細やかな光を散らしてゆらゆらとはためくと大きな蝶となり、冰遥の手から舞いあがる。


 蝶は左へ、右へ、と不安定に飛ぶと、ゼンの胸へと降り立った。


 くらい紫の紋が、耀かがやく蝶にふれ、まばゆいほどに燃え、白く発光する。


 白い炎と発光は紋をたどるように全身へと広がってゆく。胸から首、上腕、胴体、そして下半身へと。


 仙の体が、白くつつまれる。


 蝶もやがて《黄》から《白》へとかわり、紋を焼いた炎をまとっていっとう耀き大きく舞いあがる。


 宙に浮かび、ひとつ羽ばたくと細かな光となって、鱗粉りんぷんのように仙へと降りそそいだ。


 ――まるで流れ星のように。


 その光が仙にそそがれ、まったく見えなくなると仙が薄ら目を開いた。


「兄貴っ!」


 露楊があわてて兄へと駆け寄る。


 上体をおこすと、反動でつい咳きこんだ仙の体を露楊が支える。


 日頃あれだけ兄のことをあざけり、罵っているように見えても彼女からすればかけがえのない兄なのだ。


「ここは……」

「私の住まう離れ。兄貴が倒れてから、ここへ隔離してたの」


 仙は見慣れない景色に眉に力をいれると、ふと目に入った自分の手に驚愕の色を顔にうかべた。


 指先から真っ黒になるほどに全身を覆っていた紫の紋が、跡形もなく消え去っていたのだ。


「これ、なんで……」


 しわがれた声をだす。

 死人のように青ざめていた顔に、朱をさすように赤みが戻ってくる。


「姐さまが、解いてくれたのっ! 姐さまっ、ありがとうございます、なんとお礼したらいいのか……」


 深緑ふかみどりへと戻ってしまった簪を拾い、懐にしまっていた冰遥に露楊が振りむく。


 深々と頭を下げられて、いえいえと首を振る。


「できることをしただけです」


 仙からも感謝をつげられ、また首を振る。


 ――それよりも。


 仙についていた邪気は、まったく消えていなかった。


 やはり、かけられていたのは蠱毒こどくで、一種の呪いであっても彼にまとわりついた邪気は消えないのだ。


 今度は、この邪気をたどっての居場所を突き止めなければいけない。


「仙、ちょっとだけ話をしてもいい?」

「ああ、大丈夫だ」


 話せる状態でなければどうしようかと思っていたが、そこまで酷くなさそうなのを見て冰遥が提案をする。


 ああ、やっぱり果てしなく黒いな、と冰遥は思う。


 あれはまるで邪術ではない。


 ほかの人の邪術など見たことがないが、邪術は火からなり炎に転ずるのが普通なはずだ。


 なのに——なぜ、あの邪気は黒く燃えているのだ。


 冰遥は脳裏によみがえった幽鬼ゆうきを認めて、ひとつ大息たいそくした。


「心当たりがあるのなら答えてほしい」


 炎はないはずなのに、月光の余韻を肌に受けた冰遥は白銀に耀いて見えた。


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