嫌味たらしい姉妹


 冰遥ヒョウヨウは、からだをだきしめるようにして縮こまった。


 分かってしまったのである。


 いや正確に言うならば――分かられたことを、分かってしまったのだ。


陽冰遥ヤン・ヒョウヨウ


 官吏が名を呼び、冰遥を前に出させる。

 心臓の弁が、高速で開閉している。冰遥はよろよろと前に出る。


「冰遥さん、あなたはなにが得意かしら?」


 ヤン夫人が、にっこりと笑う。


「もしかして。医学など……心得があったりしないかしら?」


 階級では上にいる夫人が、位も決まっていない相手に『さん』と敬称をつけるだろうか。


 ヤン夫人は、年功序列や己の立場をわきまえないものは――容赦なくきりすてる。


 彼女が今、である冰遥のことを敬称をつけて呼んでいる。異様である。


 冰遥はたらりと垂れる汗をぬぐいながら答える。


「医学は……一応、心得ております」

「心得があるのねっ!?」


 聞きかえしてきたヤン夫人にうなづくと、広場が一気にざわざわとしだす。


 眉をよせる冰遥に、ヤン夫人が笑いかける。


「医学に心得があるのは珍しいのよ。医者に習ったの?」

「ええ。町医者に教わっておりました」


 町医者――とは、蓮のことだ。町医者としても動いている。


 広場はまだざわめいている。


「なるほど、医学に精通しているのね……?」


 寒気を覚えながら、冰遥はうなづく。


 ヤン夫人は手を振る。試験終了の合図だ。


 まるで犬でもはらうみたいだな――と感想をいだいた恐さ知らずの冰遥に、官吏かんりが手札をわたす。


「陽 冰遥、こちらが手札だ。持っていけ」


 官吏に手札を渡され、冰遥は手を伸ばしてそれを受けとった。


 心得があることでなにかあるのかしら――と思うが、そこからはなにも分からなかった。


ようさま」

「ひぃ――!」


 ケラケラと鈴を転がしたような笑い声に振りむくと、そこにはそっくりな顔のむすめが、二人。


 白い肌に、艶めく黒髪。


 片方は繻子しゅすの黄色のくんを胸までひきあげ、小さな真珠が縫いつけてある披帛ひはくを羽織っている。


 もう片方は海をきりとったかのような深い青色の裙をひきずり、髪に翡翠の簪を挿していた。


「いとをかしい反応をなさりますのね、陽さま」

「まるで幽鬼を見たような驚きようでしたわ」


 そう言って、またケラケラと笑う。


 冰遥がまわりを見渡すと、ほとんど人がいなくなっていた。


「ああ、他の者たちは翡翠宮に入りましたわよ」


 翡翠の簪を挿したむすめが、冰遥に言う。


「さようですか。えっと……」

「ご挨拶が遅れましたわね、朱杷雅チュ・パヤと」

爛美ランメイです」


 途切れることのない連結した二人の言葉に、ぎこちなく会釈をする。


 二つの顔で話されると、どちらに視線をあわせれば良いか分からなくなるのだ。


「これから、同じ部屋を使わせていただくのです。


 杷雅が、わざとらしい笑顔をうかべる。


「まぁお姉さま、おやさしいこと! こんなと仲良くされるなんて、わたくしなら到底無理ですわ!」


 爛美が演技がかった声で笑う。冰遥は、不愉快さを隠そうとせず、片眉をかすかに上げた。


「あらいやねぇ、わたくしだってこんなとはお話したくなんてないわよ、汚れてしまうわ!」


 どうもここには嫌味ったらしい女人しかいないのだろうか。


 このなかにいると、あまりにも見栄えの良くない裙のすそを踏まぬよう、気にしながら思う。


 爛美が歯ぎしりをした。

 反応がなかったことを、不快に思ったらしい。


 瑪瑙めのうの耳飾りを揺らしながら、爛美は姉にふりかえる。


「お父さまとのお食事があるのでしたわ。いかなくてわ!」

「そうね。では、ごきげんよう」


 二人はまた息ぴったりにそう言うと、微笑みながら去っていった。


 嫌味まで息がそろっている姉妹ね――と思いながら、冰遥は彼女たちの背をながめた。



 朱氏。

 数代前の皇帝から、その姓を預けられた貴族だ。


 九つの貴族のなかでも頭のよく切れると有名で、意地汚く人を陥れるのが得意だと評判だ。


「はぁ……」


 腹の底にたまったおりをはきだすように、ため息をついた。


 この二月、あの心底の知れぬむすめたちと、同じ室を使わなくてはいけない。


 軽く絶望を覚えながら、冰遥は再びため息をつくと、文琵が待っている室へと歩きだした。



 立派な調度品ちょうどひんのととのった部屋だった。


 竹の円窓から覗く庭園は、息をのむ美しさ。腕のいい庭師が管理していることが分かる。


 冰遥は感嘆のため息をもらした。


 こまかく彫りこまれた欄間らんまから差すやわらかい光が、部屋を照らしていた。


 服をたたみ、貴重品を厨子ずしにしまい――と、働いていた文琵をみつけると、冰遥は座りこんでしまった。


「お顔の色がよろしくないですね」


 文琵に駆けより、弱音をはこうと腕をとると、文琵はふっと頬をゆるませた。


 見慣れた顔がいて安心した――と、ある日蓮がこぼした意味の一端に、今ならふれることができそうだ。


「ずいぶんとお疲れのようですね、お休みになりますか?」

「……うん」

「はい。準備いたしますね」


 いつもより楽しげな文琵に首を傾げる余裕もなく、冰遥は長裾のはだけるのにかまわぬまま床に寝そべる。


 ぐるりと広い室内を見わたしていると、あることに気がついた。


 ――杷雅と爛美の化粧台も、棚も、まだ空っぽのままだ。


「冰遥さま、準備がととのいました」


 着替えの服を腕にかけた文琵が、こちらです、と部屋からでて、回廊を示した。



「いまなんて……?」


 文琵の世間話をききながら、からだに湯をかけてもらっていると、衝撃の言葉を耳にした。


「ごめん、今のもう一度言って?」

「はい、良いですが……」


 ただいま、皇太子さまの体調がよろしくないようで、もし選抜で医学の心得があるものがいたら、研修として皇太子さまの世話をさせるというお話でした。


 そして、一人だけ医学に精通しているものがいた、とも。


「うそでしょ……」


 ここには、確かに躘に会いにきた。だが、自分の恋にけりをつけるためにきたのも確かだ。


 この片思いを終わらせ、新しい朗君のもとへ嫁げるように。


 だが、だ。


「わたくし……まだ心の準備が……」

「冰遥さま? どうなさったのです?」


 心の準備がまったくできておらず、桶へとへたりこむ冰遥であった。

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