女に恐れるものなし


 翡翠宮の食堂にて。


 少し遅い昼食を食べている冰遥ヒョウヨウと、それにつきそう文琵ウェンビ


 もうすでにほかの人たちは食事を終えたらしく、食堂に、二人以外には誰もいない。


「文琵、これ美味しいわ! 食べてみて!」


 お汁ものを食べていた冰遥が、器を文琵に差しだす。


 冰遥はさじで汁を掬い、遠慮して食べようとしない文琵の目の前に差しだした。


「いいんですか?」


 そう尋ねる文琵に、冰遥がほら、とあごをくいっと前に動かした。


「……んんっ! 本当ですね、美味しい!」

「でしょう?」


 翡翠宮もふくめ、宮中には指折りの料理人が仕えている。


 その味ときたら絶品で、それこそ今冰遥が文琵にすすめたお汁ものも、本当に美味なのだ。


 だが、それに慣れてしまった貴族の娘が、料理長に感謝をすることもないが。


 後でつくってくれてありがとうって言いに行こうかしら、と呟く冰遥に、文琵が呆れて笑った。


 後宮に入る予定の女人――つまりは貴族の娘たち――は、普通、そんなことをしない。


 また貴族で、文琵のような使用人と一緒に食事をする女人はいない。言葉のとおり、冰遥はだった。


「文琵。……また、食べすぎてしまったかしら」


 綺麗に片づけられた食事を前にして、腹をさすった冰遥が険しい顔をする。


 冰遥は小食――ではない。むしろ、大食らいのような気がする。


「うーん……まぁ、冰遥さまはそこが魅力ですからね」

「そう言って、わたくしのことを太らせようとしているのでしょう!? 分かっていますからね文琵!」

「まさかぁ……冰遥さまぁ」


 ふざけてふるまう冰遥に、ノリを合わせる文琵。


 しばらく見つめあった後、同時に吹きだした。


「ぷっ、あはははっ、ひぃっ、なんなの文琵ぃ」

「そう言う冰遥さまだって、あははっ、おかしかったですよぉ」


 文琵が、笑いすぎて目に涙をうかべながら言う。


「なんで、文琵ぃっ、ひひぃっ、泣いてるのぉ」

「だって……あまりに、おかしいからぁ」

「っ、あはははっ、もう本当に……っ!」

「ちょっと、冰遥さま、笑い方おかしいですってぇ! そんな笑い方してたら、あご外れますよぉ……ぁはははっ!」


 ひぃひぃ言って涙を流している二人はやはり変わっているが、本人たちは気にせず腹がよじれるくらいに笑っている。


「これ、片づけましょうか」


 まだ笑いの抜けきらないまま、先に笑いの泥沼から生還した文琵が、冰遥に提案する。


 冰遥はうなづいたものの、まだ喉のおくに笑いがのこっているらしい。


「ひぃーーっ、久しぶりにあんなに笑ったぁ」

「今までずっと笑ってなかったですもんね」

「うん。……前までは、すぐに笑えたのに。やはり、気を張っていたみたい。意外と、鈍感だと思ってたのだけれど」


 状況の変化に左右されないのには自信があった冰遥だったものの、やはり少しは左右されるらしい。


 食器をもって立ちあがりながら、冰遥はぱっと弾かれたように顔をあげた。


「ねぇ文琵。午後から外出の許可が出てるから、少し散歩しない?」

「えぇ、もちろん」

「じゃあ、一緒にお買い物しよう! 文琵に似合う簪、贈りたいの」

「……簪?」


 不思議そうに、文琵が聞きかえす。


「うん、簪」

「なんでです? もう、わたくしの分はありますよ」


 普通、使用人は石があしらわれた質素な簪を使う。


 それを、すでに文琵は三つも持っていた。もちろん、冰遥からの贈物だ。


「えっ、一つだけでしょ」

「もう三つもございます」

「えぇ!? そんなに贈ったかしら……」

「簪は、普段使い用のものと宴会用のもの、そして舞用のもので三つ、ございます。いずれも、冰遥さまからいただきました」

「嘘……」


 冰遥は、気にいった相手に対してつくしたくなる性格だ。


 食器を持って立ちあがり、食堂にいた料理人に「ありがとう、美味しかったわ」と告げてから食堂をでる。


「なら……何を買えば良いのかしら」


 話はまだつづいている。冰遥は、うんうんと唸りながら悩んでいる。


「あぁ、いい案がございますよ」


 文琵の言葉に、冰遥が振りかえる。


「いい案って?」

「あぁ、それはですね……」


 冰遥の耳に口元をよせる文琵、冰遥も耳をすます。


 翡翠宮の回廊にたたずむ二人以外に、この場には誰もいない――はずだった。


「それは名案だわ、文琵!」

「そうと決まったら、準備いたしましょう」

「えぇ! あ、文琵もわたくしの服を着なさいね。せっかくの美しい顔が、服のせいで隠れてしまうから」

「……では、お言葉に甘えて」


 ふふふっ、と冰遥が笑い、その後を文琵がついていく。


 むかう先は、彼女たちの住む部屋だ。


 二人の影が見えなくなってから、その人物はそぉっと回廊をのぞいた。


 ……誰もいない。その人物以外に誰もいないことを確認すると、柱の影から出てきた。


 あぁ、二人だったようだ。


 もう一人、その後ろに隠れていた者が、隣にならんだ。二人は、顔を見あわせて小声で話しだす。


「はぁ、癪にさわるわね、あの女」

「えぇ、后の座は私たちの物だっていうのに、身の程知らずにも程があるわ」

「そうよ。ヤン夫人にも気に入られているし。……前なんか、皇太子さまの宮殿に出入りしてたわ。思いあがりもはなはだしい」

「えぇ! ……姉さん、あの女、潰さないといけないわね」

「……ふふ、えぇ。もちろんよ」


「朱氏の女に恐れるものなし、でしょ?」


◇◆◇


これにて一章完結です!

ここまで読んでいただきありがとうございます。


もしも

二人のことを応援したい!

冰遥ちゃんファイト!


と思っていただければ、★とフォローをいただけるとうれしいです……。


拙作ですが、これからも小心者のわたし、作品ともどもよろしくお願いします。


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