分かる


――黑々フェイフェイ、頼みたいことがあるの。


 事情は説明できないと話しても、嫌な顔ひとつせずに分かったとだけ言ったリョウのことを思いだしながら、冰遥ヒョウヨウはつづける。


――おまえなら分かっただろうけれど、あれは危険よ。

――ああ。主人と同じ血が見える。相手はいつ野郎を手にかけるか分からない。


 黑々は人のいない周囲を見わたすように首をまわす。




 冰遥が感じとったのは、邪術の気配だった。


 前までは、ただの術式、あるいは蠱毒こどくだろうと思っていた。だが、違った。


 そこには、邪術じゃじゅつ特有のしびれるような感覚があった。


 邪術は、大陸でもっとも危険な術である。


 冰遥はそれを普通にからだに宿しているが、同じものを持つものが躘に恨みをもっているとなると、焦るのも妥当だった。


――このまま、見ているだけじゃ……。


 その先は言葉にならなかった。

 黑々はさとったかのように短く息を吐き、冰遥の肩にのる。


――選んでくれ、主人。


 黑々が、つぶらな目を冰遥に向ける。


――主人にたのまれれば、例の野郎を手にかけた黒幕を探すことだってしてやる。そして殺すことだって。……そうでもしないと、あの野郎は助からないのだろう?


 冰遥は腹のおくからわきあがってくる得体の知れないなにかを飲み下すように、首を縦に振った。


 邪術が危険だといわれる理由。


 それは、邪術を一度かけられたら二度と解くことはできないからである。


 解くためには、邪術をかけた者を殺さないといけない。師から教わったことである。


 は冰遥に、こう教えていた。


 ――どんなことがあっても、人に向けて邪術をかけてみるな。行いはいつか運命になる。かけた術の数だけ、おまえの罪は増えていく。人に向けた邪術がめぐった先は、おまえの心臓を貫く矛先ほこさきになるかもしれないのだからな。


 冰遥は、決して邪術を人にかけたりはしない。


 師が冰遥に言った唯一の願いがそれだからである。


 人には大切な人がいる。


 その大切な人にも大切な人がいて――そうやって、世界がつながっている。


 その誰かにとっての大切な人を、世界をつなぐ一人に邪術をかけるなど、できないのだ。


 けれども、冰遥と同じ邪術をつかう誰かはそれを簡単にやってのける。


 それも、同じ邪術をつかう冰遥のに。


 得体のしれない、とは言いながらも、腹のそこからわきあがり、手指の爪の隙間からあふれだしていくそれが激しい怒りだということは冰遥も分かっていた。


 だが、同情してしまう自分がいた。


 邪術を使うのは、この大陸でひとつの一家の血だけだという。


 ならば、邪術を使うものは遠かれ近かれ親戚であり、血がつながっているもの。



 脳裏に、あの女の言葉がうかんでくる。


 ――おまえは目を背けているだけだ。ほんとうは知っているだろう、おまえを陥れようとしておるものの正体を。


 ああ、知っているのだ。冰遥は思う。

 けれども、それが誰なのかは知らない。


 血のつながった誰かがその正体だと知っていても、冰遥はおのれを産みおとした母も知らないし、父も知らない。


 兄妹がいるのか、果たしていないのかさえも知らない。


 冰遥は、自分のことを何も知らない。


 ――あなたは分かっていない。おのれのなかに、何があるのか。何がいるのか。


 そうだ、その通りだ。認めてしまうと、冰遥は無性に泣きたくなってしまった。


 今でさえ、おのれが扱うこの術が恐ろしいというのに。


 なぜ普通の子ではなく、わけのわからない術を使い、奇妙な色の目をして生まれた挙句には川に流されるのだ。


 冰遥がぐっと涙をこらえていると、黑々が答えをうながすように爪に力をかける。


――どうすればいいのか、あたいには分からないのさ。


 黑々は冰遥の言葉を吟味ぎんみするようにたっぷりと返事に時間をかけると、小さくうんとつぶやいた。


――でも、あたいには躘しかいないんだ。この世で、この上なくあたいのことを愛してくれて、大切にしてくれているのは、多分きっと躘なんだ。


 再び、つかの間の静寂がおとずれる。


 黑々が、その黒瑪瑙くろめのうのようなつぶらな瞳をつぶって、冰遥の言葉にかくされた感情をのみこもうとしているのが分かる。


 黑々の返事のあと、冰遥は震える声でつづけた。


――あたいには、躘しかいない、その躘を救いたい。


 黑々の短い「うん」が、今度は間髪入れずに返ってきた。


――でも……まだ分からない。

――分からないって?

――分からないんだよ……。


 涙がでてきた。

 ぼたぼたと流れるそれは、ほおをびしょびしょに濡らしてしまう。


 冰遥は、この翡翠宮にくる際にみなに配給された裙のそでで涙をぬぐう。


――あたいと血がつながってるんでしょ、その子は。躘を陥れようとしているやつってのは分かってるのに、どうしてもざわざわして落ち着かなくなって……。


 泣きながら胸のあたりをしきりにこすると、黑々が慰めるように大きな翼をひろげて肩をつつむようにしてくれた。


――なんでかな、その子も救いたいって思っちゃうんだよ。少しでもいい、少しでもいいから、一緒に過ごせないかなって。


 しばらく黙っていた黑々がそれは、と虫の消え入りそうな声で言う。


――普通のことだと思うぞ。特に、今まで家族がいなかった主人ならな。


 虚を衝かれて、冰遥のほおをぬらす雫の流れが一瞬だけ途切れた。


 黑々はそれ以上冰遥の言ったについて話すことがないのか、すぐに声の音色を変えた。


――あの野郎のことはこっちで守ってやるから、それまでじっくり悩めばいい。こういうのも変だがな。


 黑々はそう言うと、励ますように背中を叩いたあと、空に飛びさっていった。

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