紅い花の少女



 彼女は物心ついたときから、炎尾ヤンウェイ国にいた。が言うに、川へと捨てられた赤子らしい。


 若き母は、まだ皮膚のやわい彼女を川へと投げすてたが、彼女は生きていた。


 激流にのまれながら――今思えばすでに邪術を使っていたのだろう――おのれの力で陸に上がった。


 その様子を見ていた老爺ろうやが、彼女のことを拾い育てた。


 彼女は、鍛錬にのぼった山に咲いた花の名を、自分の名とした。


 華やかながらも毒づいたその鮮烈な花から――。


 天女さながらの美貌を誇る沙華シャゲは、十三の年のころ、『烏』という賊徒ぞくと集団の頭となっていた。


 未だ師と呼ぶ老爺ろうやが、沙華へと戦術たたかうすべを教えてくれたのだ。


 ――後になり、その老爺が将軍であったことを知るが、その当時の沙華には知る由もない――。


 男勝りな性格、大胆ながらも慎重で精密な戦略。


 炎のような豪快な剣術。


 風のように正確な弓の筋。


 水のように柔軟に攻撃を避け、氷のように鋭い未来予測をする――。


 天の恵みとも言えよう力をもつ沙華の活躍で、烏は大きく深い闇に成長していた。



 ――そう、もう沙華にも手がつけられないほどに。


 いつの間にか、沙華は国内でも大きな力を持つ賊徒の頂点に立っていた。


 だからこそ、沙華は狙われたのだ。


 十三から十四に変わる年のころ、刺客か賊徒か知らぬが彼女は戦場へとさらわれたのである。


 目覚めたとき、沙華は戦のなかにいた。まさに戦場の最中である。


 おのれへと剣をふりかざす男の首が、瞬く間にがれてゆく――光景を見て、沙華は悟った。


 『自分には人とは違う力がある』ということを。


 むろん、沙華は剣を握ってなどいなかった。


 ましてや覚醒したばかりで、大柄な男の斬撃を避けをしてやるなど、できるはずがない。


 沙華は知らなかったが――その目が、すべてを物語っていたのだ。


 紫の目。


 それこそが、黒髪黒目のものが大半の大陸に、邪術をもたらすものの特徴だったのである。


 そうして沙華は、バサバサと敵をなぎ倒し、十四にもいかぬ少女で戦場の勝者となった。


 とくべつな術を身に宿した彼女に、勝るものはなかったのだ。


 そこから沙華の血濡れた過去の幕がひらく。


 邪術で、敵がどこにいるのか、どのくらいの数なのか、なにが目的なのか――。すべてを見ぬき、すべての戦を勝利に導いた。


 彼女が戦場にいるかぎり、敗北などありえなかったのだ。


 そして、沙華は十五にもいかぬ年にして、炎尾国にその名を知らしめた。


 唯一の女戦士として。最も優れた指揮者として。


 炎尾国は、戦の絶えない国だった。


 村に男はおらず、おんな子どもは餓えてやせ細り、飢饉ききんがくればほとんどの国民が死に倒れた。


 蓋をあければこれほどまでに貧弱な国で、その頭角をあらわした彼女は――将軍となり兵を率いた。


 漆黒の旗をかかげ、何でも斬りたおしてゆく姿は、英雄ともいえるが、また恐ろしかった。


 だが、戦場の悪魔と呼ばれた彼女の、怒涛の侵略劇は、突如終わりを告げる。


 ――明涼ミンリャン国との戦いで。



 彼女は死にものぐるいで戦ったが、大陸最強の軍に敵うはずもなく、彼女は捕虜ほりょとして捕らえられた。


 このときばかりは、彼女の術も機能しなかった。


 術には、常に持っていたが必要だったのだが、捕らえられた以上、食事を与えられるだけで幸いともいえる環境だったのだ。


 だが幸いだったのは、沙華が女であったことだ。


 まさか。まさか、女が将軍なわけはないだろう――。


 そんな甘い考えと、のちのち彼女に手を差しのべたある少年の力により、最も重い処罰を免れた。


 だがどうであろう。


 彼女は幼く親がいないうえ、戦いしかしてこなかった。そんな彼女へと、手を差しのべる少年がいた。


 それは皇太子であった。


 沙華は、なぜわたしのことを庇うのかと不思議に思ったが、致しかたない。



 皇太子が、沙華に一目惚れしたからである。



 愛を知らず、沙華を一目みて恋に落ちた彼――王躘ワン・リョウは、沙華を貴族のむすめとして育てるように、絶対権力を持つ皇帝に頼みこんだ。


 のちに話を聞き、どういうわがままだ、と沙華は思った。


 だがわがままなど言ったことはなかった、と悲しげに笑った彼を見てなにも言えなくなった。


 もちろん、皇太子ともあろう方がのうのうと外に出ることはできない。


 だが必ず、月に二回は沙華のもとを訪れては、様々なことを教えてくれた。



「沙華姉さん、見てください! 美しゅうございませんか!」


 昼寝から目覚め、まだ意識のはっきりしない沙華の前に、――きっと大司農だいしのうの倉から拝借して(ぬすんで)きたのだろう、国宝の画を広げる。


 うつ……く、しい、わね……。と寝起きのまま返事をする沙華に、はにかみながら微笑んでみせる。


 作者が誰であるのか、どこが美しいのか――。


 なにも知らない沙華のことを馬鹿にせず、丁寧に教えてくれる躘は、清い心の持ち主だった。


 ある詩人の詩がほんとうに美しいこと。


 明涼国ではじめに日が昇る山では、元日に空に昇る龍が見えること。


 色々な書物を読んでいると、おもしろいこと。


 温室の花が満開だから、見にきてほしいこと。


 桜のまう季節があと五度きたら――そのときは、皇后に迎えようとしていること。


 分からない言葉も多い沙華に、言葉をくだきながら話す躘に、沙華はどこか胸が高鳴るのを感じていた。


「……躘」

「はい姉さん?」


 沙華は、可憐な少女らしい表情を初めてその顔にうかべた。


「あたい……いえ、わたくし……あなたさまのことを、お慕いしているようなのです」

「――沙華姉さんっ!」


 初めて、自分の想いを口にしたときだった。


 躘は驚きと嬉しさをかくさないまま沙華を抱きしめた。


 ぎゅう、と握られた手のひらがあたたかかったことを、今でも思いだす。


 言わずもがな二人は恋におちた。


 さながら野花のようであり、強風が吹きつけようとも揺るがない大木のようであった。


 だが、運命は残酷なものだ。


 沙華が貴族の家に引きとられてから二年後、二人の仲を裂く出来事が起きた。


 それは――沙華のことを引きとった貴族が、他の臣下にはめられ失脚しっきゃくし、都を出ていかなくてはいけなくなったのである。



 別れ際のことを、沙華は今でもありありと思いだすことができる。


 西日も柔らかくなった昼下がり。


 目に涙をうかべる沙華に、情けないです、とささやきながら涙をぬぐう躘。


 不健康なほど白いほおに手を伸ばし、泣かないでと言いながら涙をぬぐってやったときに。


 ――今までよりももっとやさしく、躘が笑ってくれたこと。


「姉さんはご存じでしたか? 川のほとりにいると、羽を持つ半透明な虫がひらひらと無数にまっているのです」


 涙をながしながら言う彼のことを、止める術を沙華は知らなかった。


 その虫が、沙華のことを引きとった貴族をあざける言葉だとして、宮中でささやかれていることを知っていたからだ。


 蜉蝣かげろう――脆い虫。


 貴族まで上りつめたのにも関わらず、あっけなく散ってしまったと笑いものにされた。


 誰よりも清い心をもつ躘は、琥珀色の目から、ひとつ、涙をこぼした。


「それでも必死に生きているのです。数刻の命だからといって、軽率に扱われてはいけませんよね」

「……躘」


 沙華のことを、微笑みでさえぎり躘はつづける。


「わたくし決めました。姉さんより強くなって、迎えにいきます。一人で戦場に立ったあなたよりも……もっと、強くなりますから」

「躘……」


 その目に、信念がやどっていた。


 色素の薄い瞳に、強い決意を――有無を言わせぬ、いわば君主になるべき威厳をうかべていたのだ。


 そのとき、沙華は悟った。


 すべてを。おのれの民であり、国軍を斬った沙華のことを。


 躘は、沙華のすべてを許容したうえで傍に置いてくれていたのだということを。


 そして、誓った。


 もし、躘が強くなり迎えにきたら――。


 そのときのために、もっと美しく麗しい、躘につりあうような女人にょにんにならねばならぬ……と。


 そうして、はらはらと涙をながす躘に後ろ髪引かれながら――愛しいひとに別れを告げ、都からでたのだ。


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