若紅安の目的
ある者は、彼女を、神話に登場する戦士の女神からとり、
ある者は、彼女の美しさを香りに例えて
またある者は、彼女のもつ
だが、彼女のまことの名はその三つのどれでもない。
彼女はまさに、
彼女の部屋は、翡翠宮のはずれ、
屋敷といっても、不衛生で管理が行き届いておらず、ねずみの住処ともなっているぼろ屋である。
彼女は普段、一目のつかないところを好む。
そのため、この婢女の屋敷に住んでいる。
彼女の生活は過酷である。なにせ、婢女と同じ生活をしているのだから。
凍える冬の日でも川で洗濯をし、雑巾の切れ端と冷水で体を拭き。
動くだけで汗がしたたる暑い日でも、掃除のために宮中を駆けまわり、息をつく暇もなく眠りにつく。
そんな彼女であるが、やはり炎尾国の王族の血を引いているため、やけに美しい顔をしている。
だが、もう
「……ふぅ」
この王宮に潜伏してからすでに、半年が経とうとしている。
彼女は、ある時思いたった生きる意味と隣りあわせにある、ある目的を果たすため、ここにいる。
それは――憎き敵をこの手で殺すこと。
彼女は、虐げられ飲まず食わずの生活を送っていた。
それは、彼女は皇帝の
そのために彼女は、特徴である目を潰されかけたこともあるし、飢えた獣の前に放置されたこともあるし、殺されかけたことだってたくさんある。
だが、ここまで生きてきたのは、母の存在があるからだ。
その体に宿した力を彼女にも存分に分けあたえて、母は彼女を川に投げすてたと同時に自らも川に身を投げた。
それゆえ、彼女は母を知らない。
だが、彼女の体には深く、母の術により、彼女を産んだ母の魂の一端が刻まれてもう消えないのだ。
彼女は
赤ん坊であった彼女の胸に焼き跡をつけたのは、紛れもない母である。
そのせいで傷ものとして、
もし再び花街に戻っても、房子で春を売ることもなければ、妓女の世話係として雑用をするにとどまるのだろう。
それを考えるたびに、花耀は思うのだ。
おのれの母はそれを知っていたのかもしれない、と。
でなければ、赤ん坊の、触れるだけで痛々しいくらいに柔い皮膚を焼く必要がないのだ。
そして、焼け跡をなぞるたびに、顔も姿も知らない母を見たような、懐かしい思いが切なく胸を突きあげるのだから、たまらなくなる。
「……ふっ、ぅ……」
涙を流すときがないわけではない。
おのれを蝕む孤独に、ささくれだったこころが耐えきれない夜には、婢女たちに慰められながら涙を流す。
母も父もいないのは、この時代に珍しいことでもない。
だが確実に、そのせいで空いたこころの穴は、どんなに頑張っても埋められない。
「うぅぅ……ふぅ、ぅ……」
花耀は、ここへ憎むべき相手をこの手で苦しめにきた。
花耀には、殺しても足りないほど深く憎んでいる相手が二人いる。
それは、明涼国の皇帝と、その息子である皇太子だ。
花耀は、おのれが何者であるかを熟知している。
おのれが落胤であり、皇太子の姉であり、そして
すべては、母の代わりに育ててくれた乳母から聞いた話だ。
乳母は母よりも四回りも上の老婆だった。
だが、母と親しい唯一の友だったようで、眠る前にはよく懐かしいわ、とこぼしながら母の話をした。
母の話を聞き、そして年老いた乳母から母の遺言を聞いたとき、彼女は決意した。
母のために、母の仇である二人に、この手で復讐をしてやろう、と。
身勝手にも、母を追い詰め、腹にいたおのれを殺せと命令した皇帝は、この手で殺すまで死ねない。
そのうえ、あの忌々しい母を持つのにもかかわらず、のうのうと生きている皇太子も、許すことはできない。
母は、皇帝を殺せとも、皇太子を殺せとも言わなかった。
だが、母を追いつめたのは確実に、父である皇帝と、母を目の敵にした女人の血を引く皇太子だ。
その二人に復讐するため、花耀は炎尾国からはるばるこの国にやってきて、王宮へと潜入したのだ。
彼女にも、心残りがないわけではない。
特に、おさない頃から一緒に育った妹のようなあの少女を、あの国に置いてきたことは悔やまれる。
苦楽をともにした彼女がいたからこそ、花耀はここまで生きてこれたわけであるからだ。
長くなった髪に、朱氏の女たちから奪ってきた香油を塗りこむ。
高級感ただよう香りが鼻に届き、うっとりとする。
花耀は、美しくなっていく様子を見るのが好きだった。
おのれだけでなく、他のむすめでもそうだが、美しくないものが段々と美しくなっていくその過程がもっとも楽しい。
だからこそ、自分への手入れはかかさなかった。
婢女のくせにそんなことしたって意味などないわ、と仲間の老婆たちには言われるのだが、彼女は聞く耳をもたない。
彼女の目的は、母を追いつめた張本人である皇帝を殺すこと。
そして、母を裏切った友人、
そのため、彼女は半年前からこの王宮で、厳しい婢女の生活を強いられている。
だが、彼女の母を苦しめた敵に復讐できるかと思うと――厳しい生活など、苦にもならないのだから不思議だ。
婢女の屋敷には、誰も近づかないし、近づくとしたなら、
そのため、彼女の不思議な色をした目に気づく者はおらず、幸運にも目立たずに着々と計画を進められている。
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