試験厳しくない……?


 広場に集まると、再び火花が散っていた。


 わたくしこそが皇太子妃に! と試験の官吏かんりにわいろでも渡したのか、誇らしげに座っている女人がいれば、まだ嫌味を言いあっている者もいる。


 まるで顔彩がんさいを所々に垂らしたような、さまざまな個性だ。


 冰遥ヒョウヨウはこちらを蜜をたらしたような顔で見つめるリョウを思いだし、粟立つようにざらりとした胸をおさえ、自分の椅子へと腰をおろした。


 ここにいる人たちは、すべて恋敵こいがたきになるのか。


 そう思うだけで、下腹がきりきりと痛んだ。



「これから行うのは、試験ではない」


 珍しくきびきびと話すヤン夫人を見上げ、冰遥は首をかしげる。


 試験ではないのなら、何をするのだろうか。


「今年の中秋節ちゅうしゅうせつでは、様々な儀が執り行われることとなる。新皇帝がこの国に君臨するためだ、儀もふえるだろう」


 冰遥は隣で座っている文琵を見る。文琵もこちらを見ていた。


 言わんとすることが、分かったような気がする。――が、それは冰遥にとっては地獄の幕開けのようなものだった。


 それを理解していたのか、文琵ウェンビもかすかに顔をしかめ、いまだ試験の説明をしているヤン夫人へと視線をもどす。


「そのため、これから執り行われる女人だけの儀、《宵夕雨しょうゆうう》を試験となす」


 やはりか――と、弱々しくため息とまじった声が、無意識に口からでてきた。


 冰遥はあわてて口元を隠す。不安そうな自分の声に、はじめてぎょっとした。



「試験内容はまい楽器がっき装飾そうしょく裁縫ほうさいのよっつ。どれも甲乙丙丁こうおつへいていにて評価とする。こうならびにおつを合格とし、へいていにしては落第とする。よっつのうち、みっつ以上が合格で次の試験に進むことができる」


 よっつのうちみっつ……。文琵がその試験の厳しさを反芻はんすうするかのように繰りかえす。


 先ほどまで散っていた火花のおもかげもない広場には、ただ行く当てのない絶望と沈黙がよこたわっていた。


 ここに腰をおろす者たちの心の内は皆同じであろう。


 ――そこまで厳しい試験がいまだかつてあっただろうか。


 前におこなった楽器の試験で、冰遥の評価はおつであった。


 まだ合格であるが、冰遥にはヤン夫人という後ろ盾がいて、手回しをしてくれてこそその程度なのである。


 彼女のつてが通じない試験――儀は本来、皇室以外のものが裏にまわり手出ししてはいけないものである――では、おのれの評価はいかなるものか。


 もともとつてを頼りにしていたのもな――とつぶやいたところで、冰遥は首を横にふる。


 否、つてを承諾したのも、彼女があの大きい黒目をむけて「沙華さまには、必ず皇后についてもらえませぬと!」と懇願してきたからである。


 まあそれがなければ、今ごろ落第していただろうが。


 恐ろしさに身震いする冰遥を横目に、ヤン夫人の隣に立っていた官吏が声を張る。


有無うむは個人に一任することにする。だが、下手にでて、皇帝陛下や高貴なお方たちの手をわずらわせないよう」


 その後は言葉にしなくとも安易に想像がついた。


 並んで座っていた女人たちの顔が、いっせいに青くなる。


 高貴なお方――とは、きっとこの者たちの父親や家門のことを言っているのだろう、と冰遥は推理する。


 手塩にかけて育てた上流貴族のむすめが、後宮への試験で落第ともなれば一家の恥である。


 わなわなと官吏がそれを口にした怒りか、恐れで震える女人を一蹴いっしゅうするかのようにヤン夫人が代わって声を張った。


 心してかかるよう、と滑らかに発音したヤン夫人の目線は、こころなしかこちらに向いているような気がした。



 その晩、ヤン夫人が冰遥をたずねてきた。


「朱氏から威圧されまして、わたくしの手出しができぬ試験になってしまいました。こうなっては実力だけが頼りです。わたくしのできることといえば、師を手配することしかなかったので、師を手配いたしました」


 それと、と付け足すようにヤン夫人が女官にださせたのは、最上ともいえよう楽器や裁縫のための糸や針だった。


 それとこれも、とこれまた付け足すように、金糸や銀糸であざやかに装飾がされた服が何枚も何枚もでてくる。


 宝石箱か、と思ったところで本当に宝飾品ほうしょくひんがでてきて、それはさすがに冰遥もぎょっとした。


 だがそれ以上に冰遥がぎょっとしたのはヤン夫人だった。


「どうか、どうか……こつ最上さいじょうをとり、ここに生き残ってくださいね」


 そう言い、ヤン夫人は涙で濡れた目尻を隠すようにうつむきながら、白い手で冰遥の手をとった。


 かすかにその手はふるえていた。


 その翌日から、舞と楽器の鬼のような稽古が――大切なことなのでもう一度言っておこう、稽古が始まった。

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