少女の問い


 色が他と違うことは、そこまで悪いことなの?


 あの日、幼くてまだ狩りも知らない少女のことを捨て、呪われた子だと罵った両親へと向けた問い。


 その問いは、言葉になることなく、ずっと少女の胸のあたりをたゆたっている。


 成長し、名がない民族に生まれた少女も名を持つようになり、言葉も話せるようになった今でも。


「文琵、調子はどう?」

「冰遥さま……」


 いつものように絶えず笑みをうかべながら医務室をたずねた冰遥に、しょうに横たわっていた文琵が名を呼ぶ。


 その声が、数夜前にくらべいささか元気そうで彼女は安心する。


 冰遥はにっこりと笑みを深めると、心配そうに眉を下げたままそばへ腰をおろす。


「体調はどうなの」

「……よく、なりました。ですから、冰遥さま――」

「だめよ。まだだめ」


 冰遥に遮られ、不服そうに唇をとがらせるが、彼女は気にせず茶を煮だす用意を始める。


 少女にとっての大切な主人は、少女に美しい名をつけた。


 それも『文琵』だ。


 上品という意味をもつ文、そして美しい音を奏でる大陸に伝わる楽器、琵琶。


 はじめて会うひとに名を教えると、いつもきまって「美しい名ね、わたしもそういう名がほしかったわ」とうっとりされる。


 そのたびに、文琵はおのれの主人の奥ゆかしさに感動してしまう。


「冰遥さま、いけません。使用人のために主人が茶を煮だすなど……」

「妹と言えば許してくれるわ。そこまで心配しなくてもよいのよ」


 釜で茶を煮だしている主人に、とどく言葉はもうない。


 文琵は早々に悟り、起きあがろうとしていた体をもう一度牀に横たえると、主人が笑った気配がした。


 風炉ふろの上にのった鉄釜から、湯が煮えたぎる音がする。


 この贅をつくした王宮では、茶をひとつ入れるのにも茶壺ちゃこから茶海ちゃかいから、器まですべて階級ごとに使用するものが決まっている。


 高級な茶を入れたときには、それ相応の茶杯ちゃはいを用意しなければいけない。


 茶をひとつ楽しむにも、作法や手順の多すぎる茶の文化だ。


 だが冰遥はあまり細かいことを気にしない性格であるからか、茶を淹れるよりも煮だす方が好きだ。


 そもそも、あの綿密めんみつな工程を、大ざっぱな彼女が覚えられるかどうかが最大の神秘ふしぎだが。


 それゆえに、冰遥は茶を煮だしている。これは家にいる時から変わらぬ調子だ。


 手のひらに乗るほど小ぶりな艶のない白磁はくじ茶罐ちゃかんの蓋を外し、釜の上でひっくり返す。


 量を計るようなことをしないのがまた彼女らしい。


紫砂しさのものを持ってこようと思ったのよ、はじめはね?」


 文琵は主人の背中をみながら、茶壺ちゃつぼの姿を脳に思いおこす。


 きっと、はじめは主人も茶を――伝統的な美しい茶を、わたくしに淹れようと思っていたのですね。


「けれど……ほら、わたくしってば、あまり細かいのが得意ではないじゃない?」

「ええ、存じております」

「だから、もう気取ったことはやめて、いつもの茶でいいかと思って」


 冰遥はそう語ると、恥ずかしそうにふふふっ、と気まずさをまぎらわすように笑った。


 さじを白い手で取り、釜の中をゆったりとまわす。


 彼女の召している流麗な召し物を見て、文琵は思いだした。


 金糸銀糸の刺繍が、まだ間に合っていない。


 尚服しょうふくに頼まれていた、次の戴冠式たいかんしきで新皇帝の召される装束しょうぞくの刺繍がまだ終わっていない。


 日差しに透かれうすら輝く美しく、滑らかな生地にあしらう予定の図面も、恍惚こうこつとするほど美しかったのに。


 雲井くもいに住まう、この世を統べる神の眷属けんぞく――龍の上る豪壮な姿。


 年中雲に同化し、人の目からは見られない聖なる生物。


 その存在を、美しく、そして大胆に服へと刺繍してさしあげようと、そう仕上げようと思っていたのに。


「冰遥さま、お願いがあります」


 そう真剣な声色で言うと、するりと冰遥が振りかえる。怒っている様子はない。


「もし、良くなったからここから出たいと言っても速攻で却下よ」


 厳しい口調で返される。こうなることは、文琵もはなから知っていた。


「……次期皇帝のお召しになる服を縫わなければいけないのです。これは一番重要なもので、次の戴冠式でお召しになるもの」

「……それで」


 語尾の上げ調子でさえも忘れ、冰遥が不審そうな視線を文琵にむける。


「病床にせるわたくしも悪いのですが、それだけは仕上げなくてはいけません。裁縫だけ、用意してくださいませんか」


 文琵の言葉に、数秒思考してからはあああああ、と深いため息をつく。


 ぐつぐつと茶が煮えている。


 冰遥はひしゃくを持ち、ぐるぐると釜を混ざすと大ぶりな茶杯へと注ぎこむ。


 茶からあがる湯気とともに、青にがくも甘い香りがする。


「分かったわ、あとで取ってくるわね。怪我や無理はしないこと」

「ありがとうございます……!」


 まさか許されるとは思っていなかった。


 そんな表情をしていたのだろうか、文琵を見た冰遥が、不愉快そうな、苦虫をつぶしたような顔をする。


「なに、そこまで厳しくはないわよ」


 拗ねたような口調でつぶやくと、あたたかい茶をわけた茶杯を手わたしてくれる。


 文琵はやさしい微笑みをうかべた主人を、ふと見つめた。


 少女の年のころに抱いた長年の問いを、突然この人に投げてみたくなった。



 ――でもきっと。一蹴されてしまうのでしょうけれど。


 文琵はそう胸中きょうちゅうでつぶやいて、ずずず、と小さな音をたてて甘くも独特な苦みをふくんだ茶をすすった。


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