捨てられた琵琶
「一体、どうしたっていうの?」
優しくなだめるように問う。
だが問いに答えず、文琵は鼻水で鼻をならしながら、見えない壁でもあるかのようにそそりと距離をとる。
冰遥は、彼女がとった微妙な距離に心地のわるさを感じかすかに眉をひそめたが、
厄介だ、とぼんやりとして考える。
彼女と接していると、どこか掛け違えた歯車をめいいっぱいに回しているような感覚に陥ることが多々ある。
それはまだ見ぬ銀河の元から始まったなにかが果てしなく自身を包むような、不思議な感覚なのだが、実を言うと冰遥はその感覚が好きではなかった。
彼女と話していると、自分が自分ではなくなっていくような気がするのだ。
そしてその感覚は、彼女と真面目な話をすればするほどに濃く、厚いものになるからより厄介だ。
「わたくしの話を聞いてください。……ですがその前に、わたくしのことをお許しください。使用人として、冰遥さまをお守りできなかったわたくしを、どうかお許しください」
懺悔でもするように、額を床にこすりつけて懇願する文琵に、練っていた言葉が消えうせていくのが分かった。
知らないひとを見た。
涙を流し、現実にうちひしがれたかのように乱れ髪を床に散らしながら──まったくの別人が、床で礼をとっていた。
この女人は文琵でありそれは変化していないが──冰遥には、どうしてもそう思えたのだ。
「顔をあげてよ文琵」
「いえ、わたくしが悪いのです。あなたさまをお守りすることが使命ともあろうわたくしが……」
話のらちがあかない。
胸にたまる
――文琵から聞かないと、意味がないから。
彼女が何に追い詰められているのか。
冰遥には心当たりなどない。
まちにいたときには常に行動をともにしていたし、お互いに隠し事はなかったからすぐに気がつけたかもしれないが、今は違う。
冰遥は舞のほかにも、違う試験の科目についても師がついている。
文琵は
どちらも忙しく、お互いに十分な時間を見つけることができなかったのかもしれない。
だからこそ、今回は文琵の異変に気がつけなかったのだ。
今度のことは、わたくしにも非はあるわね。それも多大に。
人知れずため息をもらしながら、冰遥は思う。
目の前にいる文琵はまだ震えていて、可哀想なくらいに顔を青くしている。
さて――彼女からどう、話を聞きだそうか。
邪術をつかってしまえば、彼女がなぜこんなに苦しんでいるのか聞きだすことなど簡単だろう。
けれども、冰遥は文琵に対して邪術をかけることをよしとしていなかった。
邪術は本来そういう使い方をするものではないから、だ。
話をすれば分かり合えるのに、わざわざ邪術を使う意味などない。
そのうえ、冰遥が聞きたいのは、強引に口を開かされた言葉ではない。
――わたくしが聞きたいのは邪術により無理に引き出される本音じゃなくて、文琵がわたくしに伝えようとしてくれた言葉なの。
だからこそ、文琵の心に寄り添って話を引き出さなくては。
「文琵」
涙にぬれ、痛々しく赤くなった目を向けられる。
それを見ただけでぎゅうと胸がしめつけられた。ああ、心が痛い。胸も痛い。
「わたくしに、教えてほしい」
文琵が、試すような、本質を探るような心地の視線を送ってきた。
口元に微笑をうかべた冰遥は、冷たくなり震えた文琵の手をそっととり、握る。
「あなたに、何があったのか」
わたくしではなく、あなたに。
そう強調するように付け加えると、文琵はたまゆら冰遥の目をじっと見つめていたが、ふと外すと大粒の涙を床にこぼした。
「お話いたします。……ので、どうか最後まで聞いてください」
「もちろん」
不安げに瞳孔をゆらす文琵の手を強く握る。
――大丈夫、わたくしたちの仲じゃないの。
そう念じるように手を握ると、それが伝わったのか、文琵は覚悟を決めたように冰遥の目をまっすぐに見つめかえした。
少女の年のころに、両親に捨てられた。
文琵のいた民族は、血縁関係に関わらずみな髪も瞳もばらばらの色をしていた。
むろん、例にもれず彼女の両親も、片方は白目白髪だったが片方は赤色の髪に黒目だった。
そして彼女もその通りに、黒髪にうっとりするくらいに鮮やかな碧眼で生まれてきたのだが――。
彼女の瞳は、青ではあったが同時に紫のような色味をたたえていた。
彼女の民族は多様な色味の髪や瞳をもつが、唯一、どこにもいない色味がある。
それが――紫であった。
彼女の生まれた民族には様々な掟があった。
ついには
彼らのなかで伝わる伝承が彼らの法であったし、法には必ず罰すべき対象になる者がいた。
文琵もそのひとりであった。
彼らにとって紫とは、忌み嫌うべき存在であったのだ。
彼らの伝承に触れると、その謎がとける。彼らの間に千年以上つづく伝承のなかにこんな話がある。
ある紫の目をした少女が民族のなかにひとり、はじめて生まれた。
人々は欠けた最後の色味であった紫が生まれたことで、完全体になったと祝い、うたげを開き、酒をかわした。
だが、成長するにつれ紫の色味を持つ彼女は横暴になり、ついには民族滅亡の危機を招いたのだという。
彼女は、人々をまとめる
人々の間で
それだけで済むかと思われたのだが、彼女と同じ紫の子が生まれると一族が変死したり、疫病が流行ったりした。
それまでは特に偶然としか思っていなかったのだが、そこまで不運が重なると呪いのようなものだと疑わなくなってしまった。
そのため、彼らは紫の色味の子が生まれるたびに
それが、彼らの歴史であり掟。
そして、例にもれず文琵も捨てられた。
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