邪術転換
「とりあえず……完成だと思います」
もぐさではない灸を紙にならべながら、
ヤン夫人は、珍しいものを見るように冰遥の手元を見つづけていた。が、冰遥の声で顔をあげた。
冰遥が
寝台に横たわり、生気のない白い肌のまま眠っている。
肌に赤みがなければ、よく耳をすまさなければ呼吸音さえも聞きとれないくらいだ。
「……成功、するのでしょうか」
「しますよ。難しくないですから」
呪いを解くのは難しいことではない。
そうだ、ただ、解くだけなら。
バサッ。
羽ばたきの音とともに、棚のうえを歩いていた
冰遥は、手をお湯ですすぎ洗う。
「ヤン夫人、お願いがあります」
「なんでしょう」
ヤン夫人が、姿勢を正す。
「灸に火をつけたら、合図があるまで部屋には誰も入らせないようにしてください」
冰遥が言うと、それは分かっていたのか、もうすでに人ばらいはすませています、とヤン夫人は言った。
「それはよかったです。……あともうひとつ、約束してくだたい」
冰遥が言う。二人の目があう。
「火が消えるまで、声をださないでください」
術式は展開するから厄介だ。
解いている最中、術式は形をかえながらまわりにある生気を餌として膨大になる可能性がある。
術式は、音に敏感だ。
声をだせば、その声の持ち主にまた憑依する。
「約束、いたいします」
顔がこわばっていたが、目は真剣そのものだった。
「では、つけますよ」
火をつけた線香を近づけ、火をつける。
黑々の、――灸ではないから、陶器の皿に入れて燃やせばいい。という助言にしたがい、灸もどきは陶器に入れてある。
室の四隅にひとつずつ、そして躘の枕元にひとつ。合計五つ。
冰遥はそっと、最後の皿を躘の枕元に置くと、少し距離をとった。
心配そうに躘を見ているヤン夫人の横顔を、そっと盗み見る。
――これから起こることに、驚かなければ良いが。
冰遥の心の内を見ぬいたかのように、黑々がつぶやく。
ただただ、声がでないことを祈るばかりだ。
ヤン夫人が冰遥の方を向いたので、唇に人差し指をあてた。彼女も、確認するように唇に人差し指をあて、うなづく。
変化が顕著だったのは、躘のほおだった。
ほおには赤みが戻り、呼吸音も、規則的に戻った。
ヤン夫人はその様子を見て、ほっと息をついた。本当に心配していたようだった。
冰遥も息をついていると、黑々の爪が肩にくいこんできた。否、くいこませているのだ。
――主人、見て。あれ!
切羽詰まったような声に、冰遥が躘に視線をうつすが、そこにはなにもない。
――どれ? 見えないよ。
――見えないだって? 野郎のまわりをかこむみたいに、空気がうごめいてるの、分かんないのか?
切羽つまったような声色の黑々に従い、もう一度注意深く目をこらしてみるが、やはりなにもない。
それを伝えると、黑々は嘘だろ、とも言いたそうに見つめてきたが、どうにも見えないのだ。
――まあいいけど、気をつけた方がいいんじゃあないかね。主人をはめようとしている輩がいるってことだ。
いまいち意味が理解できず説明を求めると、黑々はため息をついて説明をはじめた。
邪術をあつかうものは、希少だ。
とある大陸の家系――それも、女性でしかあつかえない、本当に貴重な術だ。
その最大の特徴は、その具象が透明だというところにある。
それはつまり、高等な術をあつかうものでないと、その存在を察知できない、ということだ。
邪術によって調伏されたときには、それを解く術がないほど、絶大な力をもつ。
もし、このまま躘が術式に侵されていたら、明涼国でもっとも高等な術の使い手が言っただろう。
「この術は透明な具象だから、きっと邪術に違いない」と。
そして、いずれ冰遥が邪術の使い手であるとかぎつけられ、皇太子を殺めようとしたとして、問答無用で処刑でもされたのだろう。
――考えるだけで恐ろしい。
首を小さく横にふり、冰遥は黑々の言葉で想像してしまった、おそろしい未来を頭から消しさった。
そのとき、ヤン夫人が躘へ身をのりだすようにして腰をうかせた。
灸からでた煙が、不自然に収縮をくりかえしながら宙をただよっている。
冰遥は思わず腰をあげ、煙にむかって手をのばした。
するりと髪から簪をぬき、指に挟んでくるりとまわす。
昼間にもかかわらず、緑の石が赤に変わり、炎のような形をした紅い煙がぶゆりとくすぶり火花を散らす。
黑々が、肩にのせた爪に力を入れた。
煙があつまっているところに手をのばし、まきとるように指を動かす。
煙がもくもくと膨れあがり、形をかえながらなにか像をつくりだそうとしている。
ぐるぐると渦を巻いている。
術式の具象の影響を一切受けず、煙は交じりあい、反発しあいながら形をかえていく。
そして、ある女性の後ろ姿を映しだした。
長い髪、艶めく黒い髪だ。
――一体、何をしたんだ?
黑々が煙を奇妙そうに眺めて、そう尋ねる。
――術式を反転させて、躘を調伏した黒幕が誰なのかわかるようにした。
――ずいぶんと面白いことをするね。
邪術はそういうものだ――冰遥は思う。
相手を呪うわけでもない、本来ならばひとを救うため、役に立つもの。
冰遥はじっと煙を見つめる。ここから煙が変わっていけば、さらに手がかりになるはず。
ただ、気がかりなのは煙がそれ以上に姿をかえないということだ。
焦る冰遥をよそに、煙はくるくると意味のない形に変わると、ぱっと消えてしまった。
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