黒幕の正体は



 ――おっと、黒幕への手がかりはあれだけか?

 ――そうみたいね、相手もこちらが追えないようにしていたらしいわ。


 黑々フェイフェイが、バサリと長い尾を動かして不満を表現する。


 ただ、リョウのまわりに渦巻いていた具象ぐしょうは、あとかたもなく消えている。呪いは解けた。


 躘の呪いを解けたことは良いことだ。


 だが、今回の黒幕はまた躘のことを殺めに術式をつくるだろう。


 そのたび、冰遥ヒョウヨウが解くのは無理だ。


 冰遥は、まだ位のきまらないであり、である。


 むやみに出歩ける立場でもなければ、やすやすと皇太子の宮殿に入れるような身分でもないからだ。


 長いため息をはき出した冰遥に、すすすとヤン夫人がすり寄る。


「いまの煙は一体……?」


 ああ、と冰遥はつぶやく。


「煙に邪術をかけて、黒幕を突きとめようとしたのですが……あいにく、上等な呪いだったのか、突きとめられませんでした」


 そう言うと、思わずヤン夫人の口からも、ため息がもれた。


「でも……黒幕が、女性だということは分かりました。わたくしたちは、宮中で多くの女性と関わっていますから、絞りこみやすいのではないのでしょうか?」


 ヤン夫人が、励ましの言葉を口にする。


「確かにそうですね」


 女性であれば、女性と関わる機会の方が圧倒的に多い。前向きに考えなくては。


「あの、ところで冰遥さま」


 ヤン夫人が、冰遥に不思議そうに尋ねる。


「冰遥さまも、一緒に黒幕探しをされるのでしょうか?」


 冰遥は、そう言われてはっとした。


 皇太子のことは、皇族や高位な大臣、皇族で決めるもの。


 今回の黒幕探しも、本来ならば、冰遥のようなものが関わってよいところではないのだ。


「わたくしが関わってよいところではありませんでした……申し訳ありません」


 しょんぼりと肩を下げる冰遥に、慌ててヤン夫人が言いなおす。


「いえいえ、違います! 冰遥さまがいらっしゃらなかったら、今ごろどうなっていたか分かりません。よろしければ、黒幕探しの件に限らず、冰遥さまにお手伝いをしていただきたくて……」


「お手伝い?」


 黒幕探し以外で手伝えるところがあっただろうか、と思い冰遥が聞きかえすと、ヤン夫人はにっこり笑った。


「皇太子さまの看病をしてほしいのです」

「……え?」


 まさか、と思った。


 だが、冰遥に向きあい提案するヤン夫人の表情は真剣そのものであり、冗談ではないことがうかがえる。


「か、看病? それは、医官や医女のやることでは……」

「冰遥さま」


 ヤン夫人はなにかを企んでいるかのように、にこりと微笑んだ。


「冰遥さまは、舞が得意ですか? 詩は? 絵は?」


 冰遥は、舞を踊ったことがない。

 詩は躘がすきだった人のものを読んだくらいで、絵も同じだ。


 書けるか、といわれればかけないだろう。


 冰遥は戸惑いながら答える。


「え、えぇっと……いえ」

「ですよね」


 ですよねとはなんだ、と黑々がつぶやいたが、冰遥はそう言われてもしかたがないと思っている。


「ですから、交換条件です」


 ヤン夫人は、いまだいたずらっ子のような表情をうかべている。


「たとえば、試験で舞があったとき、詩があったとき、絵を描かなくてはいけないとき。そのために、すべての師を用意します。その代わりに」


 ヤン夫人は、一拍置いて続けた。


「皇太子さまの病養が終わるまでは、冰遥さまが皇太子さまの看病をしてください。医学に心得があるひとならば、皇帝陛下も許してくださるでしょうから」


 文琵の聞いた話は本当だったのか――というのが、はじめに思いうかんだ感想であった。


 だが、果たしておのれが看病したところで意味があるのだろうか。


 そんなまよいを一蹴するように、ヤン夫人はつづける。


「皇太子さまは、まだ狙われています。わたくしも心配でなりません。ですが、つねにお傍にいることもできず、ですが他の者に頼むのも信頼がおけず、不安でなりません。……冰遥さま、お手伝いいただけませんでしょうか」


 ヤン夫人は、沙華のことを知っている。

 邪術を使えるし、なにより医学に詳しく、もっとも信頼がおける。


 断る道はすべて絶たれた。


 あの晩のことから、できるだけ躘には会いたくない冰遥だったが、頼まれてしまえばしかたがない。


 たとえ躘が沙華のことを覚えていなくても、その哀しみをこらえていかなければ。


 それに、文琵が言っていたとおり、したっているのならしたわれるようにするのが恋だ。


 ならば――覚えてくれていなくとも、これからどうにもできる。


「分かりました、わたくしでよろしければ」

「お願いしますね、冰遥さま」


 冰遥は、沙華である自分と皇太子とを、なぜこうして引きあわせることが多く起きるのか不思議だった。


 すべてはヤン夫人が仕組んだことだが、冰遥は知る由もないだろう。


 冰遥は話をおえ、お湯をはった器を片づけはじめた。


 燃えつきた灸を捨ててきてくれる、というヤン夫人に甘え、冰遥は煙くさい部屋の換気をするために残った。


 窓を開き、新鮮な空気を全身で感じる。


 冰遥はふと思いたち、躘の枕元にすわって、金緑石の簪をそっと手に乗せた。


 ――お父さま、お母さま……どうか、わたくしのことをお守りください。


 天に向かい、祈る。


 養母でも養父でもない、自分のことを、この地に生まれおとした二人に。


 ――わたくしは、なにがあろうともあなた方のことを憎めません。どうか、我がむすめに、少しでも慈悲を……。


 指先から色がなくなるほど、ぎゅっと簪を握りしめた。


 川に投げこまれたときに握りしめていた、いわば、唯一親の存在を感じることができるかけ橋のようなもの。


 これだけが、冰遥と親とを繋ぐものだった。


 ――どうか……わたくしのことをお助けください。


 涙がでてきて、強く目をつぶった拍子に、涙がこぼれた。



「姉さん、泣かないで」


 懐かしい声が。


 冰遥のことを気遣う、やさしい躘の声が、聞こえた。


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