第2話
「やはりここの油揚げは群を抜いて美味い」
あれから四日ほど経ち、少しずつ白との生活にも慣れ始めていた。朝から夕方までのシフトを終え家に戻ると、白は昨日買ってきた油揚げを嬉しそうに頬張っているところだった。
一昨日の夜、どうやらこの近くに美味い豆腐屋があるらしいという情報を白はおもむろに語り始め、なんともスルーし難い空気を巧みに作り込み、根負けした俺は結局昨日のバイト帰りにその豆腐屋に向かう羽目になったのだ。もてなす必要はないというような、あの発言はなんだったのか。
「そういやこの辺りは古い建物も多いけど、白以外の妖怪は見たことがないな」
古い土地や建物には妖怪が住み着いているイメージがあるのに、と俺はふと疑問を口にしながら冷やしておいた缶ビールと弁当を机に置く。
「見たことがないも何も、見えないだろう君には」
さも当然かのように白は答える。
「いや、見えてるだろ。現に今だって……」
「それは君が見えている、のではなく私が見せているのだよ」
「……なるほど」
この世に生まれて二十五年。今まで霊感の類は一切感じたことがないのだから、急に妖怪が見えるようになったという方がおかしいか、と俺は妙に納得する。
「おや、妙に残念そうな顔をするじゃないか。君は妖怪が見えるようになりたいのかい?」
「いやそういう訳じゃないけど……」
ないけど。その先の言葉に詰まる。
どこかで自分に特別な力が宿ったのだと錯覚していたのかもしれない。人間誰だって多かれ少なかれ、そういう特別な何かを求める心はあるはずだ。
ほのかに宿していた期待は打ち砕かれ、落胆する気持ちが全くないとは言えないものの、妖狐と暮らしているというこの奇妙な現実がある以上、それほど深く落ち込むものではなかった。
「それにしても、君はどうして常にそうも浮かない表情をしている?」
思いもよらぬ質問に俺は反射的にビールを飲もうとした手を止める。
「浮かない表情なんか……してるのか?」
咄嗟に否定しようとするものの、冷静に考えると否定する根拠が見当たらない。明るくいきいきとした顔で毎日過ごしているかと言えばそれは完全にノーだ。夢に敗れ、毎日ただ命があるからというような理由だけで生きている状態で、それでも明るく過ごしていけるほど俺のメンタルは強くはない。しかしある程度の取り繕いは出来ていると思っていた。少なくとも常に浮かない表情をしているなどと指摘されることは微塵も想像もしていなかった。
「自分では気づいていないのか。まあそういう点はある種人間らしい部分と言えよう」
網戸にした窓から心地の良い風が入ってくる。
「何を憂いているにせよ、何の力も持たない人間が何十年と世を生き抜くというのはそれだけで、私たち妖からすれば大したことだと思うけれどね」
白の口調は妙に落ち着いており、決して人間を馬鹿にしたくて言っている訳ではないことは分かる。
「そうは言っても、世の中もっと立派なことをしてる奴らは沢山いるんだよ。俺みたいに結果も出せずただ惰性で生きているだけじゃなくてさ」
「毎日ふてくされた顔で酒を飲んでいるだけかと思ったら、案外けなげじゃないか」
貶しともとれるその言葉に俺はジロリと白を睨むと、白にもその意図が伝わったのかごめんごめんと笑いながら謝ってきた。
「惰性で生きるのもまた一つの立派な生き方さ。そもそもの根底として、ただ生きて存在しているということに、君ら人間はもっと価値を見出した方が良い」
そうなのだろうか。俺はビールをごくりと流し込む。
俺よりも遥かに長い年月を生きているであろう白の言葉は説得力を帯びているが、素直に納得するのは難しい。
「まあ人間など皆赤子同然。理解できないのも無理はあるまい。……さて、どうやら買っておいた油揚げはこれが最後のようだ」
白は皿に置かれた油揚げを掴むとわざとらしく俺の前にちらつかせる。散々神のように語ったくせに、なんて俗っぽいのだろうか。
「お前、結構欲深いよな」
「そこが良いのではないか」
悪びれもせず白は笑う。
まったくこいつは何をしにここに来たんだか。
ため息を漏らしつつも明日の予定を思い浮かべる俺がいた。
妖狐と俺の冴えない日常 koharu tea @koharutea
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