二章 謎めくひと④

 男のどこか柔らかな表情と、最後のひと言ににじむ温かみに、正路は少し驚いて素直な問いを発した。

「先代店主ご夫婦? ここ、お店なんですか?」

 すると男は、ほうじ茶を一口飲んでからボソリと答えた。

ぼうぎようどう

「……すみません、何て?」

「暁を忘れる堂と書いて、忘暁堂という。夜が深くなるのも忘れて、店を訪れる人とほうゆうのように語り合いたい……そんな願いを込めて、先代店主がこの店を開くときに掲げた名だ。人間は、親しくなるととかくしやべりたがる、奇妙な生き物だな」

「素敵な店名じゃないですか」

 正路は、本心からそう言った。人づきあいが下手で、誰ともそんな風に時を忘れて語り合ったことがない彼としては、「先代店主」のそんな望みが、とてもまぶしく思われたのである。

 とはいえ、男の話で、また謎が深まってしまい、どこからたずねればいいのか、正路はさっぱりわからなくなってしまった。

「あの、それで、この『忘暁堂』は、何のお店なんですか? もしかして、そこにある……ガ、えっと色んな品物を、売ってるとか?」

「もしや、ガラクタと言いかけたか?」

「いえ! そんなことは!」

 せっかく和みかけていた男の目が、また日本刀のように鋭い光を帯びる。正路は慌ててぶんぶんと首を横に振った。

「言葉に気を付けろ。ここにある品々は、皆、魂を持っている。無礼を働けば、相応の報いを受けるぞ」

「品物に、魂が? それって、米粒一つ一つに神様がいる的なことですか? おちゃ、いや、祖母がよくそう言って、おちやわんにご飯粒を絶対残すなって言ってたのを思い出したんですけど」

 すると男は、あきれ顔で首を振った。

「神の大半は、人の心が生み出したものだ。米粒にいると言うなら、人がそこに神を配したんだろう」

 男の言葉の意味がよく理解できず、正路は上手うまく返答できずに困り顔で口を閉じてしまう。男はそれに構わず、再び箸を取った。

「先代は、こつとう商と古道具屋を兼ねたような店を営んでいた。店を継いだ俺も、似たような商いをしているということになるんだろう」

「骨董屋さん、なんですね? なるほど。あの、それで」

 ようやく男の職業がおおまかにではあるがわかったところで、正路は背筋を伸ばし、思いきって根源的な質問を男にぶつけてみた。

「ご主人様とか下僕とか、そんなことになっといて今さらなんですけど、僕、足達正路って言います」

 男は実にれいに茶碗のごはんを平らげ、「知っている」とつまらなそうに言った。

「契約を交わしたとき、お前が名乗った」

「そうでした! だけど、僕のほうは、あなたの名前を知らなくて」

「そういえばそうだったか。名などに大した意味はないが……

 まるで女性のような名に、正路は意外そうに小首を傾げた。

「しの、さんですか? 名前が? あ、もしかして名字が?」

「姓は、たつという。名が司野だ。野をつかさどると書いて、司野。我があるじが名付けた。辰巳も、主の姓だ。便宜上、俺も使っている」

「……ちょっと待ってください」

 せっかく少しずつ色々な情報を得て、男、もとい司野の素性がわかりかけてきたところで、新たに大きすぎる謎が発生したことに耐えかね、正路は思わず右の手のひらを食器越しに司野のほうへ突き出してしまった。

 その仕草を無礼に感じたのか、司野は端麗な顔を惜しげもなくしかめる。

「お前の質問にわざわざ答えてやったのに、待てとは何だ」

「すみません。ほんとにすみません。だけど、ちやちや混乱しちゃって」

「何を混乱することがある」

「辰巳さんは」

「俺のことは、司野と呼べ。辰巳は、さっきも言ったとおり、主の姓だ。俺は借りているに過ぎん」

「それですよ! じゃあ、司野さんは」

「司野でいいと言っている」

 正路は、さすがに閉口して抗議した。

「そんな! だって、司野さんは見るからに僕より年上ですし、しかも……その、ご主人様、なわけでしょう? 呼び捨てにするわけにはいきませんよ」

 だが、司野のほうも少しも引き下がらない。ムッとした顔のままですぐにこう言い返してきた。

「呼び捨てで構わん。喋り方も、そう堅苦しくするな。長々とうつとうしい。余計な言葉が多すぎる」

「それこそ無理……」

「何が無理だ。もってまわったような語り口は気に入らん。短い言葉で、率直に語れ。俺とて、我が主には今と変わりない口ぶりで話していたぞ」

「それ!」

「……あ?」

「それ! 我が主って!」

 あまりのことに、普段の引っ込み思案も口下手もごく自然にかなぐり捨て、正路は軽く身を乗り出した。

「それは、先代のここの店主さんとは違う……?」

「違う。お前は何を聞いていたんだ。俺の下僕はどうにも愚鈍だな。先代店主は、この店の主だった人間に過ぎん。我が主は、かつてこの俺を支配していた、いや、死して久しい今も、しゆで俺を縛り続けている厄介な男だ」

「……しゅ?」

のろい、まじない。お前たちの言葉でいえば、そんなものだ。いずれも根は同じことだがな」

「呪い……。司野さん、誰かに呪われてるんですか?」

 そう言うなりジロリとにらまれ、正路はひど躊躇ためらいながらももごもごと言い直した。

「し、司野、は、誰かに呪われてる……の?」

 同年代の他人とすら、そんな風に気さくに会話ができたためしのない正路だけに、まだ実感がないものの、ご主人様である司野相手にタメ口をきくのは、彼の心の声をそのまま持ち出すなら、まさに「無理ゲー」である。

 だが、司野はそれでいいと言うように軽くうなずき、口を開いた。

「ああ。でなければ、こんなところで骨董商の真似事などしていない。まったく、いまいましい男だ。解き放たれたときは、これで自由に振る舞えると思ったんだがな。甘かった」

「ごめんなさい、マジでちょっと待ってくださ……待って」

 とうとう両手でこめかみの辺りを押さえてしまいながらも、正路は必死で得たばかりの情報を整理しようとする。

「つまり、司野さん、もとい司野は僕のご主人様で、その司野にもご主人様がいて」

「うむ」

「司野のご主人様はもう亡くなっているけれど、生前から今に至るまで、司野を呪っている。そして、司野はそのことで不自由している……?」

「そのとおりだ。わかっているじゃないか」

「いや、文脈はわかってるんだけど、中身がまったく頭に入ってこないっていうか、そもそも」

 正路の両手が、ゆっくりと自分の頭から離れ、ももの上に落ちつく。正路は、心の中にもんやりと湧き上がる不安と恐怖を押さえつけながら、小さな声で問いかけた。

「司野は……いったい、何者なの?」

 すると司野は、いかにも意外そうに、鋭い目を見開いた。

「何者か、だと? もうわかっているとばかり思っていた。先刻、お前が自分で言っていただろうに」

「へ? 僕、何か言いまし……い、言った?」

 キョトンとして自分を指さす正路に、司野は最後にしるを飲み干し、食事を終えると、サラリと言った。

「お前は言ったぞ。『そんなこと、人間にできるはずがない』と」

「あっ」

 正路は、息をんだ。

(確かに言った! ボロボロになって死にかけていた僕の身体をこんな風に「繕って」しまうなんて、人間にできるはずがないって。言ったけど……)

「そういえば司野も、『人間にそんなことができてたまるか』って言ったよね。ってことはまさか、いやそんなわけないよね。司野はどこから見ても人間だし」

「それが褒め言葉のつもりなら、せつかんが必要だな」

「ええっ?」

 ブスリとした顔つきで物騒なことを言い出す司野にされ、正路は思わず片手を畳について後ずさろうとする。

 そんな彼に、司野はさっき茶の話をしていたときのような平静な声でこう告げた。

「俺は、ようだ」

「……はい?」

あやかし、化け物、鬼……お前たちの言葉は多岐にわたりすぎて面倒だが、この世のものならぬ存在。それが妖魔だ。俺はその端くれだな。この上なく優秀な端くれだが」

「妖し……妖魔」

「ああ」

「つまり、人間じゃない?」

「そう言っている」

 今度こそ、正路は絶句した。

(危ない人だ。普段なら、絶対そう思ってなりふり構わず逃げ出すところだけど、この人は。いや、人じゃないって言ってるけど、便宜上この人は)

 脳内での考え事まで若干混乱した状態で、正路は必死になって思考を巡らせる。

(僕の命を助けてくれた。それは事実だ。下僕って何をさせられるのかちょっとまだよくわかってないけど、ベッドに寝かせてくれて、こうしてごはんも食べさせてくれた。怖いけど、どう考えても親切ではあるよね)

 ぶっきらぼうな言動をされるので、ついオドオドしてしまうが、司野が自分にしてくれたことを数え上げてみると、どれも恩義を感じざるを得ないことばかりだ。

 それに気付くと、正路の心から、恐れの感情が少し薄らいでいく。

「でも、司野はどこから見ても人間だよ? また怒られるかもしれないけど」

 勇気を出して言及してみると、司野はまた舌打ちした。

 だがそれは、正路にいらっているというより、誰か他の……正路が思うには、「亡きご主人様」に腹を立てているようだった。

 どうやらその推測は正しかったらしい。司野は、不機嫌に、それでも律儀に説明を試みた。

「俺は大昔、人をらう妖魔だった」

 再び、正路は、今度は右手で額を押さえる。

「また、極端に物騒な昔話が来た……!」

「何なんだ、お前は。いちいち俺の話に水を差すな!」

「ごめんなさい! でもそれってそもそも、いつの話?」

「ほぼ千年前だ。お前たちが言うところの、平安時代というやつだな」

「……平安時代」

 驚きも限度を超すと、感情が振り切れてむしろフラットになってしまうらしい。そんな新たな発見をしつつ、正路は妙に冷静に問いかけた。

「平安時代には、司野は人間を食べてたの? 僕の脚をかじってたときみたいに。あれ、本当にやったことだよね?」

 司野は、さも当然というように頷く。

「ああ。あの頃は、結界のほころびから都に入り込み、手当たり次第に人を捕まえ、引き裂き、喰らっていた」

「それを当たり前みたいに語られると、僕はどうリアクションしていいかわからないよ」

「ならばするな。ただ聞いていろ」

 すげなくそう言って、司野はせいさんな思い出話を淡々と続ける。

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