三章 少女のこと

ただただ、あなたとともにいたいだけ

若紅安の接近:文琵


「これで、舞が上手になるの?」


 困惑した顔をして、不安げに隣に立った露楊ロウヤンを見る。


 少女はふんと胸を張り、冰遥ヒョウヨウの手にそれはそれは――長い竹馬を握らせた。


「体幹と平衡へいこう感覚は、舞においても重要です。あねさまは、そこが少し弱い。せっかく形がとれても、すぐにぼろぼろ……と崩れていく」


 分かりやすく手の動作つきで言われると、癒えかけた傷をえぐられた気分になる。


「うぅっ……」


 自分でも自覚していたのだろう、痛いところを突かれて悔しそうに唸る冰遥を見て、ゼンがふんっと鼻で笑った。


「弱いとこばっかあって良いとこねえな」

「……うるひゃいわね!」

「急に怖いな」


 おおっと演技がかった反応を見せる仙に、冰遥がむすっとする。


 わたくしだってちゃんとやろうとしているのよ! 実力がついてこないだけでね!


 噛んでしまったことに赤面しながら、あらためて渡された竹馬を握りなおす。


 じりりりり。手のひらに握りこまれ竹馬が音をたてる。


 冰遥は下から上へと流れるように竹馬を見たあと、足をかけ、前に反りだすようにして直立する。


 常人ならここで倒れているところだから、やはり冰遥が普通のひとではないのが分かる。


 仙は平衡を保とうとぐらぐらしている冰遥を見て、ふっと嘲笑ちょうしょうと類似した引き笑いをこぼす。


 こいつは難儀なんぎもすぐにやってのけるよな――と、感心する面もある。


 だが、この域だと怖えな――と、引いている気持ちが大半である。


 ぐらぐらと揺れている冰遥へと、同じ高さの竹馬にすらりと乗った露楊が歩きながら声を張る。


「姐さま!」

「うおっ、あわわわ、あぁぁっ! 危ない!」

「ちょっとぐらぐらしすぎ……!」


 ひやっふうっ! あぎゃぎゃああぁぁぁっ!?


 奇声をあげながら、なんとか竹馬に乗るおのれの身を安定させている冰遥に、肝を冷やす師二人。


「話、しても大丈夫ですか」

「ごめんなさぁい……どうぞ」


 幾分か安定した冰遥の姿を見て、師があきれたような声をだす。


 眉を下げて謝罪をし、師へと話の主導権をわたすと、少女はにっこりと口端をあげる。


「それでは、訓練内容についてです!」


 白い歯を見せ、鍛錬のせいで小麦色に焼けた肌が日光に騒がしく照る。


 それを目を細めて見ると、ずいぶんと健康的な少女のように見えた。実際そうだが。


 だがこの話を竹馬の上でするのはどういう意図だろうか。下にいたときでもできたじゃないか。


 冰遥は思ったが、師からの「このくらいの時間静止できなくてどうするのだ」という隠された意味なのだと納得して話に耳を傾けた。


「舞は、身のうちから湧きだしてくる感情と物語、喜怒哀楽、どんな表現でも可能です。だからこそ、その幅を広げなくてはいけない」


 なるほど。


 語尾を上げて言うと、少女はその笑顔を一層深くさせた。


「竹馬に乗って、出された動物の表現がすべて出来たら合格です!」


 簡単でしょう? と微笑みかけられ、簡単なのかどうかさえ分からない冰遥は、とりあえずうなづく。


 動物って……何、鶏とか、馬とか? と思いながら、とりあえずやるしかないと腹をくくる。


 師によれば、動物の表現で合格をとった上である訓練もするという。


「身法の訓練もします。踊りの組み合わせの確認ですね」


 うげえ、と声がれるのが分かった。


 冰遥はこの身法があまり得意ではなかった。


 始める前から否定的な冰遥に、露楊はその笑みを絶やさないままとどめの一撃をくだす。


「ちなみに、この訓練方法は私と兄貴しか通過できませんでした」


 そう言って、にしししっといたずらっ子のように笑った露楊に、背筋が冷えた。


 二人は身体能力の高さゆえに、戦闘や舞において優秀な成績をおさめられたということはともにいる冰遥が一番分かっている。


 逆に言えば、彼らにしか突破できなかった壁を、彼らまで身体能力の高くない冰遥が突破できるのかという問題になってくる。


「それ……わたくしにできるの……?」

「できるかではなくて、です、姐さま」


 戦場の悪魔と呼ばれた冰遥だが、この時ばかりは、露楊が真なる悪魔だと本気で思えた。


「……やるしかないってわけね」

「そういうことです」


 ぎらりと今までとはまったく異なる質の光をたたえた冰遥の目を見て、満足そうに露楊が笑う。


 骨にしみついた戦闘精神は、いつも穏やかにしている冰遥からしみでるように、その刺激的な色をやどす内包ないほうとなる。


「それでは、始めてましょう!」

「おねがいします」


 ふたりの訓練を見ながら、縁側に腰をおろし、ずずずと優雅に茶をすすっていた仙が、訓練に強制参加させられるのはそれから数分後のこと。




「しっかりと、隠せているのだろうね?」


 威圧されていることが手に取るように分かる口調でそう言われれば、文琵の体は縮こまるように硬直する。


「……もちろんです、姉さん」


 最敬礼――床へと、赤くなるまで額をこすりつけ礼をし、文琵は痛々しいほどに震えた声で言う。


 文琵の髪を雑につかみ、顔を引き上げる。


 垂れていたこうべを掴みあげられ、痛みに顔を歪めている文琵に構わず、女はつづける。


「ならいいんだよ。お前にはしっかり働いてもらわないとわりに合わないんだからね」


 そう言い、あざけるように笑うと文琵の頭を床に叩きつけるようにして放した。


 にぶい音とともに頭に直撃した痛みに悶えていると、女はひとりで楽しそうに話しつづける。


 誰も聞いていない演説会のような、滑稽さで。


「命を救われた恩人とかいう女がいたって、言ってたよな?」

「……そのお方は関係がありません」

「関係の有無を聞いてるんじゃあないんだよ」


 巻き舌をはさんだような発音をする女に、がくがくと全身を震わせながら文琵が反抗する。


「関係がありません! わたくしに用ならばわたくしだけに――」

「『わたくし』だって? ずいぶんとお高く留まってるじゃないの、家族にも見放されて民族を追われた身のくせに」

「やめてください!」


 ほぼ金切り声で叫ぶと、女は顔をしかめて文琵の首根っこを掴み床へと押しつける。


「うるっさいんだよ、お前は、あたしの、言うこと、だけ、聞いてりゃ、いいんだ!」

「いたい、いだいっ!」


 言葉が途切れるたびに、顔面が容赦ない力量で床へと叩きつけられる。


 痛みに、反射的に目から涙がぼろっと流れる。


「ごめんなさい、ごめんなさい、やめて、やめてくださいっ!」

「お前は一生逃げだせないんだ!」


 若紅安ルーフォンアンの怒号を聞きながら、文琵は息をするように、ただ謝罪を繰りかえした。

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