二章 謎めくひと⑤
「
「もしかして、それが、司野の亡くなったご主人様?」
「そうだ」
司野はいかにも不愉快そうに口元を
「てっきり殺されると思っていたら、あの男……
「式っていうのは、下僕ってこと?」
「そうだな。陰陽師が使役する妖しのことを、式神、式と呼ぶ」
「なるほど。その、辰巳……」
「辰冬」
「辰冬さんが、司野のご主人様になったんだね」
司野は、どこか遠いところを見るように、
「あのとき、辰冬は俺を司野と名付け、その名をもって俺に
「どんな呪……呪いを?」
「俺の力を大きく
そう言って軽く両手を広げてみせた司野の姿を、正路はしげしげと眺めた。
今、健やかな両目で見る彼も、やはり信じられないほど美しい。
卵形の輪郭、左右対称の、いかにも和を感じさせるスッキリした造作。それを包み込む、軽くウエーブした耳に掛かる長さの髪。
いかにも現代的な、おそらくは「
「司野の顔は、今っぽいよね。でも、その顔とか身体とかは、平安時代にご主人様から
「貰ったのではない。押しつけられたんだ」
生真面目に訂正し、司野は片手で自分の頰を乱暴に
「福々しい顔は、お前には似合わない。
「猛々しく、思慮深い顔。なるほど。大きな身体っていうのも、確かに平安時代ならずいぶん大柄だったんだろうな」
司野は渋い顔で
「そのせいで、よくあちこちに額を打ち付けた。まったく、辰冬の奴は、言うことすること、すべてが
「大きな身体には、何か理由があったの?」
好奇心から正路が
「棚のいちばん上に並べた巻物を取るのに便利だと。あとは、屋敷の庭にあった柿の実をもぐのにも重宝に違いないと」
「ブフッ」
思いもよらない他愛ない理由に、正路はつい噴き出してしまう。司野は、キリリと目を
「
「ご、ごめん。でも、まさかそんなこととは……か」
(可愛い!)
思わず言いかけた言葉を、正路は危ういところで
片手で口を
(誰かとこんなに長くプライベートなお
誰とも打ち解けられない自分が、自称
そんな事実に驚くばかりの正路に、司野はまだ軽く怒ったままで付け加えた。
「もう一つ。生きている人間を捕らえて喰らうことも、厳しく禁じられた。その
「ん? それは変じゃない?」
心に湧き上がった疑問が、
「だって、出会ったとき、司野は僕の脚をもりもり食べてたじゃないか!」
すると司野は、ニヤリとして、舌先でチロリと唇を
「喰ったとも。だが、俺はお前を捕らえてはいない。あの脚は、お前の身体から離れていたからな。地面に落ちていた脚を拾って喰らっただけだ」
「そんな
「呪とはそういうものだ。上手くかけたつもりでも、いつかどこかに綻びができる。おかげで、千年ぶりに
「再び待って。あの、もしかしなくても司野、僕に、『餌になれ』って言った?」
「言ったとも。下僕の務めの一つだ」
正路は、信じられない思いで、ちゃぶ台の上の、途中まで食べた塩鮭を見下ろした。
「つまり、この
正路の目に隠しようのない
もともと色素が薄く、茶色い
「!」
「捕らえなければいい」
口角を高く上げ、司野は歌うように言った。
「え……」
「お前は俺の下僕だ。捕らえずとも、お前は俺の命令に背くことはできん。俺が命じれば、お前はみずから手だろうが足だろうが喜んで差し出すことになる」
「そ、それは」
「逃げてみるか? 三歩と歩まぬうちに、お前の心臓から噴き出す血が、そこいらの古道具を軒並み朱に染めるだろうな」
突然、人の姿のままで妖魔の本性を
だがそれは、司野の悪ふざけだったらしい。
彼はすぐに両目を元の人間のそれに戻すと、ふっと笑ってこう言った。
「だが、お前の手足をもいで
「……えっ?」
「人間の身体を繕うのはもっと
そう言いながら、司野はさっきのお返しとばかり、正路の全身をジロジロと凝視した。
「特に、俺が欲張って
「そんなことで、コスパが悪い話をされるとは思わなかったよ」
力なく首を振りつつ、少しだけ
「でも、とにかく僕の手足をもいで食べる案は消えたんだね?」
「そうだな。元に戻さなくていいなら……」
「戻してください。っていうか、食べるのは
「それは追々考えるとしよう。まず、お前はせいぜい飯を食って、身体を元に戻せ」
司野の言葉に、正路は自分の両の手のひらを見た。
「もう、戻ってるよ? 司野が戻してくれたんじゃないか」
だが、司野は小さくかぶりを振った。
「完全ではない。俺は、俺の力をもって、お前の肉体の再生能力を高め、足りないところを適当に埋めただけだ」
「適当にって!」
なるほど、
「まだ、細かいところで治りきっていない組織や、
(なるほど、それで全身が痛いのか。これ、治りきってませんっていう、僕の身体の主張だったんだな)
しみじみと、両手の指を少しだけぎこちなく曲げ伸ばししている正路に、司野はこう言った。
「いいから、早く飯を食ってしまえ。それからお前……ねぐらはあったのか?」
正路は再び
「ねぐらって……。アパートに住んでる」
すると司野は、いかにもご主人様然とした態度でこう命じた。
「ならば、とっとと引き払ってこい」
「えっ?」
驚く正路に、司野は頭上を指さす。
「下僕なら、主のもとで暮らすのが当然だろう。さっき、お前が寝ていた部屋をくれてやる。好きに使え。ただし、物を置く場所はないぞ。荷物は捨ててこい」
「僕、ここで暮らすの? 司野と? えっと、ここには他に誰か」
「いない。お前と俺だけだ」
「なる、ほど?」
「わかったら、さっさとやれ。下僕が、主の命にいちいち異を唱えるな」
せっかくリラックスしていた司野が、また生来のせっかちさを発揮して、イライラし始める。
「わかりましたっ! じゃない、わかった!」
慌てて了解の返事をすると、正路は、悲しいかな、すっかり冷めてしまった、それでも十分に美味しい塩鮭の残りを、ごはんと一緒に口いっぱいに頰張った……。
妖魔と下僕の契約条件 椹野道流/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun
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