師兄妹


 ヤン夫人が手配した舞の師は、うら若い少女であった。


 年下でありながら、髪がなびくのさえ舞の一部かとうっとりとするような美しく機敏きびんな舞をする。


 黒々とした髪を頭上で高く結わえあげ、きりっとした切れ長の目をしていた少女である。


 主流の髪型――髪を丸い形に結わえることなく、肩におろしているその姿は戦場の悪魔と呼ばれた過去のおのれを思いおこさせた。


 そういえばあたいも髪なんか結ばずに剣を振るっていたっけ――と。


 見た目からすれば男まさり、という言葉が似合う彼女は、姿に似合わず冰遥ヒョウヨウが出会ったなかで一番の乙女だった。


 そしてその乙女らしい彼女のことを、冰遥もまた好きだった。


 夢見がち、といえばそうなのだろうが、自分の気持ちに従順じゅうじゅんに生きているその子が好きだった。


 飾ることなく、ただ精一杯にこの世界を生きているような、そのまっすぐな懸命さがとても好きだった。


 箱入り娘ではあった。


 確かに愛されて育った子だった。だが清らかなまま育った少女、という印象がぬけきらない少女だった。


 そしてもう一人、ヤン夫人は師を手配してくれた。


 それは、かの有名な冰遥を豚呼ばわりしたゼンであった。




「なんで豚が踊らなくちゃいけねえんだろうな、体重くてうごけないっていうのに」

「それ以上言ったら殴るよ兄貴」

「ひいいい、こわいこわい」


 拳を振りかざすふりをする彼女に、わざとらしく怯えたふりをする仙。


 二人は兄妹だった。


 どことなく、端正な顔だちも切れ長の目も似ている気がする――と冰遥は思う。


 見た目だけで言えば、兄の方が女らしく、妹の方が男らしいが。


あねさま、今日は無理しなくてもいいのですからね」

「うん、ありがとう」


 果たして笑顔はひきつっていないだろうか。


 そう心の内で思いながら、冰遥は一生懸命に繕った笑顔を見せる。


 この少女の稽古は鬼である。


 中秋節ちゅうしゅうせつの儀は、国で行われるものとして最大規模をほこる。


 そのなかでも、女人だけの舞はいちばんの華。見せ場である。


 それを意識しているのか、この露楊ロウヤンという少女は冰遥に対しても容赦のない指導をする。


 何度心折れそうになったことか。


 その度に冰遥はほほえむリョウにいやされたものである。まだ稽古を初めてから十にも満たぬが。


「今日は舞のなかでも核心となる、揺籠ゆりかごの唄の部分からです」


 いつも、露楊は冰遥に指導をはじめる前に手本を見せてくれる。


 その舞はうつくしく、いつ見ても感嘆のためいきがでるほどだが、同時に地獄の入り口をあらわしているのだ。


 そのため、冰遥はつねに楽しみと憂いがまざった複雑な心境でそれを見ている。



 ああ、今日もまた始まってしまった。


 冰遥はそう心の内でつぶやきながら、小道具である剣を持って立ち上がる。


 その心境を見ぬかれたのか、仙は口元をおさえてくつくつと笑っていた。


「――と、こういう動きをします、ここが一番むずかしくて……」


 冰遥はなれない形をした剣を持ち直しながら、軽やかに跳びあがる露楊の後を追うようにして足を動かす。


 この時、仙はまったく口出しもせずにただ冰遥が汗をながしながら必死に稽古をうけているのを、黙って見ているだけである。


 冰遥が、きびしい稽古の最中、仙がどういう表情なのか唐突に気になりたまに盗み見ることがある。


 冰遥の舞を視線で追うまじめな表情は、やはり戦士であり、そのものである。


 だが、仙は兄らしさを全面にだしながら露楊を見ている。


 それを見る度、ああやはりここはどんなに争っても兄妹で、血をわけた者なのだ――と冰遥は思ってしまう。


 かなしくなるのも事実だ。寂しさになげく時もある。


 それでも冰遥は前をむこうと決めている。


 だが、躘にかけられた邪術と、おのれと血がつながった存在については、答えを出せずにいる。


 冰遥からすれば、どちらも大切な存在であることは確かで、決めあぐねるのである。


 そんな葛藤にむしばまれている彼女に、躘はいつもとかわりなくほほえんでみせた。


『姉さんは姉さんのままでいいからね。わたくしのことも、まわりのことも一切気にせずにやってみたらいいよ』と。


『けれど、もしそこでつまずいたり、答えが見えなくなったときはわたくしやまわりの人に助けを求めて。姉さんは、ひとりで抱え込むくせがあるから』。


 冰遥の思っていることが、なぜ躘には筒抜けなのだろうか。


 不思議でしかないが、愛の力という都合のいい言葉にその真相を任せてしまおうと冰遥は思っている。


 だがそろそろ答えを出さなければいけない、と冰遥は焦燥感しょうそうかんにかられている。


 このまま放置しておいては、躘にどのような影響がでるか分からない。


 あいにく冰遥は邪術を人にかけたことがないゆえ、邪術がどのくらいでその人の体を完全に呪ってしまうかを知らないのだ。


 その焦燥感が舞にもあらわれてしまっていたのだろうか、露楊は微笑なのか苦笑なのか区別できない笑みをうかべた。


 額に汗がにじんでくる。冰遥は水を飲みながら、布で額をぬぐう。


「姐さま、楽しんでいますか?」

「えっ……?」


 露楊の言葉に、はじかれたように顔をあげると、兄妹がならんで立っていた。


 心なしか、冰遥から見た仙の表情はけわしい。


 ここまで深刻そうな顔を見たことがなかった。


「楽しんでいるって……舞を?」

「そうです。こう言いたくはないのですが……私はほかの女人の舞も見ましたが、全員必死な顔をして、綺麗で完璧に舞っていました」


 やはり良家のむすめであるからか、舞も昔からそれなりにたしなんできたのだろうという印象をうけました。


 彼女はそうつづけ、汗でみだれた冰遥の顔を真正面から見据えるように、目をほそめる。


 冰遥はぎょっとした。


 筋はいい、とはじめに言われた以降、褒められた記憶がないほど完璧主義な彼女が、他のむすめの舞に対してそこまで言ったのだ。


 他のむすめたちが、はるかに冰遥よりも上にいることは確かである。


 もっと稽古をうけなければ、と思いながら冰遥は露楊の話に耳をかたむける。


「けれども、やはり楽しんでいる者が一番、はなやいで見える」


 露楊が、立てかけてあった剣を手にとる。


「今の姐さまは、舞を純粋に楽しんでいるとは思えない。初めにも言ったはず、舞は楽しまなければいけない。私が主役だと、ぐいぐい前に出なければ」


 そう言いながら、露楊は剣をにぎり風車が回るようにぐるぐると回す。


 軽く簡単そうにやっているが、実はこの技が、もっとも難しいのだ。


「私が姐さまに教えられるのは技術だけ。でももうすでに、技術も腕をあげてきている。このままいけば、こつも狙える。……これからは、純粋に舞を楽しむ心をやしないましょう」


 そう言って、仙に視線をうつした後、彼女は可憐かれんな少女の顔で笑った。

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