第27話 この深い森を抜けて

「ヴィヒレア!」


 キサがヴィヒレアの体を仰向けに起こす。そして彼女の周りに他の動物たちやクッカらも集まった。


 心配そうにヴィヒレアの顔を覗く皆に対し、


「ありがとう……みんな。私は大丈夫だから……」


 と、彼女は懸命に平静を装うが、誰もがその強がりを見抜いていた。


「どう見ても大丈夫じゃないだろ。もう無理する必要ないんだよ」


 ケトゥの言葉にリントがはっと気が付いた。


「そうか、この青年が王になるなら、ヴィヒレアが森を守る必要はない」

「その通りだ」


 頷くケトゥの隣で、クッカがヴィヒレアの手を握る。


「ヴィヒレア女王……森は私たちに任せてください。あ、そのためにはまず、ヴァローの返事をもらわなくちゃだけど」

「クッカ……」


 クッカに見つめられたヴァローは立ち上がって、クッカに手を差し出す。


「僕からもう一度言わせて。僕はクッカと結婚したい。クッカは?」

「もちろん私もよ!」


 ヴァローの手を取り、食い気味で答えるクッカ。


 束の間の明るさに、辛そうだったヴィヒレアの表情も少し和らいだ。


 ケトゥはヴァローらを一瞥し、そのヴィヒレアに向かっても笑いかけた。


「ったく、良いところ持っていきやがって。ほら、もうこれで完全に安心だぜ」

「ええ、これからのメッツアを頼んだわよ……」


 ヴィヒレアはそう言い終えると激しく咳き込む。体が跳ねる度に、銃で撃たれた腹の血の滲みが広がった。


 あまりに痛々しい光景に再び皆から笑顔が消える。


 そのような広場に老婆が杖を突きながら姿を現した。


「まあ! これは!」


 と、声を上げる老婆。それにより、皆は彼女の存在に気が付く。


「おばさん?」

「まさか、え?」


 コーラもキサも彼女の姿に驚きの声を漏らす。あれから百年。まさか生きているとは思わなかったのだろう。皺の数が増え、腰も曲がっているが、間違いなくマーだとコーラたちはわかった。


 マーは杖をその場に落とし、不安定な足取りで駆け出す。


「マー侍女長!」


 ヴィルは転びそうになる老体を支えながら、ヴィヒレアの元へ誘導した。


「ヴィヒレア! 良かった、私はずっとお前が生きてると信じ続けていたんだよ」


 キサはマーのためにスペースを作る。そしてマーはキサに代わって娘を抱き抱えた。


 ヴィヒレアも目の前に現れた肉親に瞳を輝かせる。


「……お母様、こんなところでまた会えるなんて。嬉しいわ……」

「私だって嬉しいわ。もう会えないかと思ってたよ」


 マーの目から溢れる大粒の涙が、ヴィヒレアのドレスの上に落ちていく。


 百年ぶりの感動の再会に、周囲ももらい泣きをしてしまう。クッカも両手を口に当てながら、


「本当に、大婆様の娘だったのね……」


 と、漏らした。


「だから言ったじゃろ」


 マーも若返ったかのような笑顔をクッカに向けた。


 ヴィヒレアは残った力を振り絞りながら、細いマーの腕を掴んだ。


「お母様、私、お父様のこと、ずっと後悔していたの。もっと違うやり方はあったんじゃないかって」

「あれは事故よ。しょうがないわ。それに、実際あの人のやり方は少し強引だったのよ。ヴィヒレアは悪くないわ。謝るのは私の方……、私はあなたを救えなかった……」


 ヴィヒレアはゆっくりと首を横に振る。


「そんなことない。お母様も悪くないよ。…………

お父様に謝まりたいな。でも、……謝ったあとは、森の素晴らしさを死ぬまで語り尽くすんだから……」


 マーの腕を掴んでいたヴィヒレアの腕が地面に垂れる。


 啜り泣く音も、風の音も聞こえない。静寂が広場を包み込む。


 マーは安らかな顔で眠るヴィヒレアの頭を優しく撫でた。


「……ヴィヒレア」


 娘の名前を呼ぶが、返事はない。


「ケトゥ、脈測れる?」


 キサの問いに、


「……ああ、俺が測ろう」


 と、彼は垂れたヴィヒレアの腕を取った。


 しばらくして、ケトゥはその腕をヴィヒレアの胸の上に置いた。


「……時期に俺たちの魔法も解けるだろう」

「そう……ありがとう」


 キサは感謝を述べると、ヴイヒレアに視線を落とす。


「よく頑張ったね、ヴィヒレア……」


 不老不死の体をもってしても、被弾が致命傷となったのか。はたまた、森に安寧が訪れたことによって、魔法が解けたのか。それはわからないが、ヴァローは自身の行いを咎めた。


「ごめんなさい……僕があの時撃たれていれば……」

「そんなこと言うな。そんなこと、ヴィヒレアは思っちゃいない」


 と、ケトゥはすぐにヴァローを否定した。ケトゥらしからぬ震える声で彼は続けた。


「だけど、彼女のことを忘れないで。森の女王の勇姿を後世に語り継いでくれ。この大いなるメッツァの伝説を」


 ヴァローは瞳に溜まった涙を拭うと、信頼に応えるように強く頷いた。


「……わかった。必ず語り継ぐよ」

「ああ、よろしくな」


 ケトゥも堪えきれずに涙を零す。


 コーラはヴァローらの方を向くと、


「お前たち、悪いがここを出てくれないか。僕たちだけにして欲しいんだ」


 と、お願いをした。するとマーがゆっくりと腰を上げる。ヴィルは素早くそれを支えた。


「私が連れていくよ」

「おばさん、あなたはいてもいいのよ」


 キサは、コーラがヴァローやクッカたちに対して言ったことを理解しており、その旨をマーに伝えようとする。


 しかし、マー自身もわかっていての行動だった。


「いいんじゃよ。最後に伝えたいことは伝えられた。コーラとキサの声も聞こえたし」


 マーはキサとコーラの頭を撫でる。そして杖を拾ってきたクッカからそれを受け取った。


「さようなら、ヴィヒレア」

「ゆっくりお休みください、ヴィヒレアさん」


 クッカとヴァローが順に別れの言葉を口にする。


 ヴィルは自分の馬の元へ戻り、二人もそれに続く。マーも背を向けたが、もう一度ヴィヒレアの方を振り返ると、


「元気でね」


 と、声をかけた。


 もう二度と目を覚ますことはない。しかし、彼女の言うようにヴィヒレアはどこかで元気にしているのだろう。動物たちはそう感じられた。


 人間たちが去って行き、広場にはヴィヒレアと動物たちだけが残される。


 決していつもとは同じ空気ではないのに、どこか馴染みのある雰囲気が漂う。


 ケトゥは大きく伸びをすると、周りの動物たちを見回した。


「さて、俺たちもそろそろお別れだな」

「そうね、みんな百年以上お疲れ様」


 と、キサも皆に労いの言葉をかける。


「ようやくゆっくり羽を休めるわね」


 羽を広げるリントに、クァンニを見つめるコーラ。


「クァンニが最後まで僕に振り向いてくれなかったことが心残りだなー」

「何言ってるの」


 と、最後も冗談めかしくクァンニは誤魔化す。そして、


「でも、みんなに会えて良かった」


 と、続けた。リントも羽を折りたたむと、しみじみと頷いた。


「同感。みんなありがとう」


 コーラ、クァンニ、リンとは微笑み合いながら、ゆっくりとヴィヒレアの覆い被さるように倒れる。


 それを見届けたケトゥは、欠伸をしながら、長かった人生を振り返った。


「俺も間も無くだ……。罪滅ぼし、できたかな」

「できたどころか、ケトゥは働きすぎよ」

「ふっ。優秀だからな」


 眉を上げてドヤ顔をするケトゥが面白く、キサは思わず笑ってしまう。


「まあ、最後までそんなこと言うのね」

「何度でも言うさ。……みんな、ありがとうな」


 そう言うと、ケトゥも座ったまま、項垂れる。


 一番最後まで残されたキサは、ヴィヒレアの頬を撫でると、


「ヴィヒレア、もしまた会えたらの話だけど、その時はまた一緒に過ごしましょう。これからもずっと一緒に」


 と、願った。


 次第に体の力が抜けていく。やがてキサも、他の動物たちと同様にその場に倒れた。


 森を危機から救った女王と、その使いの動物たちが眠る広場。どこか神聖とも言えるような空間となった、その広場が青白い光に包まれる。


 その光と共に、エルヴィクスとユマラタルが姿を現した。


 ユマラタルはヴィヒレアの前に屈み込むと、優しい声で彼女たちに感謝の言葉を述べた。


「皆さん、最後までありがとう。この功績はこの先百年、千年と語り継がれるでしょう。そしてこの物語を聞いた人は皆森を大切にするべきと思ってくれるはず。救世主である森の女王、ヴィヒレアのように」


 ユマラタルは立ち上がると、両手を大きく広げた。するとヴィヒレアたちが倒れている地面から無数の木が生えてくる。次第にその木はヴィヒレアたちを飲み込んでいき、絡まり合いながら一つの木として天へ伸びていく。


 そして六つの大きな枝を持つ大木として、そこに聳え立った。

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