落胤


「良かったのですか」


 いましがた、その腰を玉座へおろした君主を見あげる。君臨してから十年がたつだろうか。


 その背中を追い、時に憎んだこともあった。


 だがやはり変わらず尊敬する父の姿は、その背丈をとうにぬいても変わらない。


 いくつ印璽いんじをおしたのか、重なりあうようにしわのよった手を、玉座の肘掛けに滑らせた。


 皇帝はこの十年ほどをともに過ごした玉座を見つめたあと、すっとおのれを見あげる息子に目をむける。


「皇帝陛下」


 礼をとり、父を呼ぶ。


 言いたいことを見ぬかれていたのか、父はふっと空虚くうきょな笑みをこぼす。


「もうじき、皇帝ではなくなる老いぼれだ。……今になって、そんな話をするでない」


 位を退いた皇帝は上皇となる。

 ――それは、皇帝の命を守る最大の砦だ。



 上皇がたどる末路は、喜ばしいものではない。


 歴史を見ればその真実が分かる。


 もとより上皇の存在はあまり数がないが、そのすべてが臣下に暗殺され生涯を終えている。


 この王宮でも知るものは少ないが、臣下によりその歴史はもれなく繰りかえされてきた。


 新皇帝から後ろ盾を奪い、手のうちに入れるために先の皇帝を暗殺するのは、この千年以上続く皇室では――珍しいことではないのだ。


 そして今度も。例にはもれないだろう。


 上皇となれば、リョウ――皇帝をいいように操ろうと、命を狙うものは少なくない。


 だが躘の父は、それを分かっていて受けいれた。それでなければ、まだ若いのに譲位する必要がない。


 上皇となるということは――おのれの息子が、他の権力に脅かされないように、自らの命を捧げるということなのだ。


「とびきり幸せになれ、躘よ」

「……父上」


 涙を流していた。


 刺客にあやめられ、血も涙もない暴君であったといわれのないことを伝えられる彼が、顔をしわくちゃにして泣いていた。


 嗚咽というよりもうめきながら、父は前かがみになる。


「もう、失うものはない」

「父上……」


 かけがえのない父なのだ。昔も今も、変わらず。


 若くにこの世を去った母のことは、あまり知らない。


 知るとするならば、謙虚なひとだったと、母をいつくしむように目を細めて、宙をながめながらささやいた父から聞いたくらいだろうか。


 躘はつねに、玉座にすわり国をおさめ、統制とうせいをとるたくましい父だけを見て育ってきた。


 その父さえいなくなれば、一体誰を頼りにし、誰に泣きつけば良いというのだ。


「おまえの、したうひとを探せ」


 父が、涙をぬぐい言う。


「あのものさえ見つかれば、朕も安心して死ねる」


 父にしては悲観的な、後ろ向きな言葉につい声をあげてしまう。


「父上!」


 叫んだ息子に、泣きながらやさしい、だが確かに疲弊した表情を見せて父はつづける。


「そう躍起やっきになるでない」


 ただ、と父は言いよどんだ。


 灰色に近い目がぐっと細められ、いつの間にかたくましくなった躘の姿を通してどこか遠くをながめている。


 躘のなかにいる誰かを見るような遠い視線に、胸がざわざわとしながら父を見上げる。


「心残りがあるとするのならば」


 まだしっかりとした足取りで、玉座からつづく階段を下りる。


「もしかすると、朕には落胤らくいんがいるやもしれぬ」


 父から告げられたのは、信じがたい事の実だった。


「腹違いではあるが、おまえの前に女が生まれたのだ」


 ――わたくしに、姉がいる?


 躘は、衝撃から気が遠のくのをかんじた。


 ならば、ひとりで母を亡くしたかなしみと向き合い、地獄のようなに耐えることもなかったのではないか。


 そう思い、脳内にあのときの記憶が鮮明に甦り、地獄の底に一瞬戻った。


 それよりも、躘にとって衝撃だったのは、

「相手が、隣国の王女でな」

 という言葉だった。


「まさか、嘘ですよね?」

「……すまない」


 すがるように言う躘に、父は目をふせた。


「知っていて……産ませたのですか」


 頭が真っ白になる。

 だが父は、哀しげな表情でつぶやくように言った。


「炎尾国の王女だったらしい。おろすように言ったのだが……彼女は、子を産んでから川へと身を投げたよ」


 躘は、はっと息をのんだ。


「亡骸は、ちんが確認した。……その子の亡骸を探したのだが、ついには見つからなかった」


 父が母よりも愛していたとされる、秘密の女性。


 噂でしか耳にしたことはないが、躘は知っていた。


 後宮で巫覡ふげきをしていたという女性。時には占いをすることもあったとか。


 死にゆく年から、なにからをすべて正確に言い当てたとされる。



 ヤン夫人と同じくらいに美しく、綺麗な白い肌を持ち。


 一番の才女といわれた楼貴ロウグィという貴人よりも賢く。


 母である藺与リンユーよりも芸に長けた女性。


「風の便りで、その子が生きていることを知った。二国の血を引く――世継ぎの子が育ってしまえば、破滅をもたらすだろう」


 すまない。

 頭を下げた父は、もう一度ゆっくりと繰りかえした。


「それで、わたくしにどうしろと」


 ぐっと拳を握りしめて、躘はこたえる。

 父は顔をあげると言った。


「もしも見つけたのならば、殺してほしい。朕の代わりに」

「……はい」


 そう言われることなど、訊く前から知っていた。父は満足げな表情をうかべている。


 これ以上ここにいてはおかしくなりそうで、躘は父に背を向ける。


 ――これは、親孝行なのだ。そう、暗示をかけながら。


 自らの姉を、自分の手にかけ殺すことが――果たして親孝行になるのだろうか。


 そう、自問自答するが、与えられた答えのない問いだ。


 だが、一国の皇帝ともなろう者がおのれの座を脅かす者を排除しないなど、滅多にない話である。


 躘の存在が、皇帝へと近づいてきている表れでもあった。


「ああ、だめだ、もう休もう……」


 書物を開いていた躘は、内容が微塵も頭に入っていないことに気がつき深いため息をついた。


 蠟燭を吹き消し、布団へともぐりこむ。



 ――普段の躘ならば気づけたかもしれない。この宮殿に、躘に仕える者がひとりもいないことに。


 そして異変に気づき、すぐに宮殿から離れたかもしれない。だが、躘は気づかなかった。



 首が苦しい。息が、息が――。


 うすらと目を開くと、首に黒いものが巻き付いているのが見えた。


 躘は寝ぼけて半分夢のなかにいるまま、息のくるしさに首へと手を持っていく。


 なにかが絡みついているのだろうか。目を閉じたまま、その正体を手でたぐる。


「――っ!!」


 急に息ができなくなり、全身から冷や汗が噴出して目が覚めた。


 首には、なにかもやのようなものが巻き付いているのが見える。


 ――術か!?


 じき上皇となる父を暗殺しようとするものならば理解がまだできる。


 だが今の時期におのれが殺されようとしている理由が分からず、ただ驚愕した。


 抵抗しようともがくが、声もだせぬままただ首をしめられる。


 段々と力が強くなってきて、息ができなくなってくる。


 首の骨と血管を圧迫され、息も絶え絶え、意識などほぼもうろうとしているなかで、心の内で大声で叫んだ。


 ――助けて、誰か……!



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