第2話


というわけで私こと羽佐間まりなは体育祭実行委員に任命されたのでした。ちゃんちゃん。じゃねぇよ。クラスの押し付けてきた張本人たちはようやく帰れることの歓喜にむせび泣き、ぬるい目線と音のない拍手を惜しみなく私に向ける。

「いや、ごめんね。でも実行委員は出場種目数減らしていいから。ね?」

クラス長のゆりねがいたずらっぽい笑みで両手を合わせる。こいつは自分がかわいいことを知っていてこんな態度をとるから腹が立つ。どうせ私はかわいくないしじゃんけんも弱いですよ。ロングホームルームの時間から十分はオーバーしていた。ゆりねと担任が軽い挨拶をすると、それを聞いてか聞かないかのうちにところてんのように扉からクラスメイトたちが押し出されていく。

「明日、授業が終わったら実行委員あるからね。北校舎の第三多目的室A。忘れないでね。これ委員会のプリント」

「マジで?あー、もうかったりぃ」

「まあどうせ体育祭はあるんだし、参加側だけじゃなくて運営側も体験できてラッキーだと思えば」

「へいへい、クラス長をされるような方は考えることが大衆とは違いますわねえ」

「飴ちゃんあげるから機嫌直してよね。いらない?」

「いる」

担任が校内にお菓子の持ち込みは禁止だぞ、とたしなめる。私たちははいはーいと受け流して、教室から出る。少し遅れて担任も出てきて、教室に鍵をかける。

 部活に向かったゆりねを見送ってプリントに目をやる。えーと。文書等の管理に関する生徒会規則(生徒会規則第五十二号)第一条に規定されているとおり、生徒会の諸活動や運営の記録である文書等は、わが校の建学の精神である自主、自立、自治の根幹を支える知的財産として、生徒自身が主体的に利用し得るものであり、このような文書等の管理を適切に行うことにより、生徒会活動が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、生徒会の有するその諸活動を現在及び将来の生徒に説明される責務が全うされるように……まだあんの?だらだら長くて面倒だから、適当に斜め読みする。プリントの終わりの方で二年三組の文字が目に留まる。私のクラスだ。……をもって生徒会書記部体育祭記録管理係に任命する。以上。実行委員じゃなくて生徒会なの?よくシステムがわからない。それに仕事も勝手に決められちゃうんだ。プリントには他のクラスの仕事については書かれていなかった。ごちゃごちゃした文章をかみ砕くと、お前ひとりで書類整理でもしてろということらしい。うげぇ。

それに日付を見ると今日から仕事だ。そんなこと言われても整理って何をすればいいのかわからないし、そもそもどこ行けばいいの?文句をつけようにも、プリント作成者の名前も書いてない。任命するとかかっこつけた言い方すんなら署名ぐらいしろよ。

「マジありえないわ。ねえ、アル」

「そう思うにゅ」

今のそう思うにゅは、よくわからんけど共感しとけモードのアルビヌスだ。私は溜息をつくとカバンからクリアファイルを取り出してプリントをしまう。とりあえず生徒会に行ってみようか。もしくは多目的室の方。ゆりねに限ってないと思うけど、実行委員会がある日付を間違えていたのかも。

 と歩き出そうとしたその時、スマホが振動する。いやだな、今時電話なんて、詐欺かセールスかろくでもない用事のどれかなんだから。と思いながら画面を見ると、知らない番号だ。当然無視する。ついでに見ると、みつみからのメッセージも何件も入っていた。ごめん。せっかくナイト君をやってくれるのにすっかり忘れていた。『ごめん今見た。まだ学校に残るから先に帰ってて』みつみも律儀というかマメというか。通知がポップアップして、不在着信を知らせる。さっきの番号だろうか。

「新しいメッセージは一件です。…………見てるぞ。このメッセージを消去する場合は一を……」

男の声だ。イタ電?気持ち悪。さっさと消去して、生徒会に向かおうと思ったが、場所がわからないことに気が付いた。とりあえず多目的室を目指す。

 相変わらず校内は静まり返っている。残っていた美術部も声を潜めているのか、口パクだけ見えて、外からは話し声が聞こえない。運動部の掛け声もない。野球部も前は、声だしてこーとか叫んでたのに。そういえばみつみは野球部に行かなくていいのだろうか。下手くそだけど、野球も部活も好きらしいし、別にそこまで私に気を遣ってほしくない。

 多目的室は誰もいなかったし、鍵がかかっていた。委員会はやはり明日で間違いないらしい。それにしても明日も居残りとかめんどくせぇ。てか、氷上の事件も多目的室だったような。どこの教室だったっけ。私は多目的室の扉を軽くつま先で蹴っ飛ばすが、想像していた以上の音が廊下に反響する。

 生徒会室の場所を私が知らないということは、普段使わないエリアにあるのだろうとあたりをつけてふらふらしていたが、しばらく歩き続けてから保健室のはす向かいに発見した。こんなところにあったなんて。何度も通っていたはずなんだけど目に入っていなかった。窓は生徒会執行部募集の手作りポスターで覆われていて中の様子は見えないが、光が漏れているし誰かはいるみたいだ。ノックをするが返事はない。そのまま扉を開けると、男子が一人、何か書き物をしている。ネクタイの色からすると同級生らしい。

「……何か用ですか」

男子が無表情のまま不貞腐れたような口調で話すのでカチンときたが我慢だ、我慢。

「あ、すいません。体育祭実行委員なんですけど、聞きたいことがあって」

「氷上さんのことですか。あの、先に言っときますけど、生徒会は関係ないですし、なんか、犯人捜しとか考えてるなら、ほんと迷惑なんで、警察とかに任せて、やめてもらっていいですか。関係ないし、なにも知らないから」

「え?犯人?事故じゃないの?」

「事故でしょ。そうに決まってるでしょ」

男はぞんざいに言い放つとまた書類に視線を戻してしまった。

「ってそうじゃなくて、実行委員でこのプリントもらって、書類整理しろって言われてもどうしたらいいのかさっぱりで聞きにきたんですけど」

私がプリントを突き出すと、男子は唇を固く絞りつつも受け取った。

「これは……。本当にこれを受け取ったんですか?誰から?」

「二年三組のクラス長の生野ゆりねからですけど、受け取ったから今渡せたわけだし。なにか手違いでした?」

「いや……間違ってないんだと思います。もしかしてあなた、氷上さんと仲が良かったとか?」

「え、私が?いや全然。どういうこと?」

「そんなプリント生徒会で作ってないから、応援団か職員室の人が渡したんじゃないかと思って」

「それが氷上さんとどういう関係が……って、これ生徒会からの命令じゃないの?生徒会書記なんとかかんとからしいんだけど」

「確かに、存在してますよ、その役職」

と言って男子が生徒手帳を開き、生徒会組織図を見せる。生徒会の枠の中に書記部の枠、さらにその中に体育祭記録管理係の文字がある。

「でも機能してないというか、廃止しないかってノリが今年はずっとあって。氷上さんのことがあったから生徒を一人にしない方がいいだろうって」

私も生徒手帳を開いて確認してみる、がその図が見当たらない。生徒会の枠はあるが、生徒会長、副会長、書記、会計、庶務総長と書いてあるだけで、書記部さえ見当たらない。

「ああ、版が違うんですよ。生徒手帳の編集と発行もかなりの部分生徒会に任されてますからね、適当に刷ったものを適当に配っているから生徒によって微妙に内容がバラバラなんですよ。それに生徒会則も校則も一度も改正されていないから回収する意味もないし」

「適当すぎだろ」

「だから大事なんですよ。書類管理。大変かもしれないですけど、総合活動の単位ももらえますから」

「だから何をどうしたらいいのかわからないんだけど」

「いや、自分もわかりません。職員室か応援団で聞いてもらえます?」

 面倒だから帰った。



 私は、ゆりねは魔法にかかっていたと結論付けた。帰る途中の電車内で、私はゆりねにプリントの出どころを聞くメッセージを送信した。それから数時間して、たぶん部活が終わったあとぐらいだろう、ごめん忘れた、とだけ返信された。もちろん問いただしてみたけど、いまいち要領を得ない。プリントを誰から受け取ったかなんてどうでもいいからすぐに忘れた?でも受けとった日時や、渡した人の性別さえ覚えてないのは不自然だろう。今思うと、さっきの留守電は予兆だったのかもしれない。いや、渡し終わったあとだから予兆じゃなくて余波?削除しなきゃよかったかも。

 私は耳の穴を掻くと、双子とみつみとのチャットグループを開く。『魔法少女狩りってなんのことなの?私もそれのことかわからないけど襲われたことがあるから気になって。。。流川さんとのいざこざの話じゃなくて』

 数分しても既読はつかない。みつみも一回も書き込んでないし。チキンめ。私は諦めてアプリを閉じて、ふいに思い立って氷上あきらと検索をかけてみる。歯医者の峰岸あきらさんやネジ工場の取締役の播磨あきらさんに混ざって、中学の陸上大会の記録のPDFがヒットする。さすがに実名報道はしないか、残念、と落胆しながらPDFをダウンロードする。氷上のやっていた部活は知らないけど、大会の地区や年代が同じだからきっと同一人物だろう。女子百メートルで県大会に出場しているということは、運動神経はわりといいらしい。まだ気になってしまって、動画サイトで大会の名前を入れて検索する。運営(らしきアカウント)が大会の様子をアップロードしていたが、六時間以上もあったので、面倒で顔を探すのをやめる。走っている動画を見たから何なのって感じだし。

 でも謎のプリントに生徒会の男子の反応。魔法少女狩り。魔法による殺人という言葉が浮かぶ。でも全くありえないと言い切れなくもないし、この世に絶対はないのじゃ。いや、馬鹿馬鹿しいよ。

 「その通りにゅ。魔法による殺人はほぼありえないにゅ」

「え、どうして?」

電車内だ。私は小声でアルビヌスに返事する。

「簡単なことにゅ。ゾンビじゃあるまいし、死んだことのある魔法少女はいないにゅ。だから死の記憶は魔法で共有できないにゅ」

「でもほら、大けがとか大病とかで九死に一生的な魔法少女なのかも」

「九死に一生なら、一生も含めた魔法になるはずにゅ。臨死体験さえしていても、あくまで臨死にゅ。もちろん、その記憶のせいで間接的にショック死する可能性はないとは言えないにゅが」

「いや、死因自体は普通の失血死だった気がする。あ、失血死もショック死に入るか?」

「実際に失血死するほどの魔法なら、かける魔法少女もただじゃ済まないはずにゅ。それに繰り返すけど流血だけならともかく死に至るなんて普通はありえないにゅ」

「普通じゃないから魔法って言うんじゃないの」

「ルールがあるから魔法だにゅ」

「やっぱり羽佐間ちゃんだ。元気?」

右から声がしてさっと横を向くと、サンダルに白いパンツが目に入る。そのまま視線を上げる。

「あ、宮内峰さん、お久しぶりです。クリストフォレスも。珍しいですね。こんな時間に」

「ちょっと用事でね。学校帰り、って感じじゃないよね。何かトラブル?」

「いや、帰りっす。体育祭の実行委員押し付けられちゃって。ひどくないですか」

「あはは、まあ、なっちゃったもんは仕方がないからさ、楽しんでおきなよ。でもその恰好はどうして?」

宮内峰さんが腕を組んでこちらをじっと見る。口調は柔らかいけど、目つきが鋭くこっちを見据えてくるから、いつもどこか見透かされている気分になる。

「あれ、わかるんですか」

「そうか、失認状態に制服を着た自分の記憶を上書きしていた感じかな。そんなにモドゥムが必要?」

「あーいやあ、その通りっすけど、あの、その、襲われちゃって、魔法少女に。武装じゃないけど気を付けないと、と思って」

「なるほど、でも逆効果じゃないの。常時私はオブジェクタムですってアピールしているようなものでしょ」

「いや、何も魔法を使ってないときに襲われたんで、じゃあずっと身構えてた方がいいかなって」

「確かに一理あるけど、やっぱり危険じゃないかな。逆に羽佐間ちゃんがオブジェクタム狩りだと思われてしまうかも」

「そう、かもです。それより魔法少女狩りって何か知ってるんですか」

「知っているというほどは何も知らないんだけど、何人かモドゥムで幻惑されたあと、バクルスを奪われた人がいるらしくてね」

「え?パラフィジカルロッドを?なんで?」

「私もわからないな。いやがらせか、他に目的があるのか。どこにどれだけ敵がいるかわからないからね。目立つのは避けた方がいいかもしれない」

「そうですね。実は宮内峰さんが敵でとっくに変身してるのかもしれませんし」

とクスクス笑うと宮内峰さんも眉を上げて、苦笑する。

「かもよー?まあ私みたいなおばさんにあの服はちょっときついかな。二の腕もブヨブヨだしね」

とか言っているけど、自分に自信のない人は、そんなドラマの女上司みたいなピチっとした服を着こなせないと思う。その肌つやだって、四十代?五十代?遠目で見れば三十代と言われても通じるかもしれない。

「そうだ、流川さんって知ってますか。あびゅーすって喫茶店のおじさんで」

「うん。知っているよ。常連ってほどではないけどね。羽佐間ちゃんや大河原くんのことも話して……あ、名前は出してないからね、うん、世間話はしたことがあるよ」

あれ、出してないの?でも私の記憶にがっつり介入してたし、その辺の記憶のずれはあるのかも。スマホが振動する、がメッセージだからあとで返信すればいいだろう。

「じゃあ、知ってたんですね、流川さんが魔法少女って」

「まあね。同じ主婦友達がオブジェクタムでね。その紹介で。店の雰囲気はいいしコーヒーはおいしいし、当たりだったな」

「それじゃあ、財前こころ研究会って」

宮内峰さんがキッとこちらをにらみつけて、言葉が詰まってしまう。宮内峰さんは何も言わずに私の横に座ると、小声で耳打ちする。

「誰から聞いた?外で口に出すのはやめた方がいいんじゃないかな』

「え、何ですか。あ、じゃあ」

案内音声が流れて電車が止まると、宮内峰さんはすっと立ち上がってしまう。

「ごめんね、この駅だから。聞きたいことがあったらメール……はまずいな。電話の方がいいかな。会って話すのが一番だけど」

「あ、わ、わかりました。それじゃあ……」

扉が開き、宮内峰さんは手を上げて挨拶するとすぐに立ち去る。私も会釈してすぐに扉は閉まり電車が動き出す。危険なんて言われると、都市伝説の言い伝えみたいでちょっとわくわくする。

私は財前とだけ入力して検索してみる。地名姓らしい。スポーツ選手やアニメのキャラがヒットした。検索ワードを変えていろいろ試してみる。病院、TVドラマ。アフィブログ。検索結果をどんどん下に送っていくと、ある個人ブログが目に入る。『増殖するアセスメント―主観的・客観的睡眠評価の乖離に関する情報統合理論によるアプローチ―財前みえこ』タップしてみるが、本文は、『意味不明。つまらん。』としか書いてない。本のことも著者のことも何も書いていない。つまらんのはお前のブログだ、ボケがっ。とりあえずメモアプリにタイトルと著者をコピペする。本の名前と著者の名前、それぞれを検索にかけるが、何も出てこない。例のブログさえヒットしなくなった。

「アル、このメモ読み上げて」

「にゅ?増殖するアセスメント―主観的・客観的睡眠評価の乖離に関する情報統合理論によるアプローチ―財前みえこ、にゅ」

どうやら魔法ではなかったみたいだ。いや、偽の検索結果を見せる魔法て何だよって感じだけど。単に検索エンジンの機能がダメダメなだけのようだ。一般図書じゃなく論文なのかも、と思いデータベースで探すが、やはりヒットしない。すごくマイナーとかそういうこと?もしくはすごく古いとか。情報統合理論、と検索窓に入れる。意識やクオリアなんとかかんとか。よくわからないけど、比較的最近の学説?のようだ。むしろ新しすぎてヒットしないのだろうか。しまった、ブログの更新日見ておくんだった。

 それから下車するまで例のブログを探し続けたが、ついに見つけることはできなかった。



 タカアシガニが底を這っている。

「羽佐間さん、そろそろ行きますよ」

あいら(もしくはあいな)が後ろから話しかける。みつみはあいな(あるいはあいら)に引きずられるようにして、先のブースに進んでいる。

 双子に面会場所として水族館を指定されたのは数日前だ。双子が言うには、こういう場所は尾行や監視に気が付きやすいらしい。小学生がそんなことを真面目に言うものだからほほえましくて吹き出してしまいそうになるが、私も警戒はしたい。それに、あいなが魚に詳しいから、魔法をかけられたら違和感に気が付きやすいかも、ということらしい。

「それで、どうして直接会おうと?情報交換ならアプリでも」

「監視されてるかもしれませんから」

「親に?」

「敵に決まってるじゃないですか。それにメッセージだって魔法で操作されて送信されたのかもしれない。直接会うのがまだ確実なんです」

「考えすぎじゃないの」

女の子はムっとしたのか、何も言わずに少し足を早めて先に進む。普通の小学生なら、思春期特有の自意識過剰な被害妄想としてかわいいものだが、セーラー服の少女の記憶が蘇る。そういえば中学校の同級生で親に趣味を知られるのがいやだから絶対に親の前でテレビも本も見ないと言っていた子がいたな。あの子もまだ隠れてこそこそ本でも読んでいるのだろうか。もう名前も思い出せないけど。

 隠しているのかもしれないけど、双子は特に何の情報も持っていなかった。魔法少女狩りは魔法少女を襲う魔法少女がいること。財前こころ研究会は闇の秘密結社で恐るべき陰謀を企てていること。その程度の情報量なのは私もみつみも同じなので、入場してから十分程度で情報交換会は終わり、今はただの水族館巡りになっている。というか、情報よりも水族館代を払わせるのが最初から目的だったんじゃないだろうか。まあ、こうして魔法少女同士で親睦を深めるのも安全確保にはいいだろう。ってみつみは言いそう。しかし、二人とも小学生だとしても中学生だとしても同じ料金でよかった。意外と高いんだよね、入館料って。

 通路を抜けた先の開けた場所で、みつみと片方が一階から三階まで吹き抜けの構造になっている巨大な水槽の前にはりついている。ウミガメが泳いでいるから温帯か亜熱帯あたりの海の再現だろうか。派手な色の魚が多いから熱帯っぽいかも。群れ単位でも数えるのをあきらめるほどの生き物が動いているが、一つも知っている種類の魚がいないから、どこの海かわからない。まあ、仮にイワシとかタイとかマグロとか泳いでいても識別できない自信あるけど。カレイなら大丈夫かな。あれ、ヒラメとどっちが右でどっちが左だっけ。

「うおーすげーでかー」

水族館なんてたぶん小学生以来だ。巨大な水槽に大量の生き物が動いているのを見ると圧倒される。大きい魚もいいけど、小さい魚がひしめいているのもすごい。集合恐怖症の人ならすぐに卒倒しそうだ。むしろこれだけ水槽が大きいと、こちらの方が閉じ込められて飼われているみたい。

「あの青緑っぽいのがタカサゴ。興奮すると赤くなる」

と片方が指を突き出してみつみに解説している。しかし、今日はどっちも落ち着いて話すからどっちがどっちだかさっぱりだ。幸い服は違うから混同せずにはすんでいるけど。

「羽佐間さんは怖くないんですか。自分を外部に預けるのが」

「え?どゆこと?」

私の近くにいる方が腕を組んで、まっすぐに水槽を見据えて呟く。

「妖精ですよ。私、いやなんで。自分の……なんていうか、自分だって判断を外の誰かに依存しないといけないの」

「あーアイデンティティが的な?まあ、どうしようもないし別に」

「別にって……」

両親に向かって走っていた幼い子供が急に立ち止まり振り返って私を、それとも片方をだろうか、を見た。少し遅れて両親がこちらをじっと見る。私が両親を見たのを両親が見たのを確認したかのように、子供がまた振り返って両親の元に駆けていく。

「えーとほら、他人があってようやく自分をイメージできるのじゃみたいな。よくあるじゃん。考えすぎだって」

なんか昔そんなアニメを見た気がする。我ながらいいこと言っちゃったな、とにやついていると、片方は私の顔も見ずにもう片方へ近づいていく。

「イルカショー始まっちゃう。急がないと」

どちらかわからないけどそう言った。

 双子は迷うことなくイルカショーが行われるスタジアムにずんずん移動した。イルカショーの時間も特に案内なく知っていたし、結構この水族館に来ているらしい。魚には詳しいと言うだけのことはある。

「いや、案内してたけど。今さっき放送で。イルカショー始まるよって」

とみつみが言う。

「え?マジで?全然聞いてなかった」

「相変わらず周りを全然見てないんだから」

みつみは呆れた風に鼻から息を漏らす。うるさいわね。どうせいつもボケーっとしてますよっ。

 スタジアムはほとんど満席だったが、なぜか一番前の席が空いていたので四人で座る。

「まあ、水がかかるのがいやがる人は多いですから。でもラッキーでしたね」

「私雨がっぱとか持ってないんだけど」

「私たちも持ってませんけど、売店で売ってますよ。Sサイズでお願いします」

ってこいつら雨がっぱまで買わせるつもりか。みつみはにやにやして、

「ほら、早くしないと始まっちゃうぜ」

「うっせえ。お前もついてこい」

「あ痛たたた、わかったわかった」

みつみの耳を引っ張り売店の位置まで連行する、つもりだったが場所を知らなかったので結局みつみが先導した。

 売店で売られていた雨がっぱは期間限定カラーだった。双子の陰謀の臭いがプンプンする。そう考えると、最前列に座れたのも都合がよすぎる気がした。トリックはわからないが魔法でも使ったんじゃないか。それにしても相変わらず水族館価格だ。この調子だと昼食まで要求されそうだ。

 売店のレジが混んでいて少し遅れてしまったので、小走りで戻る。通路でおおっと歓声が沸き上がるのが聞こえた。やはり遅かったらしい。

「ごめん濡れちゃった?混んでて」

むしろ濡れてしまえガキんちょ。いい薬だぜ。

「あ、いえ、大丈夫なんですけど……」

私とみつみはうきうきと雨がっぱを羽織り、双子にも渡すが、いまいちテンションが低い気がする。はしゃいでみせるのは子供っぽくて恥ずかしいし、みたいな?おうおう思春期じゃのお。双子はニコリともせず、お礼を言うとプールから目線を離さず羽織る。

うん?片方がパラフィジカルロッドを握りしめている。それも二つ。

「来るよ」

持っていない方が呟き、私が何か言おうとする前にスタジアムで歓声と拍手が起きる。スタジアムの方へ振り返る。家族連れやらカップルやらカメラを構えている人やら。ねえ、と言いながら再びプールの方を向くと、持っていない方の雨がっぱだけが湿っている。

「どういうこと」

「……わかりません」

双子が小声で言う。イルカはまだプールから上がる気配はない。アルビヌスとメッサーラをカバンから出して膝に乗せる。

「あの飼育員が魔法少女?」

みつみがパラフィジカルロッドを掴みながら腕を組む。

「おそらく。でもイルカショーが起きているように見せる魔法なんてなんの意味が。これだけ広範囲の大勢にですから、おかげで魔法少女ならかからずに済みますけど……」

「動物愛護の精神からイルカショーに反対だとか」

「飼育員がですか」

「別に飼育員に限らなくてもスタジアムのどかこかにいるとか」

またスタジアムから波のように声が響く。

「待て、これは罠じゃないか。魔法少女を見分けるための」

みつみが声を抑えながら顔をきょろきょろさせる。

「見分ける……まさか魔法少女狩りですか」

イルカが音もなく浮上するのが見えた。アルビヌスがイルカが見えることを伝える。

「もし罠なら危険なんじゃ」

みつみの顔がこわばっていく。

「でも情報を得るチャンスです。これだけ大規模な魔法なら複数の魔法少女でかけているのかも」

「なおさら危険じゃないか。早く逃げた方が」

「待って、ここで逃げた方が危険をわかっちゃってるって魔法少女アピールになっちゃうんじゃ。これだけ大人数だし、中に紛れている方が安全なんじゃ」

「でも」

一匹のイルカがこちらに近づいてくる。私はパラフィジカルロッドを強く握る。現実なのか?イルカがプールの端で、私たちの前で止まる。双子がお互いの手を握る。

「ちょ、これ絶対ヤバイって。何かがバレてる」

「でもイルカは現実だぜい。何に干渉して」

イルカが大きく口を開ける。水面が揺れる。ぎっしりと並んだ歯に薄ピンクの舌。舌の上で何かが転がる。目を見開く。それはパラフィジカルロッドだった。


「                        にゅ」

                 にゅ。               にゅ?

「        にゅ。                   にゅ、     にゅ」

                               にゅ。      にゅ。            にゅ。      にゅ。

 にゅ。

            にゅ。

            にゅ。

 アルビヌスが私を見ているのを私は見たのを双子のパラフィジカルロッドを持つ方が見たのを私は見た。みつみが私の腕を掴んでいる。

「よかったです。聞いてますよね。私たちの会話は現実です」

 私は風邪をひいた夜中に目覚めたときのようにまだぼんやりした頭で、みつみの肩を叩いた。

「おい、大河原みつみ。聞け。見ろ。メッサーラも呼びかけろ」

「qqqyyyyy.qaaaqooqqqqqqy」

みつみが瞳孔をかっ開いてプールを見ながら甲高い奇声を発する。手はだらんと垂れ下がってパラフィジカルロッドが床に転がっていた。双子のもう片方も同じような状況だ。

再び大きな水しぶきがあがった。今感じたということは、これは本物なのか?しかし、スタジアムは静まりかえっていた。私は振り返る。誰もいない。いや、違う、床にはいつくばっている。ほとんどの観客が倒れこんでいる。

 立っている人がいる。スタジアムの一番後ろの席で、男女一人ずつ立って私たちを見ている。ゆったりと歩き出す。

「ちょ、ヤバイって、動けみつみ。お前運ぶのは無理だって」

みつみにパラフィジカルロッドを握らせ、魔法で普段のみつみのイメージを共有する。

「んごえっ……qqvtty……白亜紀?」

みつみがよだれを垂らしながら頭をぐわんぐわん揺らす。

「名前は?」

「……大河原みつみ」

「よし。ひとまず逃げるぞ。そっちはどう?」

「ダメです。まだもう少し……」

みつみがまだぼんやりしている片方を背負う。ずっと後ろにいた男女はもうスタジアムの階段の真ん中をすぎていた。確実に私たちに向かっている。私たちは合図もなく、通路に向かって走り出す。イルカの鳴き声だろう、キーキーとガラスが擦れるような音がして振り返ると、二人組はこちらに向かって走り出していた。

「なんだよマジで。やっぱり罠じゃん」

通路を全力疾走している私たちを他の客がいぶかしげに見るが気にしている場合じゃない、とにかく出口の方へ向かう。館内には身を隠せそうな場所もない。トイレみたいな逃げ場のない密室は論外だ。

「ヤバイです。どんどん距離を詰められてます」

「あーもうムカつく!私があいつらぶっ殺してやる」

私は立ち止まって二人組を見据える。二人が微笑むのが見えた。舐めやがって。

「ちょ、やめろ馬鹿っ」

「私も手伝います。あくまで時間稼ぎですよ、羽佐間さん」

「……わかった、気が付いたらすぐに戻る。ごめん」

後ろでみつみが再び駆けだした音が聞こえる。

「にゅ!完全に視界内にゅ。危険だにゅ」

「ありがとう、助かるよ。これで二体二。ぶちのめすチャンスが大きくなった」

「別にいいですよ。それから念のためですけど」

片方が体を二人組に据えて目線だけこちらに送る。

「私はあいなですから」

あ、わかってないのわかってたっぽい。案外鋭い奴だ。それとも区別ついてないオーラを読み取るのに慣れているのだろうか。

 二人組が息苦しそうに、しかし笑顔を崩さず小走りを続ける。数メートル先に迫っている。男の方がすっと右手を上げようとするのが見えた。私は雄叫びを上げて男に突っ込んでいく。

「うわー。え、何」

タックルを決めると男が情けない声を上げてよろける。

「私のこと見てろ?」

後ろであいな(らしい)の声が聞こえたと思うと、あいな(?)が私の目の前で男を挟むように立っている。

「ちょ、やめてください」

と女は叫ぶが、女の後ろにもあいな(仮)が立って羽交い締めにしていた。

「ごめんタイムタイム。何もしないって、ほら」

女の方が声を張り上げて、両手を上げる。そのまま女は握っていたパラフィジカルロッドを床に落とす。

「にゅ。その落ちたパラフィジカルロッドは現実にゅ」

私はファイティングポーズをとっていまだにパラフィジカルロッドを捨てるそぶりを見せない男をにらみつける。

「え?いやいやいや。僕オブジェクタムじゃないから。マジで」

そういって両手を上げるが、実際に何も握られてはいないように見えた。

「何者だお前たち」

「私は鏡島もゆ。十条大学の院生で、認知情報学について研究してて」

「僕もオブジェクタムじゃないけど同じ。江尻ひろし。それで研究室」

「やっぱ魔法少女狩りかっ」

「違う違う。ほんと。現に何もしてないから」

「なんでオブジェクタムってみんな基本攻撃的なんだよぉ」

男の方が涙声で呟く。

「オブジェクタムを探してたのは本当だけど、襲ったりなんかしないって。名刺とかはないけど、怪しくなんかないから!」

「大丈夫か二人とも」

みつみとあいらがパラフィジカルロッドを構えて駆け寄る。

「わーっ、待って待って話聞いて。ランチご馳走するからっ」

男が大声で騒ぎ立てて、不振がった来館者たちが少しずつ集まってくる。女は手を上げたまま苦笑い。みつみと双子がそろって首を傾げた。

 あえてか偶然か、フードテラスに魚料理はなかった。レストランの方にはあるのかもしれない。

「だから、私じゃなくてイルカのマルコがモドゥムをかけたんだって」

「いや、イルカの魔法少女なんてありえるわけないじゃん」

私は声を荒げるが、女も男も涼しい顔で座っている。

「結構いるよ、哺乳類なら。他にはボノボでも二件の例がある」

「証拠は?」

とみつみ。

「そう言われても、信じてもらうしか。マルコの研究レポートというかメモならありますけど」

と言って女がスマホで何かの文章を見せる。確かになんか研究してるっぽい感じに見えるけど、仮にいちたすいちはたんぼのたとか西から昇ったお日様が東に沈むレベルのことが書いてあっても、専門用語や見方のわからない表やグラフばかりでちんぷんかんぷんだ。でも確かに、さっき食らった魔法は普段の魔法と様子が違った気がする。いつもの魔法が夢なら、今回のは夢以前のイメージそのものみたいな。うまく言えないけど。みつみや双子もそれ以上二人に追及しなかった。まあここで疑っても水掛け論だろうし。

「それで、僕たちはオブジェクタムの研究、詳しく言うと外脳の研究をしているわけなんだけど」

男が能天気にラーメンをずるずるとすする。

「外脳?」

とあいな。女もまたボケーとした顔でハヤシライスをかきこんでいる。

「スピリタスのことです。皆さん疑問に思ったことはありませんか?どうしてスピリタスにモドゥムが効かないのか。というのも」

「モドゥムをかけられるとセロトニンの作用が阻害されて、ようするにLSDとかキメちゃったみたいになるわけなんだけど」

「ちょっと江尻君、どこから説明する気よ」

「だってスピリタスは思い出の中には存在しない、って説明だけじゃあのおばさんも納得しなかったじゃん」

「思い出?」「おばさん?」

と双子が同時に発言する。

「えーおばさんってのは前に接触してきたオブジェクタムで、プライバシー的に名前は内緒なんだけど。でも美人だったな、元男役トップスターって雰囲気で……って痛っ。鏡島ぁ、なんで脛蹴るんだよっ」

「あんたしゃべりすぎ。締りない顔で……ごめんね、こいつアホなの」

はあ、そうですか。とみつみと顔を見合わせる。

「思い出ってのはえっと、時間って主観的で恣意的なものですよね。モドゥムというのはつまり主語と時制の隠蔽なんですね。その中で外脳は言葉を持たないからに記憶上のどの領域にも存在できないんです」

「ようするにスピリタスは脳も神経もないから、そこに干渉するモドゥムは無意味ってこと」

「え、でも普通に話したりするけど」

アルビヌスをちらりと見る。いや、ぬいぐるみだから脳はないのはそりゃそうだけど、言葉を持たないなんて言われても、今までずっと会話してきたし。

「哲学的ゾンビみたいなやつってことですか」

みつみが指をもじもじと動かしながら尋ねる。なんだっけそれ。確か白黒しかない部屋にヒヨコと中国語の辞書を入れてガイガーカウンターが反応したら天国でもう一度会えると思ったからとかそんなんだったような。

「そう言えなくもないというか。皆さん、外脳との会話はオブジェクタム以外には聞こえないと思っていませんか。逆なんです。オブジェクタムだけに聞こえるんです。外脳と認識する人形、ホスチアと呼んでいますが、は何の反応も示したことはないんです」

「いや、でもしゃべったり動いたりしますよ。みんなも一緒に話したし」

ね?と同意を求めてみつみと双子を見るが、誰も動かない。ノリ悪いな。私は鼻をすすると豚丼をかきこむ。もっとゆっくり食べるにゅ。うるさいな。

「そういう反応はモドゥム的というか、物自体に拘束されないの」

「外脳は幻想、いやモドゥムの中にしか存在しないってわけ。だけど外脳だけがそのモドゥムの外側にいる。面白いと思わない?」

どゆこと?とみつみに小声で聞く。双子は何か啓示を得たような瞬きをして互いに顔を見合わせる。

「でも妖精が魔法で見せられた幻想だとして、魔法が効かないのはおかしくないですか。メッサーラ、俺の妖精ですけど、の言動は意識的か無意識的かわかりませんけど、俺が操って、それを他人にも共有しているってことですよね。なら俺が魔法にかかった時点でメッサーラも魔法にかかったも同然じゃないんですか」

「そうなんだよ!」

と男が声を張り上げて目を輝かせる。何かスイッチを踏んでしまったようで、みつみはしまった、という顔をする。

「以前実験でねえ!外脳とオブジェクタムを別の部屋に隔離して、外脳にはリンゴ、オブジェクタムにはトマトを見せたんだよ。オブジェクタムは当然トマトが見えると言う。鏡島が外脳に何が見えるか聞いたら、なんて答えたと思う?リンゴが見えると答えたんだよ。あ、その外脳の発言は、被験者じゃなくて鏡島に制御されていたんじゃって思ったでしょ。でも鏡島はその部屋に何があるのか知らなかったんだ。他にもいろいろ実権したんだけど、外脳にはやっぱりオブジェクタムから独立した認知能力があるとしか考えられないんだよ。それが意識と呼べるかはわからないけど、確実にある種のインテリジェンスが発動している。僕はね、外脳は遺伝子じゃなくてミームのみを元にして生まれた新しい寄生生物だと思っているんだよ。それに」

「はいはい、江尻君ステイステイ」

女が男の腕を小突くと、男は顔を赤くしてしゃくりあげ、黙り込む。

「とにかく、私たちが研究しているのはそういうこと。敵じゃないって信じてもらえたかな」

「いや、まあ、はあ」

正直、何言ってるのかさっぱりだったから、相変わらず友好的な情報共有なのか煙に巻かれているのかわからない。話した印象だと悪い人には見えないけど、悪い人が、私は悪い奴だぜアピールするわけないし。

「これ、私の連絡先ね。聞きたいことがあったら連絡してほしいな。こっちも研究に協力してくれる人がいたらうれしいんだけど」

と女が紙ナプキンに携帯番号を書く。

「あー修論のこと考えると頭痛いわ」

と男がおどけるが、女以外はニコリともしなかった。

「あの、デスピアーって何なんですか」

片方が対決にでも臨むように眉を寄せて鋭い声を出す。

「僕はオブジェクタム自身のことだと思うな。だってオブジェクタムの本質である外脳が同時にオブジェクタムに対抗するためのシステムなわけでしょ。それにオブジェクタムとか魔法少女とかやたら言い換えるしさ。これってオブジェクタムに対する防御じゃない?」

「ということはそちらも見たことないんですか。デスピアー」

「まあね」

「じゃあ何なんですか、魔法少女って」

「さあ。まあ、それを考えるための研究でもあるし。あと勘なんだけど、会うオブジェクタム全員がやたらオブジェクタム狩りを警戒してたからさ、カンシェウムもオブジェクタム狩りも本当は存在しなくて、オブジェクタム同士を衝突させるためのシステムなのかなとか思ったり。システムというより陰謀?」

「財前こころ研究会の?」

とボソッと漏らすと、女が一瞬だけ眉を顰める。

「え?いや知らないけど」

「あの、何か知ってるんじゃないですか。財前みえこのこと」

「誰?」

女が素っ頓狂な声を上げる。

「なんか睡眠の研究してたっぽい人なんですけど。情報統合理論がどうのこうの」

「じゃあ最近の人?ごめんわかんないかも。もしわかったら連絡したいんだけど……」

私は観念して男と女にQRコードを見せて連絡先を教える。なんか私ってうかつすぎ?みつみがぎょっとしてこちらを見るが、たかが連絡先で気にしすぎじゃないだろうか。最悪アカウント消せばいいだけだし。

「よろしく、羽佐間さん、ね。それから、」

と女がそっと耳打ちする。

「研究会のことは外で言わない方がいいですよ」



 鏡島が言うには、善哉心研究会というのはある種のネットミームらしい。簡単に言えば、ゲイ向けのアダルトビデオをネタにするミームがあって、とある同人ボイスドラマの棒読みぶりがそのゲイビデオを彷彿させるとネタにされたことからボイスドラマのあたりも含めてミームになって、そのボイスドラマの関連作に出演していた素人声優の出演していた同人BLCDに出てくる組織がその善哉心研究会らしい。

 なんか複雑そうな経緯でよくわからない。水族館から帰ってから会員制の動画投稿サイトで善哉心研究会と検索してみる。『と ろ け さ せ て み せ るmp.4』『快楽の波に乗るZZ』『HELLOさん』などと意味不明なタイトルが大量に並ぶ。ミームがわかっていれば面白いのかね、これ。ページを送っていき、『善哉 本編』という動画を見つけてタップする。カポーンとししおどしの音が鳴ると、『親の甘味処より通った甘味処』だの『もう草』だの一斉にコメントが流れる。

「おや、また来てしまったのですね」

と鼻声がかった音質の悪い男の声がすると、『出たわね』『また来ました』『ZZ兄貴ほんといきがい』『草』『帰らせて』だの一斉にコメントされる。いや、一斉にって言っても書き込まれた時期もバラバラな過去のコメントなんだけど。

「ふふふ、美しいご客人だ。どうやらずいぶん疲れているようですね。大丈夫。すっかり癒して差し上げますよ。そう、茶菓子を美味しく食べるには心と体のリラックスが不可欠ですからね。ふふふ、さあ、横になって。それでは右手を上げて……」

私はすぐに飽きてしまって前の画面に戻る。なんとなしにページを送り続ける。ネタをわかっていない私からすると、タイトルもサムネイルもまるで意味がわからない。アプリを落としてウェブで善哉心研究会と検索する。いくつか解説wikiらしきものがヒットする。

『善哉:別名ZZ兄貴、味覚障害、食品衛生責任者、鼻セレブ、デブなど。生年月日不明。本名不明。出演作・善哉心研究会 概要:DDRがKJM姉貴出演作であると勘違いしてSNS上で善哉心研究会を拡散。投稿者の虚無僧帽筋が『意識を落とせない催眠和菓子屋』を投稿して注目が高まる。善哉のおざなりな演技に加えて催眠音声のフォーマットを取りながら施術者自身が錯乱していく展開が視聴者の笑いを誘った』

らしい。なんか鏡島が言っていた経緯と違うような。別のwikiを見る。

『概要:声がHHIRKNに似ていたため発掘される。投稿者、対象あうんがMAD作品の『善哉ドリームフェスタ』を投稿して人気を博す。経歴その他の出演作含めて一切不明』

こっちも何か書いてること違うし。リンクされていた『善哉ドリームフェスタ』を開く。さっきの男の声を素材にした替え歌だ。つぎはぎされてシンセサイザーみたいな音になった声がアニメソングにあてはめられている。

「ってこれあれじゃん、地下鉄のおっさんが歌っていた……」

 「ああ、『ドリームダイバーひかる』のオープニングの『絶対ドリームフェスタ』だね」

 次の日、ゆりねの家にお邪魔して動画を見せると一瞬で答えてくれた。オタク気味だから聞いたんだけど、こうも即答されるとちょっとキモい。

「なんで急に?あ、バズっていたから?」

「いや、知らない、と思う」

「ほらこんなの」

とゆりねが動画を見せる。高ピッチにされたアニメソングに合わせて顔を加工しまくったおかめ顔の少女が死んだ目でせわしなくタコ踊りをしている。もしかして電車の男もこっちに触発されたのだろうか。

「いや、やっぱ知らないわ。いつのアニメ?」

「私たちが生まれる前だし、マイナーでVHSも途中まで出たきりソフト化も配信もされてないし、聞き覚えってやっぱり勘違いじゃないの」

「そうなの?」

「元ネタこれだよ」

と言ってゆりねがイヤホンを渡しながら『ドリームダイバーひかる OP FULL』を見せる。


『絶対ドリームフェスタ』


ピンクの便せん 風にひらひら でもわたし宛てじゃないの

眠気の感染 始まったら イドにひそむナイトメア

気づいちゃったの 犯人は執事よ 

気づいちゃったの 執事はほんとのお父さん

絶対 ドリーミングドリーム 消せはしない

絶対 ドリームインドリーム あきらめない

今朝の夢はヒミツよ だってそれがオトメのないしょごころよ


真っ赤な帆船 海にきらきら でも世界の果てじゃないの

未来の因縁 こぼれおちたら わたしめざめるナイトメア

気づいちゃったの 陰謀の組織が

気づいちゃったの 組織のリーダーお母さん

絶対 ドリーミングドリーム 消えていくの

絶対 ドリームインドリーム あせていくの

今朝の夢は忘れて だってそれがオトナの回路コードよ


気づいちゃったの あなたはわたしよ

気づいちゃったの わたしひそむ あなためざめる わたし絶対ナイトメア

絶対 ドリーミングドリーム 消えゆくもの

絶対 ドリームインドリーム 消えないもの

絶対 ドリーミングドリーム あなたわたし

絶対 ドリームインドリーム あなたわたし

今朝の夢しか知らない だってそれがわたしのフェスタ

絶対 絶対 絶対 絶対


 歌を聞きながら軽く口ずさんでみせる。歌える。やっぱり知ってるわ、私。

「再放送とか見てたのかな。でも一番よりあとも知ってたもんね」

「わからん。本編を見たことあるかの記憶さえあるのかないのか、わからんし。有線で流れたのを聞いたとか?どんなアニメ?これ」

「私も本編見たことないから伝聞なんだけど、水晶の卵を温めたら生まれたキューちゃんの能力で主人公のひかるがいろんな人の夢の中に入って、お助けする魔女っ娘もの?みたいならしい……って本編ちょっとアップされてる」

と言ってゆりねが『ひかる 二十三 B」を再生する。

 フリフリ衣装の女の子が決めポーズをするアイキャッチ。この子がひかるだろうか。電撃の音。炎が鬣みたいに張り付いた猫?のぬいぐるみが鉄の椅子に拘束され、体中にコードを刺され、頭にはパーマの機械をさらにゴツくしたような装置をはめられている。

「ほほほ、ご苦労様、キュリオス。これでもうすぐ夢が現実のものになる。あなたがあの小娘を利用して夢に穴をあけてくれたおかげよ」

おっぱいにトゲトゲのついた悪の女幹部みたいなのがマスコットに話しかける。女幹部が右手をあげるとバチバチと電流が走り、マスコットが悲鳴を上げる。見た目かわいい系なのに悲鳴は野太いな。別にいいけど。

「ナイトメアを利用したナイトメアの封印。小娘と私たちと研究所の三重スパイ。噂を利用した水晶の顕現。なかなかうまく立ち回ったようだけど、詰めが甘かったわね。大丈夫。すぐには殺さないわ。あの小娘の前で八つ裂きにしてあげる。おーほっほっほっほ。

あの小娘ってばどんな顔するかしら。怒り?悲しみ?絶望?あんたの死体を邪悪千年王国完成のトリガーにしてあげる。……さあアブソリュートナイトメア!早くあの小娘を捕えてらっしゃい。殺しちゃだめよ。でも目と耳と脳が無事なら何をしてもかまわないわ。さあお行き!……ふふふ、ははは、あーはっはっはっはっは……」

「ひかる……早く逃げるきゅー……」

とマスコットのモノローグ。場面転換。道場の中央に六芒星が描かれ、その中央に巫女服の少女。この子のキャラデザ、無敵戦艦タチバナの宙野マリっぽくない。とゆりね。知らんし。六芒星の周りを何人もの僧侶が囲んで般若心経を読経している。

「みなさん、頑張るんですの。ここが正念場ですのよ……ひかるちゃん……無事なんですの……」

と少女が呟くとまた場面転換。病院だろうか。うつろな目で横たわる男の子を白衣の老人たちと一人の若い女が見下ろしている。

「ついに始まってしまったようじゃな。これも自然のプロトコルに基づくのかもしれんのう」

「神が夢を見るんですか?」

と女が眼鏡を光らせる。

「里美君。夢の外に神はいないよ」

「そうですね。あなたがたが神を殺したんですから。そしてその神殺しの妄想もこれで終わりです」

画面が赤く明滅し、アラートが鳴る。あれだね、更新世エヴォルザウラーのあとだけあってがっつりエヴォブームの影響受けまくりって感じ。とゆりね。だから知らんがな。

「里美君。君の気持ちはわかるよ。しかし遅すぎたな。もうプロジェクトは止まらない。何を隠そう、我々が止めようとしていたのだから。そして失敗した。ならば準じるだけよ。見よ!ザ・フール!」

と女にタロットカードを投げつけ、老人たちが一斉に倒れる。女は片目から涙を流すと微笑み、

「さあ、始まるわ。ひかるちゃん。ようやくあなたに追いつける。待っててね、ひかるちゃん」

そう呟きどこからか取り出したカプセルを飲むと後ろに倒れこみ、落ちきる途中でスナップ写真みたいに静止し、そのまま目だけをゆっくり閉じる。

 「もうだめ……悪夢が流出し続けてる。このままじゃ現実が夢みたいに脈絡のないバラバラになっちゃう」

とアイキャッチの少女。

「そうかな、現実の因果だってめちゃくちゃさ。むしろ夢は一人で見る分、よっぽど体系的と言える」

ド派手な金ぴかの仮面、というかヘルメットをかぶった男が少女の後ろに立つ。声がさわやかイケメンボイスだからヒロインポジションっぽい。

「ゼット仮面様?どうしてここに?」

「復活の時だからさ」

そう呟き男が仮面を外す。

「あ、あなたは……」

See you next dream…と表示されてエンディングテーマ。


ほっぺつまんじゃえ いたずらえっへん

夢じゃないから 怒っちゃう

あとだしげんきん じゃんけんぽん

わお あいこであいこ おそろいね

ハートに元気お届けよ 夢見るままに待ちいたり

お日さま さんさん お星さま きらきら

じゃあ月は? じゃんけんぽん(ぽん)

じゃあね またね じゃんけんぽん(ぽん)


 次回予告

「どうしよう。キューちゃんが死んじゃった!おかげで邪悪千年王国は復活するし、ゆみこたちは別の方法で語り始めたからもうたいへん。え?里美さんがソムニウムを?瑞山ここころ研究会が壊滅?ゼット仮面様も死んじゃうし、これからわたしたちどうなっちゃうわけーっ!次回、汚辱と禁忌。今夜もあなたの悪夢に、インドリーム!」

「わけわからなかったね」

「ごめんゆりね、ちょっと巻き戻して」

え?と戸惑うゆりねからひったくるようにして数秒巻き戻す。やはり間違いない。瑞山こころ研究会。そこのパートを自分のスマホで直撮りし録画する。

「他のエピソードは……」

と投稿したアカウントを見るが、他の動画はすべて権利者削除されていた。

「どうしたのまりな。そんな必死になって。気に入ったの?」

「いや、別に。これ、ソフト化されてないんだよね?」

「ちょっと待って……うん、少なくとも通販サイトにはないなぁ。VHSも品切れで中古もレンタル落ちもなさそう」

瑞山こころ研究会、善哉心研究会、財前こころ研究会。ただの偶然?例のMADは善哉と瑞山のダジャレ(でもないか)だったのかもしれないけど、財前。財前みえこ。偶然にしてはできすぎじゃないか。

「まりなー。ちっと探してみたけど、やっぱソフトないわ。違法アップロードされた奴ならまだどっかにあるかも」

「さっきのアップしていたアカウントもっかい見せて」

アカウント名hikaru。アップロード専用の捨てアカっぽい。削除された動画の数を数える。三十二本。Wikiを見ると全三十九話らしい。もしかしてVHSの範囲のみアップロードしていたのだろうか。でも話はクライマックスっぽかったし。いや、こんだけマイナーならwikiの情報だってあてになるか怪しい。Wikiの放送日を見ると、やっぱり生まれる前だった。しかも朝六時台だから確実に見てないわ。再放送の情報は特に書いてない。概要にもちょっとした作品紹介程度で、あらすじなんかはわからなかった。

「それにしてもゆりね、よく知ってたね。マニアの間では有名?」

「まあ、マイナーすぎて有名ってところはあるけど、ほら、さっきの動画。氷上さんが亡くなったちょっとあとかな、一瞬流行ったりしたし。氷上さんは、ひかるは現代の予言書だ!って言ってたけど、氷上さんの方がよっぽど予言者だよね」

「え?氷上?氷上あきら?仲良かったの?」

「良いも何も、私たち去年同じクラスだったじゃん。めっちゃ話したわけじゃないけど」

「あれ、そうだっけ?」

「あんた、本当に周り見てないなあ。クラスメイトの顔と名前くらい普通覚えてるって」

氷上あきらが同じクラスだった?だったらさすがに覚えている気がするけど、私のことだから、魔法にかけられずとも忘れてそうな予感もビンビンする。

「いや、まあ、興味ないからすぐ忘れちゃって。それで、氷上あきらはなんて言ってたの」

「まあ傑作とか最高とかそんなんだけど。というか氷上さんのこと調べて聞いてきたのかと思った」

「別に事故でも殺人でも自殺でもどうでもいいし」

「でも、調べるために体育祭実行委員になったんでしょ?」

「は?じゃんけんで負けたからだし。ランダムじゃん」

「でもイカサマできるよね」

「じゃんけんで?買収でもして?んなアホな」

「いや、魔法で」

え?いやなんて言った?

「あれ、魔法少女の使命として氷上あきらの事件を追ってるんじゃないの?昨日の水族館もそうなんでしょ」

「あ、ゆりね?何で知って?」

「え?何って何が?生徒会も応援団も何か氷上さんのことを隠してるって、あんたが……じゃなくて、あれ、誰から聞いたんだっけ?」

「プリントを渡した人?」

「えー、そうだっけ?ごめん忘れた」

「使命ってどういうこと?」

「そりゃみんなの夢の平和を守る……ってこれはひかるの方か。えー、ってか、否定しないってことは、やっぱりあんた魔法少女だったんだ。黙ってるなんて水臭いぞ」

カマかけられた?じゃあ、私が魔法少女とは知らなかった?でも、え、あれ。どゆこと?笑ってごまかそうとするが、自分でも思っていた以上に乾いた声が出る。

「あはは……ごめん。ていうか……ていうか、なんだろう。ごめん、何か混乱してて……」

「えー何急に?」

ゆりねはクスクス笑うと机の引き出しからチョコレート菓子を取り出す。袋を開けようとして弾け、菓子があたりに散らばった。ゆりねは照れ臭そうに伸びをすると、菓子を集めながら、

「まあ、氷上さんのことは置いておいてさ、鑑賞会しようぜ。そのための集まりじゃろ」

「あー私拾っとくから準備してくんなまし」

ゆりねは悪いね、と言いながら部屋から出ていく。もしかして拾うのが面倒になったから私に押し付けようと思って切り出したのかしら。計算高い女よ。まあいいけどね。別に。

 はいつくばって菓子を集める。個別包装でよかった。これがポテチなんかだったりしたら悲惨だ。飛散だけに。ゆりねが聞いていないのが悔やまれる。ベッドの下にも入り込んでいる。めんどくさいな。手を伸ばすと指先が何か紙のようなものに触れる。そのまま引っ張り出す。薄ピンク色の封筒だった。ラブレターのパロディみたいにハートのシールで封がされている。上部が定規かペーパーナイフかですでに切られて、中にはまたピンク色の便せんが入っている。いやいやいや、さすがに友達の手紙を勝手に読んだりしないから。でもちょっと気になる。

 扉が開く。何もしてないけどびくっとしてしまう。

「いや!読んでないから!」

「え?何?ああ、それね。いいけどね別に」

ノートパソコンとDVDのパッケージを抱えたゆりねが鼻を鳴らして目を細める。

「いや、マジで読んでないから。マジで」

「別にいいよ。読んでも」

弁解するだけ立場が悪化しそうだ。まあお墨付きが出たと思えばラッキーだ。手紙を取り出して開く。

 手紙は二枚。しかし両方とも白紙だった。

「何これ。炙り出し?鉛筆でこするやつ?」

「あ、そうかも。捨てるのもなんか呪われそうだから放置してたんだよね」

とゆりねが引き出しからマッチを取り出す。

「なんでマッチ持ってんの?」

「箱がレトロなデザインでかわいくない?」

そうすか。マッチをすり紙に近づける。が、何も起きない。火がゆりねの手元に迫って、慌てて消す。

「違うっぽいわ。じゃあ、鉛筆のやつ……でも、光にすかしても何も見えなかったしなあ」

「誰からもらったの?」

「わからん。下駄箱に入ってた。これならいつものキモいラブレターの方がマシだよ」

いつものラブレターだと。私一枚ももらったことないんですけど。むかつくぜ。

「じゃあ、二枚の手紙を渡すこと自体にメッセージがあるとか」

「なんじゃそりゃ」

「さっきのアニソンでさ、ピンクの便せんがどうのって歌詞あったじゃん。そんな感じで何かのマネとか、なぞかけとかおまじないとかなのかなって」

「知らない。気になるならあげるよ、それ」

私はなんとなく受け取ってしまってカバンにしまう。私宛てじゃないピンクの便せん。これって、ひょっとして何かの予兆を伝えるメッセージなんじゃないだろうか。

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