魔法少女臨界共溶原罪点

上雲楽

第1話

神の子が死んだということはありえないがゆえに疑いがない事実であり、葬られた後に復活したということは信じられないことであるがゆえに確実である



十分も遅れてしまった。リュックに押しこんだアルビヌスが、自転車の速度の出しすぎは危ないにゅとうるさい。ブサイクな熊(犬?猫?)のぬいぐるみのくせに。

塾近くで団子になっていた自転車の群れは、もう振り返っても見えない距離になっていた。押部谷先生ってば、熱心なのはいいけどいつも時間オーバー気味、ってかオーバーするんだよね。まあ、若いし仕方ないけどさ、熱血だぜーって感じ、今時流行んないんだよね。別に嫌いなわけじゃないんだけど。木曜じゃなくて火曜なら存分に熱血して下さってかまわないわけですが、おかげで毎週木曜はギリギリだ。

ドリフトするみたいに、三つ目の路地を急左折する。この道は街頭が少ないから、夜は使わないように親から言われていたけど、今日はしょうがない。近道なんだから。親も心配するくらいなら、塾まで送迎してくれてもいいのに。と、文句を言いつつも、私は夜の町は嫌いじゃない。もともと台風や雷でテンションが上がるような性格なのだ。人気のない薄暗い道なんて、おどろおどろしくて、自分が町を支配しているようでワクワクする。ちょっとした異界気分って感じ?特に今晩は時々車が通るだけで、誰も道にいない。歌でも歌ってしまうか、なんて気分だぜ。が、そんなことより帰るのが先だ。爆笑の泉が始まってしまう。面白いけど、録画するほどじゃないんだよね。さて、公園を抜けたら右に曲がって、

「あの、あなたオブジェクタムですよね」

後ろからセーラー服の少女の声が聞こえる。いや、聞こえるはずがない。何メートル離れて……違う、ここは違う。誰もいなかった。後ろには。え?セーラー服?なんで私セーラー服って。私は振り返る。いや、振り返っていた。まっすぐと前方にそれはいる。存在する。私は振り返りなどしなかった。なぜなら公園は四つ目の街頭を曲がった先にあるはずだ。ならここは、

私は初めから認識していた。

「……助けて、お父さん……」

自転車が畳の上を滑り落ちる。私はバランスを崩して、膝を摺りながらうつ伏せに倒れこむ。目を閉じると床の奥の天井の蛍光灯がチカチカと明滅する。

「すみません、ほんと。抵抗しなければすぐに解放しますから」

セーラー服の少女が小さな畳部屋には不釣り合いな大きさの学習机の上に座っている。夕日と朝日に後ろから照らされ、顔は見えない。蛍光灯の音が耳にまとわりつて頭の奥で反響する。汗と、腐ったような甘い臭い。黒い髪がわさわさと盛り上がり絡まり、机の上に座らされた私は鷲掴みにされて、

反転する。

回収される。

記憶が蘇る。

ブゥンと事務的な音がして蛍光灯が砕け散り視界が奪われる。突き刺さる。私の足に、腕に目に。

「知らなかったんですよね、私は。お父さんは三段論法できないって。ずっと昔からわかっていたのに」

女の声が私の喉から漏れ出す。違う。この声は私だ。それで、私はどうしたんだっけ、そうだお父さんが叩き割って、あれ、私が叩き割ったんだっけ。それとも割れたのは私だったっけ。

記憶が万華鏡のようにゆっくりとゆれて、ぶれて、反射して、拡散して、収斂する。

「しっかりするにゅ!これは魔法だにゅ」

耳の裏にこびりつくように埋め込まれた私の声を上書きするみたいにアルビヌスの声がねばりつく。

私は悲鳴を上げる。

私はパラフィジカルロッドを握りしめる。

私の畳が痙攣する。みぞおちを殴られる。嘔吐した。嘔吐している。嘔吐しそうだ。違う。これはまやかしだ。私は知っている。これは魔法だと。

「ごめん、アル。ぼーっとしてた」

声が聞こえる。女の声が。女の私の声が。羽佐間まりなの声。

私は思い出す。畳部屋の記憶をかき消す。こんな記憶は私にはないんだ。思い出すんだ、あの日の、そう、バーベキュー大会。川瀬の蟹。引きはがすんだ。私の内側の言葉を。光を。言葉を。竹串。声。お父さん。って誰。誰。飲みかけの麦茶。右手が伸びる。消そう。明かりを、蛍光灯の紐を引くんだ。違う。そんなもの私の記憶ではない。やめろ。黒ずんだ砂利。肉の焼けるにおい、音、声、光、声、声。引きはがされた爪。肉。爪。爪。血。爪。爪。爪。爪。

少女が右手を抑えて悲鳴をあげる。畳の幻像が、セーラー服が引きはがされていく。目をこらす、までもなく、少女は緑色のサテンにレースをあしらったロリータ風の服を着ていた。この少女趣味の露悪的なパロディじみた恰好は間違いない。魔法少女だ。魔法少女が私を見ていたのを私は見た。そして今、魔法少女は私を見ていない。気は逸らせたが、私は私服のままだ。分が悪い。自分の肉体を確認すると、どうやら私はまだ自転車にまたがり続けていたらしい、そのまま魔法少女に背を向けて全力でペダルを漕ぐ。どこからか声が聞こえた気がした。私は他の感覚をシャットアウトして、足を、ペダルを、自分が自転車のパーツであるかのように動かし続ける。素早く路地を曲がり、魔法少女の視界内から逃れ、そのまま路地から路地へとジグザグに走り続ける。

「どう、アル?まだ魔法にかかってる?今団地にいるように感じるんだけど」

息を切らしながらアルビヌスに尋ねる。気が付けば私はどこかの団地に入り込んでいた。こんなところに団地なんかあったっけ?無数の窓から光が漏れているのに、薄汚れた棟に囲まれて実際以上に暗く感じられた。あたりには人影どころか、猫も鳥も動くものは何もいない。

「間違いなく団地にはいるにゅ」

「あそこの街灯、点滅してるよね」

「してるにゅ」

「だー、疲れたぁ。マジ最悪なんだけど」

私は深く呼吸してから自転車を止める。アルビヌスに魔法は効かないからおそらく逃げ切れたはずだ。切れかけた街灯の点滅が先ほど共有された記憶、魔法がまた私の中で想起されて背筋に鳥肌が立つ。

「まだ安心するのは早いにゅ。とにかくまず変身して」

「めんどいから嫌。てか、塾にまでドレス持ってきてないし」

「にゅ!そういう態度だから不意打ち食らうにゅ!だいたい」

「あーはいはい、説教なら帰ってから聞くから。うえー膝痛ぇー」

膝にはやっぱり火傷ができていた。こっちは変身していなかったとはいえ最悪だ。というか全身まだ痛いし。息は落ち着いてきたけど。

「待つにゅ。あの魔法少女、ピンポイントでこっちを狙ってきたにゅ。今帰るのは危険にゅ」

「んあ?それもそうだけ、ど」

さすがに帰らないのはヤバい。テレビが終わってしまう、というのはともかく親がキレる。だけどかなり危険な状況なのは事実だ。たぶんあの魔法少女は私の行動を把握して待ち伏せしていた。となると、うーん、みつみか宮内峰さんに匿ってもらうしか。どっちにしろ親キレそうでやだなぁ。

 私は溜息を吐くと、団地の駐輪場に紛れるように隠れる。

「どうした、夜に?」

三コールほどでみつみが出る。幼馴染とはいえ、急に泊めてくれなんて頼むのはかなり迷惑だから気が引ける。しかも男子だし。

「もしもし、みつみ?あのー急で悪いんだけど、ほんと、はっきり率直に言うけど、今日泊めてくんない?悪いんだけど」

「は?なんで?親子喧嘩?」

「いや、魔法少女に襲われちゃって。帰るのヤバそうだから」

「え?襲われたって、デスピアーじゃなくて魔法少女?てか、怪我は?」

みつみが声を裏返してまくしたてる。

「してる。軽く。まあ、デスピアーでも魔法少女でもあり得ないんだけど。頼めない?えっと、喧嘩してプチ家出って体で」

「……仕方ないし、俺はかまわないけど、」

「オッケー。じゃあそっち行くから。親説得しといてね」

「はあ?無茶ぶりす」

電話を切る。良かった。交渉成立だ。そのまま、親に「みつみの家に泊まる」とだけメッセージを送る。当然怒るだろうけど、未読無視と魔法でなんとかなるだろう。明るい道と暗い道、どちらが魔法少女から逃げやすいか考えたけど、考えたってどうしようもない。普通に近い道でみつみの家に向かおうとすると、アルビヌスが、危機感が足りないにゅとキレだした。

 みつみの家の前には誰もいない、はずだ。アルビヌスと周囲の状況の認識が一致したから、魔法で罠にかかっていることはなさそうだ。インターホンを押すと、一瞬遅れてどたどたと足音が聞こえ、扉が開かれる。

「って、なんで変身中?」

みつみはデブった体に(本人曰く骨太で筋肉質なだけらしい)ピンクを基調にリボンやレースをあしらったロリロリフリフリなドレスを着ていた。また太ったようで、スカートの上からでっぷりとお腹が乗り出してトップスとの間に隙間を作っている。せめて腹毛剃ればいいのに。

「危険だったんだろ?というか、魔法使わないと急な泊まりとか無理だから」

「いや、マジごめん、助かる。お邪魔するわ」

リビングではみつみの母親が眠っていた。父親と妹もそれぞれの部屋で寝かせたらしい。上がり込んだ迷惑ついでに夕食を要求すると、図々しい奴だな、と言いながらカップラーメンを用意してくれた。ちょろい奴だぜ。

「で、襲われたって、なにごとだよ」

みつみが私の斜め前の席にドカッと座る。眠らせたあとも変身を解くつもりはないようだ。最初はみつみの変身姿を見てゲラゲラ笑っていたが、いつの間にか見慣れてしまった。

「塾の帰りに急に魔法かけられちゃってさ。共有されたイメージ的に、たぶん害意があるタイプ」

「なんか恨み買ったの?」

「無いと思うけど。でも口ぶり的に、私が魔法少女だったから襲ったっぽいんだよね。お前はオブジェクタムか、って聞かれたし」

私がズルズルとラーメンをすすると、みつみは腕を組んでうーんと唸る。あ、ごめんテーブルに汁跳ねた。私が汁を袖で拭いていると、ロボットのおもちゃ(みつみが言うにはロボットじゃなくてアトミックスーツらしい。知らね)が顔を出す。

「その口ぶりだと、知らない奴に襲われたんだぜい?しかし、魔法にかけられていたってんなら目撃情報も信憑性が薄いぜい?」

「そうにゅ。自分もリュックの中にいたから相手の顔も見られなかったにゅ。面目ないにゅ」

「あー、でもセーラー服だったよ。魔法で見ただけだし、どこの学校か知らんけど、ヒントになりそうなのそれくらい?」

「この辺のセーラー服の学校っていうと、えっと」

と言いながらみつみは立ち上がってタブレット端末を持ってくる。お互いに思いついた学校名を検索にかけてみるが、ヒットしない。ひとまずみつみの提案で、覚えているうちにセーラー服のスケッチをすることにした、が描いてみるとすでに記憶はおぼろげになっていた。というか、自分の制服でさえ、記憶だけで描けって言われたらきついし、ましてや魔法で共有された記憶なら、劣化コピーの劣化コピーだ。箇条書きで絵の横に特徴になりそうなものを三つ四つ書き出してみるが、いまいち参考にはなりそうにない。私はギブアップを宣言してシャーペンを置くと、なんかにゅーにゅー言ってるアルビヌスを無視してラーメンのスープを飲み干す。

「まあ、考えてもしょうがねぇよ。だって私狙いなんでしょ?また来たところをぶん殴れば万事解決だって」

みつみが目を細めて溜息を吐く。

「まあ、一理ないこともないけどさ。今日は俺がいるからいいけど、マジでどうすんだよ、これから」

「風呂入って寝る」

「ばっ……まったく。タオルとバスタオルは洗面台の下だから。もうお湯抜いちゃったからシャワーでいい?」

「え?湯船がいいけど?」

みつみとアルビヌスがまた図々しいだの考えなしだのゴタゴタ言いだしたが、結局湯船を張っちゃうのがこいつなのだ。むしろお世話させて頂きありがたいですと思うがいい。

「にしてもお湯がしみるー」

湯船に恐る恐る浸かるが、やはり膝がヒリヒリと痛む。

「怪我したのって魔法ででしょ!なんでまだ痛いんだよ。マジで最悪」

「相手に氷を押し付けて熱い!と叫ぶと実際に火傷してしまうようなものにゅ。魔法によって拡散、接続された魔力は魔法少女の神経回路と外界を襞上に」

「あーうっさい。私文系だから!」

ちょっと愚痴るとすぐこれだ。わからないことをわからない言葉で説明するか、お説教。魔法絡みの奴らにろくな奴はいない。みつみの家に泊まらせてもらってなんだけど。

手を組んで上に伸ばすと水面に反射した私の顔が揺れる。私も魔法少女だから、ドレスを着ただけでは相手を失認したりしないけど、さすがにこちらが丸腰の状態でパラフィジカルロッドを使われると認識も記憶もきつい。たぶん今の状況でみつみに話しかけられたり触られたりしても意識できないはずだ。あ、さては私の風呂を覗くつもりなのか。やれやれ、無様で下品極まりないがが、その情熱と恩と幼馴染のよしみで許してやらないことはないが許さない。私の美ボディを弄ぶなんて。

「覗かないし、まりなもお腹出気味にゅ」

黙れ。私はさっさと入浴を済ませると、みつみの妹のパジャマを借りて、気休めに膝に軟膏を塗り、ガーゼを巻いてもらう。まだ周囲に異変はないようだ。さっき親からブチギレメールと五件の不在着信があったから、家族も無事らしい。よかった。明日、学校の前に親は処理しとかないと。私はみつみの部屋に布団を敷いてもらうとちゃっちゃと眠ることにした。ちょっと部屋は臭いけど文句は言うまい。

 みつみは電気を消すと、いざとなったら守るから、と言ってドレスのまま自分のベッドに座った。

 「……なあ、覚えてる?」

一時間ほど布団で横になっていると、みつみがふいに話しかけてきた。

「え?何が」

「俺が野球部に入った時さ、凄いダメダメで、お前が、じゃあお前が変えればいいんじゃんって言って……それで……」

「は?知らんけど」

「……じゃあもういいよ」

何だ急に。気持ち悪。誰かと勘違いしているのだろうか。いや、私がマジで忘れてるだけかも知らんけど。しばらくして聞こえ始めたみつみのいびきによって、私は結局一睡もできなかった。


 2


私はちらりと窓の外を見る。少なくとも今日は全く襲われなかった。もっとも今も魔法にかかっている可能性がないわけではないけど。もうすぐ下校時刻だからだろうか。まだ何人かマスコミらしき人たちが正門前に集まってきている。それに、黒いスーツに青い傘を差した若い女、あのジャコメッティみたいなシルエットはおそらく新崎さんだろう、が足をクロスさせて立っている。

「……まあ、あんな人でも聞かないよりましか、な……」

チャイムが鳴ると同時に、まだ授業は続いているのに、クラスメイト達がガサガサと教科書を片付けだす。私も大きくあくびをすると、先生が授業を切り上げてからのそのそと帰り支度をする。ちらりとスマホを見ると、メッセージを受信している。みつみからだ。それも今。『今日はもう帰る?』どういう意味だろう。『そうだけど、新崎さんと会うつもり』『(驚きを表すイラスト)わかった。俺も付き合う。もともと下校も護衛ってわけじゃないけど一緒に帰るつもりだったし』『そりゃどうも。野球部はいいの?』『雨の日は休み』そんなだから毎年一回戦落ちなんじゃなかろうか。まあいいけど。『わかった。また連絡する』と送信する。お節介だがありがたいのも本当だ。カバンにノートや筆記具をしまい終え、アルビヌスを押し込む。いつの間にかやってきた担任が何かを話すと、ぞろぞろと生徒たちが一斉に教室を出ていく。氷上の事件以来、無意味に学校に残る生徒はほとんどいなくなってしまった。私もあとに続いて出ていく。新崎に話しかけるところはあまり見られたくない。生徒たちの下校ラッシュを避けるため、波が落ち着くまで校舎をふらつく。スポーツバッグに入れたドレスが邪魔で、歩いてバッグが揺れるたびにイライラする。雨のせいだろうか。ドレスを着たまま周囲の全てに魔法をかけて制服を着ているように感じさせることも考えたが、想像するだけでかなりの負担だったのでやめた。

廊下は誰の話し声もなく、雨音だけが反響している。うるさいのは嫌いだからありがたくはあるが、静まり返った放課後というのはどこか不自然で気味が悪い。

「……どうも、新崎さん」

「あ、羽佐間さんこんにちは、もしかして氷上あきらさんの情報ですか。って、なわけないですよね、いやそうだったら嬉しいですけど、それで何か御用ですか?」

あたりに人がいなくなったのを確認して、こっそりと話しかける。スーツの女が眼鏡をくいっと押し上げると、堰を切ったようにまくし立てる。普通の声量なのに、声が高いせいか大声で圧倒されているような気分になる。周りのマスコミがちらりとこちらを見る。

「いや、違いますけど。でも、あっち系関係なんで、ちょっと時間もらえませんか」

「あー、なるほど、いいですよ。じゃ喫茶店にでも。ちょっと歩きますけど、コーヒーがおいしいところがあるんですよね」

「あーはい。それで、あとみつみ……大河原も来るんで」

「オッケー。じゃあ行きましょうか」

と言うなり新崎は足早に、というか駆け足で水たまりも気にせずバシャバシャと動きだしてしまった。あと数分でみつみが来るんだけど。まあ、仕方がない。この人はいつもこんな感じだ。私も水たまりを避けながら新崎のあとに続く。

 喫茶店「あぴゅーす」は木造のこじんまりした店だった。客は他に誰もおらず、少し前髪が禿げているが上品な雰囲気の初老のおじさんがカウンターの奥に座っていた。店の中央には水出しコーヒーの抽出器具が狭そうに三つ並んでいる。

窓とは反対側の席に着いた新崎がブレンドコーヒーとタルトを注文する。私も(新崎が経費で落としてくれるから)同じものを注文して、みつみに場所を送信する。

「で、お話というのは?」

「単刀直入に言うと、襲われたんです、昨日。魔法少女に。それで何か情報を共有できないかなって」

「襲われたって、大丈夫だったんですか」

新崎が少しわざとらしく目を見開く。おうおう、リアクションありがとうよ。おかげで気持ちよく話せるぜ。

「まあ、見ての通り程度には元気ですけど、魔法で怪我したし」

「それは……あ、それで警察にも行きにくい感じですか。といか、怪我するレベルのモドゥムなら目撃情報も当てになりませんしね」

「ええ、それで困ってしまって」

「んー、モドゥムが統合されたときのパターンは覚えてるんだなぁ?」

新崎のカバンから亀(蛙?)のマスコットが顔をのぞかせた。

「えーっと、畳部屋?で蛍光灯とか学習机とか、たぶんセーラー服も?でも本質的なイメージを共有する前に逃げたっぽいから、わかんないってのが正直なとこっす」

「大事に至らなくてなによりですけど、それだけだと、うーん。セーラー服ってどこの学校でしたか?」

「えーと、さあ。黒い奴?少なくともこの辺のじゃないっぽくて」

 と話していると私たちの目の前にコーヒーカップと苺のタルトが置かれた。私はうーん、と唸って見せてからコーヒーを口に運ぶ。あ、本当においしいわ、これ。コクはあるけどすっきりした苦みで飲みやすい。

「そいうえば、魔法少女とかオブジェクタムとか、なんで妖精によって言い方が違うわけ?」

「ミームの変異によっては生存力に差があるにゅ。それで、より生存力の高いものが広く伝播するにゅ。ある種の免疫システムと言ってもいいにゅ」

説明になってんのか、それは。

「ようするに、羽佐間さんを襲ったオブジェクタムは古いタイプの、えっと、あなたたちの言い回しなら魔法少女ってことです」

新崎はどうやら理解しているようだ。口角を片方上げ、ストローでクルクルと氷を回している。古いタイプ?詳しく聞きたかったが、新崎に無知だと思われるのも癪だ。あとでアルビヌスに聞こう。理解できるかはともかく。

「もしかして羽佐間さん、襲われて昏睡したりしませんでしたか」

「え?例の集団昏睡事件ってやっぱり魔法絡みなんですか」

「それは何とも……」

 新崎はてっきり氷上の件にしか興味がないと思っていたけど、他にも仕事していたのか。もしかしたら氷上と集団昏睡に関係があると考えているのかも。

「今更ですが、オブジェクタムがオブジェクタムを襲うメリットなんてないですよね。本当はカンシェウムだったりしません?」

「それはないにゅ」

アルビヌスがきっぱりと断言する。カンシェウムというのは、たしかデスピアーのことだ。

「なんで言い切れるわけ?というか、新崎さんって遭遇したことあるんですか、デスピアーに」

「いや、ないから憶測だけです。でも、カンシェウムと戦う」

「浄化」

と新崎の妖精が口を挟む。

「失礼、ガスパル。浄化、ですね。その、浄化するのが私たちオブジェクタムの使命なんですよね。なら襲ったのはオブジェクタムではなくカンシェウムなのではないかと」

「あれは魔法少女にゅ」

「だから、なんで言い切れるんだよ。私、魔法少女になってから、えっと、結構経つけど、一回も見ないんだけど、そのデスピアーっての。邪悪の種子が発芽して云々とか言ってるけど、本当にいるわけ?」

「それは、カンシェウムがいなければ私たちオブジェクタムもいるはずありませんから」

なんだよ、まったく。わけがわからない。というかタルトもみつみも遅いし。私はこれみよがしにズゾゾと音を立ててコーヒーを啜ってみせる。だめだ、雨のせいかイライラしすぎかもしれない。寝不足だし、前髪はうねるし。そういえば、普段は前髪が雨でうねったりしないのにさっきから全然まとまらない。まったく。

「結局、確かなことって、私が襲われたこと。襲ったのは魔法少女であること。その魔法少女は私を知っていること。くらいですかね。いやになりますよ」

「そのオブジェクタムは他に何か言っていませんでしたか」

「えっと、あなたはオブジェクタムですか、ってこれ肉声だった?」

「わからないにゅ。少なくとも聞いてないにゅ」

「じゃあ、これも含めて魔法だった可能性はあるわけで。あと抵抗しなければ解放する、お父さん助けてとかどうのこうのと、えーっと、お父さんが三段論法できるとかできないとか」

「にゅ。その三つは聞いたにゅ」

「そのお父さんがどうのというのはたぶんモドゥムのトリガーですけど、抵抗しなければ解放、ですか。強盗の常套句ですね。何かを奪おうとしていた?少なくとも襲撃自体が目的って感じじゃなさそうですね」

言われてみればそうだ。しかし、こっちはどこにでもいる魔法少女の女子高校生だ。金品も持っているわけではない。いや、魔法を使えば金品くらいどうにでもできそうだけど、さすがにね。ちらとテーブルを見るとようやくコーヒーが来ていた。結露した水滴が垂れてコースターに水たまりを作っている。それにしても魔法少女から奪うもの、

「パラフィジカルロッドが目的?」

それくらいしか思いつかない。ドレスもそうだが、昨日は持ってなかった。いや、持っていなかったことまで敵が知っていたかは知らないけど。

「バクルスですか。確かに。でも、奪ったところで使えませんよね。別にバクルスが二倍で攻撃力が二倍ってわけじゃありませんし」

「んーそうだなぁ」

「でも、ぽくないですか。動機的に。魔法少女相手に何かを盗むってなったら」

そんなことより、コーヒーがまだ来ない。みつみも遅いし。何やってんだ。おじさん以外に店員がいないにしても遅すぎる。私は振り返ってカウンターを見る。あのおじさんはいなくなっている。厨房だろうか。溜息を吐いて抽出器具をちらと眺める。コーヒーは溜まっていく一方だ。一滴、一滴と雫が落ちて黒い波紋が広がる。窓の外はいつの間にか土砂降りになっている。みつみもかわいそうに。きっと来るころにはびしょ濡れだろう。

「それにしても遅いですね。そういえば、今日はどのようなご用件で?」

「用件もなにも、本題ですよ。魔法少女のあれが」

「オブジェクタムが、ですか。といいますと?」

「だから襲われたんですよ」

「どんな風に?」

コーヒーはまだ準備に時間がかかるようだ。抽出器具に落ちる雫を私は見ていた。一、二、ぴちゃん。一、二、三、四、五、ぴちゃん。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十…… 激しい雨が窓を叩きつける。店内はとても静かだ。それもそうだ、店内には誰もいなかった。それにしても遅い。厨房から聞こえていた水音が薄れていく。店の明かりが消えていく。グラスに結露した水滴が滴り落ちる。落ちない。溜まり続ける。遅い。落ちない。消える。水滴がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

「ちょっと、しっかりしてください」

 顔を上げる。テーブルには何も置かれていない。視界に黒いシルエットが入る。新崎がフリルの巻き付いた黒い服を着ていた。スカートが球根のように膨らんでほっそりした足を誇示する。あれ、どうして変身して。

「ありゃ、意外と早かったですねぇ。もう少しゆっくりしていただきたかったんですが」

カウンターから男の声がする。店主がはにかみながら腕を組んでいる。そして、カチューシャで薄い前髪を後ろに流し、オレンジのロリータ服を着ている。

「あ、あ、あ?」

私は慌ててパラフィジカルロッドを手に取る。いつから魔法が?アルビヌス……アルビヌスがいない。

「保険入ってます?」

 新崎が呟くと轟音が響き、喫茶店にピンクのデコトラが突っ込む。んだのか?あ。

「知りませんよ。私は。事故なんて。そんなことより大丈夫ですか。指、切ったりしてません?」

おじさんの言葉に呼応して新崎の持った包丁から血が滴る。新崎が右を見ると血が手を、肘を伝いスカートに落ちて染みを作る。黒いドレスがどんどん赤黒くにじんで、ぼやけて、デコトラのフロントライトが青白く光ると、オレンジのおじさんの手を握っているのは私の手?私の両手に穴が貫通しているのに

 気が付いた。しっかりしてください、羽佐間さん。パラフィジカルロッドを持って逃げて。何を言っている。私は持っている。あれ、何をだっけ?でもこんな手じゃ持てない。両手からしたたり落ちる、血だまりの上に私は立っていた。違う、血だまりから生じたのが私なんだ。ハイウェイで窓を開けて風を切る。ヤニの臭いが鼻腔を満たす。ハンドルがひとりでに回り続けて窓が開き続ける。拡大する。血液の上に落下する光源は私の乗ったデコトラすなわちデコトラの増殖以前のドライバーで、遅すぎたみたい、なんか、遅れ

 窓を開けた。

 雨が入って来て冷たい。

 鹿が私を見ている。

 犬の鳴き声はしなかった。

 「そっちのお姉さんってば、最初から変身しているなんて反則ですよ」

と私が言うと黒服のオブジェクタムがボックスステップを踏んだ。と同時に私の三半規管が乱れて視界が回る。天動説。奥でオレンジの服を着た私が転び落ちる。おや、ダンス経験者ですか?え、違う?いや、どっちでもいいんですけどね。

 み。

 大丈夫か。『おい』「聞こえってい、ることをことをいしきできるか」

 さっきまでの快晴が嘘のように思考が鈍る。ん、あ。このまとわりつく着心地ってドレス?

「あ、あ、ってみつみ?」

ピンクのドレスを着たみつみが私の肩を揺さぶっている。雨に濡れて全身ぐしゃぐしゃだ。自分の顔を触ると私も雨に濡れていることに気が付いた。数メートル先に喫茶店が見える。

「あれ、デコトラは?」

「お前の名前は?」

「る、羽佐間まりな」

「よし。はっきりしたな。今から新崎を助けに行く。ついてこい」

みつみ、来てくれたんだ。そうだ、早く新崎を助けないと。魔法にかけられて。ありがとう、みつみ。私はパラフィジカルロッドを握りしめて駆けだす。水たまりに足を突っ込み、跳ねた水が顔にまでかかる。が気にしない。一歩、一歩と走り続ける。雨のせいだ。アスファルトなのにぬかるみのように足を捕える。足を引きずる。みつみの背中が縮小する。足がはまって動けなくなる。右足と地面の区別がなくなっていく。ぬかるみをはがさないといけない。雨が耳の穴に入る。やめろ。行かないと。遅れてしまう。そうですかみつみさんという方を待たれているのですねということがわかったわけですがそのみつみさんはもちろんあなたがた二人の命もとりませんし何かを奪うこともありませんよと言っても信じていただけないでしょうが誓って本当なのですけど乱暴な手段をとってしまい心苦しくはありますねごめんなさい私は奪うつもりではなく借りるいえ共有といった方がいいでしょうシェアですねが目的です当然結果のためには手段が正当化されるとは考えていませんそこまで残酷な人間ではありませんし怖い思いをさせてしまったお詫びといってはなんですが今回の記憶はちゃんと消すというか上書きさせてもらいますからどうかご安心をそうだついでにコーヒーのお代も結構です自分で言うのもお恥ずかしいですがコーヒーにもプリンにも自信はあるんですあとミートパイとエッグサンドもねぜひまたいらしてくださいねお待ちしております。

 デコトラから降りたロン毛のサーファーがみぞおちを殴りつける。痛いよ。痛い。痛い痛い。痛いいいいいいいい痛いいい。

 「目を覚ますにゅ!目を開けるにゅ」

 光が目に入る。アルビヌスがいる。なら今の知覚は魔法じゃない?

「羽佐間さん、今です」

新崎が変身している。私は手を掲げる。私はパラフィジカルロッドを持っている。私は制服ではない青い服を着ている。私は見る。痛々しいオレンジに身を包んだ男を。思い出す。あの頃。息が絶えて、点滴を打たれて、動けなくて、すべての感覚が痛みにのみ研ぎ澄まされて鈍麻していき、意識が私の外を認識できず、見えず、目を閉じても明るすぎて、私が倒れた日。

 「もう大丈夫にゅ。しっかりするにゅ」

 顔を上げる、と言ってもすでに私は顔を上げていた。意識を再開したといった方が正しいだろうか。アルビヌスがいる。喫茶店にいる。店内にいるのはアルビヌス、新崎、新崎の妖精(ガスパルだっけ?)、店主のおじさん、みつみ、メッサーラ。ってなんでみつみ?あれ、最初からいたんだっけ?

「とりあえず安全確保」

と言って、みつみがぐったりと目を閉じて動かないおじさんのドレスを脱がせる。おじさんの横にはパラフィジカルロッドも転がっている。へーおじさん、上品な顔してトランクス派なんだ。ってそんなことはどうでもいい。

「アル、今、目の前にみつみがいるよね」

「ちゃんといるにゅ。魔法じゃないにゅ」

アルビヌスが言うなら間違いないだろう。しかしまだ頭が混乱している。いつから魔法をかけられて、かけていたのかさっぱりだ。おじさんから視線を外して横目で座っていた覚えのあるテーブルを見るが、コーヒーも伝票さえ置かれていない。ここに来た時から魔法が?でも会計して帰ろうとした覚えがあるんだよなぁ。みつみが来たから、ってあれ、来なかったよね。だから喫茶店に居続けて、って喫茶店にいたのってみつみを待つためだっけ。

「まだ混乱しています?羽佐間さん」

新崎がスカートのふくらみをクッションにするようにして壁にもたれかかっている。

「え、あ、はい。いつから新崎さん変身してました?私ずっと制服だったんで信頼できる記憶がなくて」

「ずっとです」

「ずっと?具体的には」

「普段からずっと着ているんで、というかスーツ着たことなんてほとんどないですよ」

ということはこいつ、ずっとゴスロリ様のまま出社したり取材したりしていたのか。社会人としてどうかと思う。

「私もガスパルのメッセージでようやく攻撃に気が付いたので正確ではありませんが、少なくとも私と羽佐間さんでこの喫茶店に来て、コーヒーとタルトを注文して大河原くんを待っていたのは現実ではないかと」

「たぶんそうだと思うにゅ」

「いや、たぶんって、妖精に魔法は効かないんだから、アルの記憶が現実そのものでしょ」

「そう単純でもないにゅが……。少なくとも魔法にかけられてもしばらく二人は普通に話していたと思うにゅ。だから明確にまりなたちの記憶のどこからが魔法の影響を受けていたか判別できないにゅ」

「マジで?怖―」

「新崎さん、どうします?縛ったりします?」

みつみが下着姿のおじさんを拘束するように馬乗りになっている。

「いいんじゃない、そのままで。パラフィジカルロッドさえ没収しておけば何もできないでしょ」

「にゅ、楽観的すぎるにゅ」

「手だけでも縛りましょうか」

「えー、でもロープとかないんですよね」

じゃあ聞くなよ。ぱっと見ても拘束できそうなものは特にない。喫茶店にあっても困るが。しかし、

「さすがにデコトラは魔法だったか」

「ああ、それ私のモドゥムです」

「え、マジっすか。どんな記憶ですか」

「昔は結構走っていましたよ、デコトラ」

いやいや、走っていても魔法で使えるレベルの強固な記憶ってなんすか。詮索はしないけどさあ。

みつみがうおっと声を上げる。もぞもぞとおじさんが足を動かしている。

「あ、あれ?ロゲリウス……あ、そうですか。えっと。ああ、みつみさんですよね、警戒なされなくても何もしませんし、できませんよ。お二方も申し訳ない。危害を加えるつもりはなかったのですが」

「うっせぇジジイ。信じられるか」

おじさんの目が覚めたと思うと、意味不明なことを口走り始めた。馬鹿にしているのだろうか。ついカっとしてしまう。

「いえ、本当です。質問があればちゃんと答えますから」

みつみはまだ上に乗ったまま動かない。新崎もパラフィジカルロッドを握りしめたまま凝視している。

「そう、ですか。ではまずあなたのお名前は?」

「流川すぎとしです」

おじさんがはにかんだような微笑を浮かべる。状況がわかっているのだろうか。質問した新崎の眉が一瞬ゆがんだ。

「それで、私たちを襲った目的は?」

「襲ったって、そんな……。私は助けようと思って。それに、記憶の共有がオブジェクタムの本質でしょう?」

「は?共有?」

 入口の鐘がカラカラと鳴る。全員が反射的に音の方を見ると小学生か中学生くらいの背丈で同じ顔のそばかすの女の子が二人立っている。

「こんちはー流川さ、え、裸?」

「あ、えっと、これはその」

とみつみがおじさんから離れる。この状況で通報でもされたらヤバイ。結果的に縛ったりしなくてよかったかも。と考えていると、女の子の顔が激しく歪む。

「魔法少女狩りか!」

「あいなちゃん、私が時間を稼ぐから変身してきて!」

「頼む、あいら」

女の子の片割れが店から飛び出すと同時にもう片方が右手を突き出す。その手に握られているのは、パラフィジカルロッド。

「な、何が起きて?」

「何も起きてないよ。何も」

女の子のもつパラフィジカルロッドがゆっくりと地面に落ちる。いや、パラフィジカルロッドじゃなく、女の子自身が倒れている。ゆっくりとなぎ倒された大木みたいに。咄嗟にみつみが走って抱き支えようとするが。倒れこんだはずの先にはすでに女の子がいなくなっていた。

「うごがああっ」

急にみつみが悲鳴を上げたと思うと、股間を抑えて膝から崩れ落ちる。え?魔法?ありえない。痛みがフィードバックされるほどの魔法なら、ここにいる魔法少女全員が共有して体験するはずだ。認識しているうちの一人だけが共有する指向性を持った魔法なんて聞いたことがない。

「ちょっと、あいらさん。暴力はダメです。ちょっとした誤解があっただけで、この方たちは敵とかそういうのじゃないです」

「え?な、そう、ですか……」

ぬったりと立ち上がったおじさんの前に気が付くと女の子が立ちふさがっていた。

「大丈夫か、あいら。今」

バンと勢いよく扉が開き、濃紺のドレスに身を包んだ女の子が飛び出してくる。

「ちょ、ちょっとあいなちゃん。タイム」

「こめ、あ?タイム?何?」

「お、お前ら何なんだよ……」

みつみが床をのたうち回りながら息を漏らす。

「皆さん、落ち着いてください。私たちが争う理由なんてないんですよ」

お前のせいだろハゲ。私と新崎は目を見合わせるとパラフィジカルロッドをテーブルに置いて両手を上げる。ハゲはぶん殴りたいけど。ドレスを着た方の女の子は一瞬眉をひそめて、じっとあたりをにらみつけている。

「……どういうことだよ、流川さん。こいつらが例の魔法少女狩りなんじゃねぇの」

「そ、それとも研究所の人なの?」

女の子が片割れの闘志とも猜疑心ともとれない鋭い目つきとは対照的に、目を伏せて、しかしパラフィジカルロッドを握りしめたまま呟く。

「え?オブジェクタムの襲撃は研究所の仕業ではないのですか」

ハゲは体を二人に向けたまま、視線を私と新崎に流すが無視する。

「どういう関係のアレか知らねぇけど、その双子か?そこのおっさんに襲われたのが私たちなんだけど」

私は怒鳴り声をあげるが、ハゲはアルカイックスマイルを浮かべて小首をかしげ、二人の少女は私の大声に驚きこそすれ、何も言わない。

「私たちは客としてこの店に来たんです。それで流川さん?に魔法をかけられて、安全のために」

「はぁ?何やってんだよ流川さん。ありえねー」

「いや、ですから」

「知らない人に魔法をかけるのは、怒られてもしょうがないと思う……」

「ちょいと待つでげす。話を聞くでげす」

カウンターに置かれていた狸と象のキメラみたいな置物の声が響く。

「そこのお客の女性二人は来た時からモドゥムにかかった状態をもとにして行動していたでげす。だから、まずモドゥムを共有して現実をフォーマットするしかなかったげす。説明すれば、まだ敵が認知していて上書きされた可能性があったでげす」

「いや、待ってください。私、ずっと変身していたんですよ。そう簡単にモドゥムが」

「だけど、うちにタルトなんてメニューないんですよ。なのにお二人とも迷わず注文された。そして、それを私が違和感と思えると言うことは、現在進行形のモドゥムではない」

新崎は目を見開くとテーブルに置かれていたメニューを奪うように手に取る。私もさっとメニューを見る。色鉛筆で装飾した手書きの丸文字がラミネート加工された画用紙に並んでいる。一つずつメニューを指で追うが、確かにタルトどころかケーキの文字もない。いや、私は新崎と同じものを注文しただけだからろくにメニューを見ていなかったが。

「……でも、確かに何度かタルトを注文したことが……」

「新崎さんが来店されたのは今日が初めてでげす」

「ちょっと待ってください。二人が魔法にかかっていたとして、なんで俺たちの名前を知ってるんですか」

「私、制服のままだったし、がっつり共有しちゃったし」

「宮内峰さんがおっしゃっていたので名前は存じていましたよ」

「宮内峰さんがこの店に?」

新崎が顎に手を当てる。

「ええ、常連です、ってあまりお客さんの情報を話すのはよくないですね」

「おいおい、じゃあその宮内峰ってやつがこいつらをあびゅーすに誘導したってことかぁ?」

「ちょっとあいなちゃん、飛躍しすぎ」

「この店に来る魔法少女がそう何人もいるわけないじゃん。いつも人全然いないのに」

「悪かったでげすね」

「とにかく、ここにいる全員にお互い敵意はないんだぜい。みんな落ち着くんだぜい」

いや、落ち着いてはいるけど。

「とにかく宮なんとかを問い詰めりゃいいんだろ。家どこだよ」

「だからあいなちゃん、落ち着いてってば」

落ち着いた雰囲気の方の女の子が観念したように鼻を鳴らしてポケットにパラフィジカルロッドをしまう。もう片方はドレスのまま腕を組んで新崎と流川をにらみつける。

「……ガスパル、私がこの店に来たことは?」

「わからないんだなぁ。いつもカバンの中にいるし、それに」

「いえ、大丈夫です……感謝しないといけないかもしれないですね、流川さん。それでまだ聞きたいことが」

「ええ、もちろんなんでも。ですが」

流川が後ろ組んでいた手をほどいて手のひらを見せるように前に出す。

「そろそろ服を着てもよろしいですかな」



 私たちは簡単な自己紹介と連絡先の交換だけを済ませると、双子、あいなとあいらが門限だと言うのですぐに解散することになった。連絡先を交換するのは少し躊躇したが、電話やメール越しに魔法はかけられないはずだし、何より聞きたいことも多い。それにもし敵がいるなら、猜疑心を見せるよりも連帯のポーズを取っていた方が生存戦略として正しいだろう。と帰る途中でみつみが言っていた。なんかいろいろ考えとるねぇ。普通に何も考えす連絡先渡しっちゃったよ。

 みつみは帰りの電車でもドレスを脱がなかった。地下鉄を待つ間も、パラフィジカルロッドを握り続けていた。私も少しは警戒して、アルビヌスを腕に抱いておく。ぬいぐるみを抱きかかえた高校生なんてちょっと痛い子みたいだが、仕方あるまいて。地下鉄を待つ間にも、何人かのサラリーマンにアルビヌスをチラ見される。しかし、神妙な顔をして変身したみつみがつり革につかまっていると、どこかズレていて笑える。

「ねえ、まりなは……」

みつみの声がアナウンスにかき消される。みつみの前の席で眠っていた花柄のシャツを着たおばさんがふいに目を開ける。私と目が合う。コツコツと足音が聞こえてそちらに目線をやると、スーツの女が隣の車両から移動してきたらしい、半開きになった車両間の扉が丁度カーブに差し掛かって大きく音を立てて閉まり、私もバランスを崩してみつみにもたれかかってしまう。

「おっと、ごめん、なんて言った?」

「いや、研究所ってなんのことか知らないかなって」

「何の話?」

花柄のおばさんはもう目を再び閉じていた。電車が止まって何人か乗り込んでくる。

「あの双子が一瞬口走ってた。襲ったのは研究所の奴らか、みたいな」

「そうだっけ。どっちにしても知らん。というか聞けばいいじゃん。そのための連絡先だろ」

「そうだけどさぁ……」

ええい、じれったい。こいつは体ばっかりでかくって、すぐに人見知りするんだ。というか危険が云々も人見知りの言い訳なんじゃないだろうか。

「だー、鬱陶しいな。じゃあ私が送ってやるわ」

私はつい声を荒げてしまう。談笑していた大学生の集団の声が途切れて、視線が向けられる。うるせえ、文句あんなら言ってみろ。

『こんばんは。羽佐間まりなです。あらためてこれからよろしくお願いします。さっそくだけど、研究所ってなんのことか教えてもらえないかな?わたしもみつみもしらなくて。。。』

マスコットキャラが頭を下げるイラストを添えて、双子とみつみをチャットグループに招待して送信する。一分ほどしてすぐにあいらがグループに入り、それから五分ほどしてあいなも参加する。

『こちらこそよろしくお願いします。哀川あいらです。研究所というのは、財前こころ研究会という組織のことです。どんな組織なのか詳しく知らないのですが、魔法少女狩りをしているという噂です。でも流川さんの話しぶりからすると、単なる噂ってだけかもです』

みつみが『財前こころ研究会』をネットで検索するが、一致する結果は見つからず、かわりにカウンセリングや大学の心理学会、あやしげなブログばかりヒットする。私は感謝とそちらも何かあったら気軽に連絡してほしい、とだけ返信する。まだ聞きたいことは多いが最初から質問攻めにするのはまずい。ゆっくりと信頼関係を構築するのが先だ、とはみつみの弁。じゃあお前が送信しろよや。

「噂になるってことはまりなみたいな事件は多いみたいだね」

「考えすぎじゃね?その研究所?研究会?も実在しないみたいだし」

みつみが逮捕されたみたいにつり革に手を通して両腕を上げて、ブラブラと体重を預けてゴキゴキと首を鳴らす。

「でも、いいよな。秘密結社。ロマンは感じる」

秘密結社、という音に反応して大学生の集団が反応した気がした、が気のせいだったようだ。大学生四人とも途切れずに雑談を続けている。いや、電車内でうるさいんですけど。

「あー?しょうもな。てか、私実際に襲われてるしロマンもクソも知らねぇよ」

電車が長いカーブに差し掛かって体がもっていかれる。ポールにつかまって大学生たちの方を見やると、少し前にこちらの車両に移動してきた女がいなくなっていた。いつの間に移動したのだろうか。さっぱり気がつかなかった。女が入ってきた扉はしっかりと閉まっている。その時、何かが激しく叩きつけられる音がした。私が、他の乗客も音の方に一斉に目を向ける。扉が半開きになっていた。閉じずに勢力を弱めながら何度か縁と衝突しているのを見ると、乗客たちはスマホを見たり本を読んだり会話したりする作業に戻る。案内音声が電車の音で聞き取れない。今どの辺だっけ、とスマホで時刻表を確認しようとすると、

「って、聞いてた?」

 みつみが私の顔を見下ろす。

「あ、ごめん聞いてなかった」

「お前な、だから」

怒鳴り声が響いた。乗客がまた操られているように優先席の方へ視線を動かす。ひょろっとした三十代くらいの男が貫通扉の前に立っている。がなり声のリフレインが少しずつ言葉の形になってくる。男は歌っていたらしい。この歌詞、聞き覚えがある。なんだっけ。男は電車に揺れに引きずられるようにたたらを踏んでいる。ふらつきながらも声量は増していく一方で、音程はめちゃくちゃだ。

「だっでえええええぇぇえそでがおどめのおおおおおううううないしょごころよおおおおおおおおお」

男は唸り声を絞り出しているが顔はぼんやりとしたまま、ゆっくりと瞬きをしている。

 叫び声の中、乗客はまたじきに顔をバラバラと伏せた。優先席に座っていた赤い服の女性だけが隣の車両へ移動した。同じく優先席に座っていた脂ぎった中年のスーツ男は、何事もないように大股開きで目を閉じている。大学生たちも二三言、やべーだのうけるだの口にするだけだった。

「アル……」

再び大きな音がして扉が叩きつけられる。

「このデブ専が」

男からではない、別の方からまた大声がした。みつみがビクッと震える。声の主とは逆方向の優先席の中年が、失言をかき消すとき特有のわざとらしい咳払いをすると、歌っていた男がバランスを崩して扉にもたれかかる。

「かぜにいいいいいいいいいぃぃっぃぃ……あー」

二番の歌詞を間違えた。男は黙り込んで、仁王立ち、というには心許なく虚ろにこちらを見る。目が合う。私は、電車に引きずられたのだろうか、半歩右足を下げる。

「あーあ、もう終わりだよ……」

男はそう呟くと首の左側を右手で描きながら、ゆっくりと目を閉じた。そのまま行進のように回れ右を決めると、電車の揺れなど存在しないようにまっすぐと歩き、扉を開けて、奥に進んで、ゆっくりと閉めて、奥の扉も開けて、奥に進んで、ゆっくりと閉めて、奥に進んで、しばらくして後ろ姿は人影に紛れて見えなくなった。

「アル、今の……」

「見てるぞデブどもが」

直後にまたかき消すようにまた咳払いが聞こえた。声の方へはもう誰も向かなかった。

「にゅ。現実にゅ。だから心配しなくても大丈夫にゅ」

私はポケットの中で握りしめていたパラフィジカルロッドから手を離す。みつみが肩をすくめて苦笑いする。私も目を細めてみせると、みつみの前にいたはずの花柄がいなくなっているのに気が付いた。

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