葛藤とゆれる心
翌日も、そのまた翌日も、
看病をつづけてもう一週間が経つだろうか。いまだ躘の顔色は悪いままだ。
いつも彼女は、青い顔をして書物を片手にほほえむ躘に迎えられる。
看病をすると言っているのに、寝つきが悪いからと横にならない躘に何度あきれたことだろうか。
冰遥のなかで、躘はいつもやさしくて甘い顔をして、にっこりと笑ってくれた記憶しかない。
その顔はどこか他人行儀であった気もするし、妙に大人びた雰囲気をただよわせていた気もする。
その表情を見るたびに、冰遥は胸がざらりとする感覚がして、居心地の悪さに胸をおさえることも多かった。
だが今は、躘はおさないころに見せてくれなかった弱みを
皇太子という宿命、本来ならば見せぬ部分を見せてくれるのは、うれしいことだった。
少なからず、冰遥にとっては。
そうして、彼がこぼすように吐露したあとは眠りにつくのだが、その最中で無意識にもがく姿を、冰遥は何度も目にした。
普段は繕って――どうにか隠している苦痛が、眠った途端にあふれかえって止まらないようだった。
苦しんでいる躘を目の前にして、躘を傷つけた者にたいしての怒りで目の前が暗くなることは多々ある。
自分はこんなにも感情の起伏がはげしいのかとげんなりする反面、躘を大切に思っているのだという心の安定剤にもなっていると冰遥は思っている。
黑々の問いにたいしての答えは、いまだ出せずじまいのままだ。
はじめて知った、血のつながった人の存在。
冰遥のなかに、それを手放したくないと思っている自分がいる。
躘を苦しめている張本人だとは分かっていても、どうしても会ってみたいと思ってしまうのだ。
この心優しい女人だからこそ、余計に、双方を救える手段はないのかと考え込んでしまう。
そして終わりのない思考のたびに身をゆだねていると、おのれはどうしてこんなに身勝手で欲張りなのかと悶々としてしまうため、考えないようにしている。
「最近、試験はなかったのにどうしたものかしら」
「早く皇太子妃をきめろと臣下たちから声があがっているとうわさを聞きました。そのためかもしれませんね」
冰遥のおつきなのにも関わらず、「なにもしないのは性にあわない」と言ってまだ配属もされていない
なぜそこまでするのか冰遥には分からないが、彼女が言うには有益な情報をとどけるためだという。
確かに、働きまわっている彼女たちは、色々なところで話を聞く機会があるのかもしれない。
女官たちの噂は結構当たっていたりするのですよ、といたずらっぽく笑った文琵の顔が思いだされ、冰遥は片眉をあげた。
試験は、なにやらおつきの者と一緒に行われるらしかった。
冰遥は試験会場となる、はじめここに来たときに火花が散っていた広場へと歩いていた。
まわりに女人たちの姿はない。
翡翠宮には十数人の女人がいるというのに、昼食をとるときも試験にいくときも、なぜいつも一人で歩いているのだろうか――。
冰遥は思うが、
試験のため、躘の看病は午後だけだ。
躘に会えない、それも午前中――冰遥はそう心の内でつぶやくと、思わずがっくりとうなだれた。
ちらりと冰遥を横目で見て、文琵が楽しそうに笑う。
「相当惚れこんでいるらしいですね、冰遥さま?」
「……む」
からかわれているように思った冰遥が唇をむちゅっと突き出してむくれると、文琵が高らかに、それも少し上品な様子で笑い声をあげる。
「うふふ。いえいえ、良いことだと思いまして。……祝言をあげようとしていた日には、こうしてここにいるとは思いもしませんでしたから」
文琵の言葉に、そんなときもあったなと冰遥は思いかえす。
あのころは、躘のことなんぞ諦めていっそのこと大人しく祝言をあげてしまった方がいいと本気で思っていた。
だが、そんななかでも文琵は冰遥のためにとずっと気持ちを聞いてくれていた。
結局、ここにくることになったのも、文琵の驚くほどの行動力と洞察力、そして鶴の一声があったからだろう。
冰遥はそこまで考えると、果たして彼女が見ぬけていないわたくしの気持ちなどあるのだろうかとむずがゆくなった。
妹というには出来がよすぎる文琵である。
「それにしても、今度の試験の内容、聞いていないの?」
冰遥が尋ねると、文琵はぎゅっと眉をよせた。
ああ文琵の顔に跡がつく、と話の脈絡からそれたどうでも良いことを思う。
「それが……女官も分からないというのですよ、まあどうせ嘘なのか知りませんけど」
「一気に毒づくね、文琵?」
「そうじゃないとやっていけませんよ。なにせ、わたくしらは今、女だらけの
そう言って軽く胸を張る文琵を見ながら、冰遥は人知れず首をかしげる。
なぜだか最近、文琵が変わったような気がしている。
冰遥が文琵を見つけ、家に持ちかえった――言い方があれだが――とき、文琵は炎尾国の言葉でとてつもなくひどい言葉を吐いていた。
もしかして、この子は育ててくれる親がいなかったのでは――。
そう思った途端に、冰遥は目の前にいるおさない子と親がいなかった自分を重ねてしまい、今に至る。
そのため元々、文琵は無口なだけで穏やかではないのかもしれない――と仮説を立ててみたりしたものの。
女だらけの社会でもまれたのか、はたまた元からそうだったのか。
なぜだか最近、文琵が――良い意味で、たくましい気がする。
「冰遥さまみたいには、たくましくありませんけれどね」
冰遥は苦笑をうかべた。やはり、文琵に隠し事はできないらしい。
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