<装飾>
「あっ、冰遥さま! おはようございます!」
調理処は食材を切ったり、下ごしらえをしたり、薬草をそろえておくところであり、庖厨とは異なる。
庖厨は食材を調理し、器に盛りつけるまでを行うところだ。
なにより、調理処は
そして冰遥は最近、この庖厨によく出入りしていた。
そのおかげか、ここで働く女官とも打ち解け、みな冰遥を見ると笑顔で駆け寄ってきてくれる。
「おはよう。体調は悪くない?」
「とびっきり元気ですよ!」
新春に入ったばかりだという女官にたずねると、とびっきりの笑顔をかえされた。
元気にこしたことはない。
毎年、仲秋から晩秋のころは
炎節に田畑が枯らされ、苦労の末にようやく米や作物が収穫できると、次に㽲が蔓延しだす。
数百年前までは、中秋節というと月を祀り幸福を祈るだけだったと伝承があるが、今はちがう。
月を祀り、幸福と円満を祈るとともに、㽲の収束を祈る祭りへと変化したのだ。
皇室では毎年、その㽲のはやい収束を天に祈る儀が行われる。それが、今回冰遥たちに課せられた最後の試験でもある<宵夕雨>だ。
冰遥はひとつ嘆息すると腕まくりをして、磨きあげられた包丁を持った。
彼女は、のこる最後の試験である<装飾>に、料理への<装飾>を選んだ。
ほかの女人たちはみな、こぞって華やかに見せようと華道や
生けた花や描いた画は、儀のなかで装飾としてつかわれる。
躘などの皇室の目にとまれば、幸運だくらいの心意気だろう。
だが冰遥は違う。
冰遥は料理を<装飾>としている。
料理は、官吏が評価するのではなくて儀に参加した皇室や大臣らの反応を評価とするのだ。
ほかのむすめたちに、華道や画道ではかなわないことなど知っている。
だからこそ、違う分野で評価をとらなくてはいけない。
それゆえ、冰遥は試験のために庖厨にて、皿の選び方や飾り細工の仕方をならっているのだ。
「冰遥さま、いらっしゃったのですね」
「尚食さま! 本日もよろしくお願いします」
庖厨の裏手から、ひと際目をひく鮮やかな
後宮で食事の管理をしている最高責任者、
もっとも、女官として下っ端の雑用から十年もたたずに尚食まで昇りつめた正真正銘の実力者だ。
「今日は飾り切りで、孔雀をつくってみましょう」
手早くたすきをかけ、包丁を持つ。手には
「孔雀? 朱雀ではないのですか」
儀や宴会での料理で見たことがあるのは朱雀と龍くらいだ。華やかなそのふたつは、よく飾りとして用いられる。
「ええ。今度の中秋節では、翡翠色がおもに用いられるようです。国鳥である孔雀にすることで、色を揃えられます」
明涼国の国の象徴は、孔雀だ。
国鳥をとりいれ、青系の色で揃えることで、料理が悪目立ちすることを防ぐ魂胆だった。
「……すごい、ですね」
「んふふ。お褒めいただいて光栄です」
ものの二分で、小さな孔雀が酸橘から
包丁の描く筋に一切の迷いはなく、潔く切り落としては刃先で細部をつくる。
特にむずかしそうな動きは見られなかったが、仕上がったものは実に
冰遥のつくる<装飾>の料理は、一皿だけでなく幾つかの皿を用意する予定だ。
黑々に話を聞いたところ、海を渡った向こう側では、前菜や湯などを少しずつ皿にとりわけ、それを順番に食べて楽しむ文化があるのだそうだ。
それを再現してみようと文献を読み、尚食に伝えたところ、是非と返事があったため〈装飾〉として、一連の皿運びを冰遥が計画し、つくり、振舞うことになっている。
前菜には、くらげの冷菜と
松花蛋は伝統的なものであるため、上質なものを尚食に仕入れてもらっている。
次に
湯は、胃を温める役割もになうため、ついほっと息をつく懐かしい味にしたかった。
候補はたくさんあった。
だが、結局
あの白濁した濃厚でうまみの溶けだした白湯こそ、ほっと息のつける湯ではないかと冰遥が提案したのだ。
次に
次は海の幸。
最後の点心には、もちろん月餅をだすつもりだ。
中秋節はもともと月を祀り、家族で円卓をかこみながら月餅を食べる祭り。
料理の最後には月餅が適切だろう。
「色彩をもっと豊かにしたいのですが……どうすればよいのでしょうか」
「練り物や二十日大根でも飾り切りはできますから、いろんな野菜で切ってみましょう」
「はい!」
実家にいるときに、料理をつくるのは冰遥と母だった。けれども包丁の形状がちがうためはじめは苦労した。
冰遥は気合いをいれなおすように頬を叩き、包丁を持った。
中秋節までは、あと半月もない。
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