あたいをドキドキさせるなぁぁ!


「一人で来たんですか?」


 病み上がりなんだから寝ていないと、と看病よろしく冰遥に寝かせられた躘が、枕元にいる冰遥を見あげて言う。


「ううん、ヤン夫人と一緒に」


 首を振って言うと、躘が小首をかしげる。


「ヤン夫人? どうして?」

「ヤン夫人と一緒に、躘の呪いを解いたの」


 あっけらかんと答える冰遥。


 躘が、意味が分からないという調子で聞きかえす。


「へ? 呪い?」

「うん? どうしたの?」

「呪われてたんですか、わたくし?」

「……うん」


 そうだったんだぁ、とまだ理解のおいついていない様子でふわりと笑った躘の顔が、昔のままの顔で少しだけほっとする。


 まだ、変わっていないのは、記憶のままでいてくれるのは、冰遥にとっては嬉しい。


「で、姉さんが解いてくれたんですね?」

「うん、ヤン夫人もね」


 照れてしまい素直にうんとだけ言えないおのれに憎しみを覚えながら返す。


「……いつも、姉さんはわたくしのことを軽々と救ってくれるんですね」


 躘の声から、感情が読み取れなかった。


「躘だってそうじゃない。助けてくれる」

「姉さんほどじゃないですよ。それに……約束、果たせなかったから」


 悲しげにつぶやかれた言葉に、胸がぎゅうと苦しくなる。


――『姉さんよりも強くなって、迎えにいきます。将軍よりも、一人で戦場に立ったあなたよりも……もっと、強くなりますから』


「今からでも、遅くないでしょ」


 冰遥がつぶやくように言うと、躘がはっとしたのか驚いたのか、弾かれたように冰遥を見る。


 冰遥は下唇を噛んで、言葉を選ぶ。


「これから、わたくしもがんばるから。……だから、わたくしよりも、強くなって」


 慎重に言葉を選んでよりすぐりそう言うと、躘はうれしそうに笑った。


「約束、ね」

「……うん、約束」


 冰遥が言い、躘が追うように言う。


「破っちゃだめだよ」

「姉さんが、ずっとここにいてくれるなら破らないよ」


 ふふふ、と声をだしてやわらかく笑った躘に、冰遥も微笑みでかえす。


 今度は胸のなかが、あたたかくてじんわりとした。


 それも果たしてお見通しだったのだろうか、躘もそれを感じているかのようにおのれの胸に手を当てて再び微笑んだ。



 本来ならここまで時間がかかるだろうか。


 なかなか戻ってこないヤン夫人に、本格的に心配しはじめた冰遥。


 躘と一緒にいるのが落ちつかないのか、きょろきょろとしている冰遥のことを、躘が笑いながら見つめる。


 ひととおり、寝室を眺めおわった冰遥が、ようやく躘に気がつく。


「みっ、見ないでよ!」


 体を隠すように両腕を体につける。


 躘に見つめられると、ぼっと顔が赤くなってしまう。


 はいはい、とあしらいながらまだ冰遥を見つづける躘に、再び怒る冰遥。


 熱をもった顔をパタパタと手であおいでは、躘のことを意識してしまい、また顔が赤くなり……を、一人で繰りかえしている冰遥を、いとおしそうに躘が眺めていた。


 もちろん「見ないで!」と叱られたが。




「皇太子さま! 大丈夫なのですか!?」


 冰遥の心配をよそに、けろっとした顔で戻ってきたヤン夫人が、上体を起こしている躘にかけよる。


「驚くほど体調は良いです。けれど、まったく体力が戻っていなくて……」


 柔らかい表情をうかべたまま、申し訳なさそうに眉をさげる躘。


 その人当たりの良いやわらかい表情で、不愉快になる人はいないだろう。


 ヤン夫人も笑みをうかべながら話をしている。


「ええ。もちろんこれからも病休で体力を回復させなければいけませんね。……少し前にお話ししました、異色族の話なのですが……」

「はい、どうしましたか?」


 冰遥は、貴族たちの会話に入ろうとも思えず、少しだけぼおっとしていた。


 だが心のどこかでふと、寂しさを感じた。


 躘の表情に――かすかな寂しさを感じながら、冰遥は心のなかで祈るようにつぶやいた。


 ――お願いします、躘と離ればなれにならずにずっとこうしていられますように。


「冰遥さん、お話があるのでこちらにいらっしゃってください」


 いつの間にか思考を停止していたのか、ヤン夫人の声で現実に戻ってくる。


 ヤン夫人のとなりを叩かれ、そろそろとそこに行くと、ヤン夫人に気づかれないように躘が音をたてず喉のおくで笑っていた。


 魂が抜けていたことを気づいていた躘の反応にむっとしたものの、ヤン夫人へとむきなおる。


「沙華さま」

「っ――! はい」


 びくりと肩が揺れる。


 前は沙華の名で呼ばれていたものの、依然としてその名で呼ばれるのに慣れないらしい。


 ヤン夫人は気づかなかったが、素早く身構えた冰遥のことをじっと、躘が見ていた。


「皇太子さま」


 ヤン夫人が、躘にむく。


「はい、ヤン夫人」


 躘がそう言いながら、ヤン夫人から目をそらさずに長い髪を右胸へと流した。


 ぎゅっと強く握りしめられたヤン夫人の手に、冰遥がそっと視線をむける。


「皇太子妃に、沙華さまをむかえたいですよね?」



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