一生懸命やること


、ずいぶんと高価そうな髪飾りを持っているのね」


 きびしい――というよりも、嫌ったらしい皮肉を多量にふくんだ口調のユゥ嬪の言葉に、冰遥がちぢこまる。


 それもそのはず、挿している簪は皇后や夫人が挿すような上等なもの。


 うつくしい色あいが、澄んだ色の朝日に照らされれば、美しさが際立つのだ。


「どこで買ったの? それとも……?」

「そんなこと――っ!」

「『そんなこと』……なに?」


 言いよどんだ冰遥ヒョウヨウの言葉を繰りかえし、玉嬪は大きな目を開いてじろりと冰遥をにらむ。


 玉嬪は、意地汚く目ざとく、我が強いと噂は耳にしていた。


 文琵と同室の中級女官たちに、試験のことを話したことがある。


 その際、女官たちは冰遥に同情するように眉をさげたあと、玉嬪さまの試験を受けることになったら大変だよ――と言ったのだ。


 その理由を聞くと、歯止めがきかなくなったかのように口から玉嬪の過去のあれこれが飛び出してきて、文琵と顔を見あわせぎょっとしたこともあった。


 だから、玉嬪の試験は大変だと知っていた。


 けれども、まさか。

 ここにきて一番苦手な分野で、一番苦手な種類の人間である玉嬪に当たるとは。


 ――運の悪いこと。


 こちらを品定めするかのように睨む玉嬪に、冰遥はその体をもっと小さくしてみせる。


 冰遥はぎゅっと目をつぶりながら、切実にこの場から逃げたいと思った。


「わたくしの成人祝いに、両親から贈られたものです……」

「……へぇ」


 玉嬪は興味なさげに相づちをうつと低く舌を鳴らした。


 冰遥の表情がかたまる。


 嬪という高い地位にいる、気品にあふれているはずの女性が。


 初対面の人にむかって堂々と舌打ちをするなどあって良いのだろうか。――というのが、冰遥の屈託のない思いだった。


 ――気品のかけらもない女だね。


 庭園の木にとまっていた黑々が、そうあきれたように言う。


 目の前にいる玉嬪は興味がなさそうに「じゃあ、始めて」と自分の指先をいじりながら言った。


 これを偏屈者と言わないのだとしたら、一体どんな者が偏屈なのだと思うほどの、傲慢な態度だった。


 冰遥以外に聞かれないのをいいことに、黑々が鼻で笑う。


 ――いちいち小癪な女だね、若作りばかりしおって。


 黑々の美辞麗句びじれいくのかけらもない言い草に、つい吹きだしそうになってしまう。


 黑々がいる方をにらむと、きぃ、と小さく鳴き声が聞こえてきた。


 ――すまん、すまん。


 事実、玉嬪は後宮の最年長である。


 今年でもう三十四になるのだ。


 女性としての万華ばんか、溢れんばかりの美貌は、もうすでに失われかけている年である。


 冰遥は苛立っている黑々に心の内で笑いながら縦笛を手にした。


 評価のことを考えれば、琴の方が教養のある女人という印象がつき好感が持てるだろう。


 だが、冰遥はどうしても琴を手にしようとは思わなかった。


 琴はどう転んでも無理だというのを知っていたからだ。


 一度、琴の稽古をしているときに小鳥がひっくり返って死んでいたことがある。


 その腕前で、玉嬪に認めてもらうのは難しいだろう。


 また、冰遥は縦笛で黑々と連絡をとっていたことがある。そのおかげで縦笛の音色の安定感はある。


 他のむすめに比べればおとるだろうが――致し方ない。



 玉嬪はもともと、その音楽に対する情熱と腕前、舞楽などのうつくしさを見こまれて後宮入りした。


 もちろんその腕前は本物であったうえ、筋金入りの音楽ばかでもあった。


 ほとんどの楽器を演奏することができるが、そのなかでも琴の音色についての評価は天を突きぬけるほどのものだった。


 可憐かれんでしとやかで、それでありながら強い芯を持った音色。


 そこからつむがれていく優雅なうたの数々。


 琴の音色の美しさたるや、皇帝が「あの娘の音色は美しい」とほめたたえたくらいである。


 人一倍音楽への情熱があるからこそ、後宮でもっとも音楽に秀でたものとしての矜持を貫きたいのだろう。


 黑々が言うように、気品のかけらもない女だとしても、だ。


 玉嬪はまだ正座している冰遥をいぶかしげに見ている。


 ――はやくはじめて、さっさと帰ろう。


 黑々は玉嬪がそれほど嫌いなのか。


 冰遥はつい笑みをこぼしそうになるのをおさえ、その女性らしい指で唇に当てた縦笛を支えた。


 縦笛を唇に当て、すっと慎重に息をふきこむ。


 この音楽の鬼ともいえよう玉嬪に認めてもらおうとは思っていない。


 ただ、全力をだしきることが最善だと、冰遥はここに入ってからつねに思っている。


 評価がどうなろうと、一生懸命やること。


 それがこの宮中においても、人生においても大切なことだと、ひしひしと感じている。


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