強すぎる情はいずれ呪いとなる


「……蠱毒こどくのようね」

「そ、んな」


 しょうに横たわった仙は、死んだように眠っていた。息をする暇もないように、泥のなかに沈むように。


 皮膚には蛇が這ったようにくらい紫の紋が浮きでていて、それは首にまで達した。


 他のものならば胸に到達した時点で死んでいるだろうが、これは蠱毒だ。時を経てじっくりと命を奪うもの。


 夢を見ているのか定かではないものの時折苦しそうに顔を歪めることで、ようやく彼が生きていると認知できた。


 五月五日に毒虫を百匹集め、蛇、蜈蚣むかで、蛙らとともにひとつの壺に入れて共食いをさせ、生き残った一匹を神霊として祀る。


 その最後に残った一匹こそが、蟲毒とされこの地で古から恐れられてきた呪いのひとつだ。


 いかなる浄化も効かず、知らぬ間に身を滅ぼされる最古からなる毒。


 ――いかなる浄化も効かないのは、邪術も同じね。


 露楊は頬をひきつらせて弱々しい息をらす。


「蠱毒となれば、解毒しかないのでは……」

「いいえ」


 鈴の鳴るような、りんとした声で冰遥ヒョウヨウは言いきった。


 蠱毒は、明涼国ではなく炎尾国から生まれた。


 炎尾国を建国した彼らは呪いを産み、術を広げ、毒を蔓延させた者たちだ。


 蠱毒はではなくだ。


 毒となれば漢方や解毒のための薬草が必要になる。毒の力からなる術式もしかりだ。


 だが、呪いを含め術は術でしか解けない。


 異境いきょうでは『目には目を、歯には歯を』という法典があるらしいがそれと同様の理屈だ。


 同じたちの者にしか、その質は暴けないし呪いは解けない。


 逆に言えば今回は——呪いだから、安易に解けるだろう。


「蠱毒は、毒ではあれど《毒》に造られた呪いにすぎない。……どうにかすれば、解けるわ」

「本当ですか!」


 露楊ロウヤンはすがるように冰遥の腕を掴む。


 冰遥は、五指を食いこませていることに気づいていないだろう彼女を宥めると、黑々フェイフェイを呼んだ。


——それで、呪いを解く手だては分かるんだな?

——一応は分かるけれど、それが果たしてあっているのかは分からない。なにせ久しぶりだからね。


 邪術から火をだせるようになったのは久しぶりだった。


 本来ならば火があってこその《邪術》であり火がなくして邪術とは呼べないのだが、すっかり忘れていた。


 だが、《火》を澎湃ほうはいと思いだした今となっては、呪いは解けるだろう。


——確信してるんだったら心配なんざしないでおけ。


 透視したのか怪訝けげんに思うほどに、黑々は常に確然かくぜんとした態度で心情を適切に切りこんでくる。


 冰遥は婉然えんぜんと丹唇を引きあげ微笑をうかべる。


——感づかれていたか。

——お前のことで分からないことがあるとでも思っているのか? あなどるにもはなはだしい。

——それもそうだな。


 《紫》は《毒》の色だ。


 金となり黄に紅藍べにばなほむらとなり赤に芍薬、水となり青にあさがお、土となり緑に欝金香チューリップ、毒となり紫にトリカブト


 火となり炎となり、転ずることで昇華する。


 室の片づけをしたと同じ要領で。


 《毒》の《紫》を消す、《黄》に転じなくてはいけない。


 難しいかと問われれば安易なものではないと答えるだろう。邪術の源は炎であり彩だ。


「露楊、塩はあるかしら」

「塩、ですか」


 おのれの力だけで《黄》に転ずることだってできる。できるが、それは純粋な《黄》ではない。


 《紫》は強い毒性を持つ。


 生となり白に白百合。死となり黒に黒百合。


 不純物が入れば、《白》ではなく《黒》へと変わってしまう。


 黒は厄だ。ひとを死にいたらしめる彩だ。それゆえ、不純物の交じらぬ《黄》を転じたい。


「なるべく上等な塩がいいわ。……新月塩は、あったかしら」

「――! 今すぐに持ってきます!」


 新月の際にだけとれる、新月塩。


 不純物が混ざらず、その上龍からの力を多大にうけ結晶化した、まさに神の塩。


 脈はあるものの、胸の上下運動さえも見られない仙は、縁起でもないが死人のようだった。


 しばらくして戻ってきたはかはかの露楊から新月塩を受けとる。


 どこから頂戴してきたのか謎だが、問いただすことでもないので口を噤み、塩を握った。


 曹冑母ナトリウムは燃えると《黄》の彩へと変化する。


 術をあつかうのは彩で、火だ。


 そこに、骨肉からみだしたとくべつな力をのせる。

 簡単なようで、案外力加減の難しい作業だ。


 本当ならば兄のことが心配でならないだろうに、じっと息を殺し堪えている露楊のためにも、ここはしっかりと解呪しなければいけない。


「露楊」

「……はい」


 うすら涙を湛えた露楊に振りむく。


 その瞳は、けることのない冰の結晶のように、凍てついていた。


 今は存命かすら分からぬ老爺ろうやに言われた言葉が、耳元でよみがえる。


 ――太强烈的感情终究会变成诅咒強すぎる情はいずれ呪いとなる


「……兄上が毒されていたたまれないのは理解できるけれど、その思いを誰かに向けてはいけない。それは他者を侵し、いずれあなたの身を滅ぼす」


 呪いは相手にかけて終わりではない。己につてが回ってくる。


 何事も、程度をすぎれば火となり炎となり、それは多様に転じていずれ死となり《黒》となる。


 その身に脈づく火が、死に転じぬように。


「……分かりました」


 露楊はそう、低くつぶやくと涙を拭った。


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