第26話 希望の光

「動くな!」


 ケトゥの覇気に、ヴィヒレアは力を振りしぼって声を出した。


「駄目よ……殺すのは絶対に駄目……。みんなは、そんなことしちゃ駄目」


 ケトゥは彼女を一瞥すると、すぐにラーハに視線を戻した。


「わかってるよ。俺はヴィヒレアを悲しませるようなことはもうしない。だけど、俺が頭良いことを忘れてもらっちゃ困るぜ」


 その言葉に、彼が何かを企んでいることを誰もが理解した。キサは彼にそれを問うた。


「あんた何するつもりなの」

「俺が撃つつもりはないと言っても人間のあんたはこれで動けないだろ。なぜならお前は狐を信用していないからな」

「……この狡猾な狐が!」


 自分が信じられていないという立場を逆手に取ったケトゥの機転。さすがとしか言いようがなかった。


 ケトゥの思惑通り、ラーハはロープで縛られているわけでもないのに身動きができなくなった。


 ヴィヒレアは物理的にも固めようと、動物たちに指示を出す。


「……コーラ、キサ、この男を捕らえて」


 倒れるクァンニの元にはリントを残し、二匹はラーハの両腕を掴んだ。十字架のように張り付けられたような姿になるラーハ。そこに馬に乗ったミエスの彼、ヴィルが姿を現した。


「おお、お前! 今すぐ私を助けろ!」


 と、ラーハは目を輝かせるが、ヴィルはそれを無視して馬から降りる。


「すまない。ヴァロー君、遅くなった」


 ヴィルはそう言うと、ヴァローに紙束を手渡した。彼もまた右手でそれを受け取ると、


「こちらこそ、ほとんど任せてしまってすみません」


 と、感謝を述べた。


 その会話にラーハも異変を感じたようで、一瞬輝いた目はもう光を失っていた。


「ヴァロー、今だ。やってやれ」


 ケトゥはヴァローの作戦の準備が整ったことを察すると、銃を構えたまま一歩後ろに下がった。


 その分、ヴァローがゆっくりと一歩前へ進んだ。


 そしてラーハに向かって紙束を見せつけた。


「ラーハ市長……これを見てください」

「……何だ、それは」

「ラーハ国王、追放の署名です。国民全員に聞いてきました」


 それを聞いてラーハは顔を真っ青にする。一方、クッカは興奮気味になった。


「ヴァロー、いつのまに」

「まあね」


 と、ヴァローも得意気な顔を見せる。


 ラーハは動物たちから腕を振り払うと、ヴァローから紙束を奪い取る。そして次々とページを捲り、そこに書かれている名前の羅列を見た。


「……こんな紙切れ、何の意味がある?」

「今まで、誰もこの案を出す勇気がなかった。けど僕が出した! こんな身分でも、あなたを王座から引きずり下ろすことができる! そういう意味がある!」


 そう言い切るヴァロー。それでもラーハは状況を認めることができず悪足掻きのように唾を飛ばして叫んだ。


「バカめ、私から王座を奪ったところで政治は変わらんぞ! 私の思想を継ぐ者は議会にたくさんいる!」


 その滑稽な姿に面白くなってしまった、ケトゥは思わず笑いをこぼしてしまう。


「お前も馬鹿だな、まだ部下を信じているのか」

「何だと!」

「可哀想に。信頼している部下から、国王は信用されていないなんて。なあ? ヴァロー」

「その通り。あなたはここで終わりです。署名をよく見てください」


 ヴァローは紙束の最後のページにある名前を指差す。


 ラーハはその名前を見て、手を痙攣させた。信じられなかったのだろう。そこにある最も信頼する部下の名前に。


「……ヴィ・ル・ピトン!」


 ヴィルもヴァローの横に並び、口を開く。


「ラーハ国王。これはクーデターであり、革命です。議会の人間は元より半数以上があなたへの忠誠を失っていた。そして残りの半分も、「森の焼く案」には失念したそうです。もう我々はラーハ国王の政治体制に追いていけない。今は王と呼ぶべきかも疑わしいが」

「けっ。このアホが」


 更にクッカも立ち上がり、ヴァローとヴィルの前へと歩み出る。


「お父様、私も言いたいことがあるの」


 クッカはラーハを見つめるが、彼は娘と視線を合わさない。しかしクッカは構わず続けた。


「私って今年で十八だけど、結婚するには遅いのよね?」

「なんだ突然」

「遅いのよね……早くしてほしい?」


 皮肉を込めて、同じ内容を繰り返すクッカに対し、ようやくラーハは顔を向ける。


「当然だ! 年頃の王女がまだ結婚していないなど、世間からどう思われるか」

「じゃあ、私ヴァローと結婚する」


 クッカのその発言に一度時間が止まったように思えた。誰もがその意味を理解するのに時間を要したからだ。


 そしてその止まった時を再び進めたのはラーハだった。


「……馬鹿言えっ! それこそ世間からどう思われるか」

「あら、あなたのことを見る世間はもういなくなるわ。そして、ヴァローを新たな国王にする」

「クッカ、何言ってるんだ。僕なんかの身分じゃ王にはなれない」

強気に攻めるクッカに対し、ヴァローは現実的な問題に気がついた。しかし、すぐにそれは杞憂だとわかる。

「あなたこそ何言ってるの。ヴァローは私の家に婿入りするのよ」


 その意味をケトゥが咀嚼し、言い換えた。


「てことは、ヴァローはもう平民じゃない?」

「僕が貴族になる?」


 しかしクッカは貴族という言葉に、嫌な顔をしてみせた。


「まあ、こんな身分制度も必要ないわよね。ヴァロー、あなたが王位に就いた暁には、こういう制度は廃止にしましょ。ついでに世襲制も。元国王も古い風習の排除を望んでるし」

「選挙制を導入すると? それでこの男が選ばれればいいがな!」


 調子づいたクッカが真剣な表情に変わる。ハッタリを込めたクッカとしての攻撃が、ヴァローへの信頼の言葉になった。


「きっと選ばれる。お父様と違って、ヴァローは周りのことをよく見てて、気が利くの。国民はみんな知ってる」

「この……クソ娘が! か、仮に当選しても、そもそも身分以前にお前は教養がない!」


 諦めの悪いラーハに対し、ヴァローが更に攻撃に加わる。


「確かにまともな教養はないけれどこれだけはわかる。金と権力だけに目が眩んで森を無くせば後悔する。そこがわかっているだけお前が国王をするよりマシだ。それに……」

「それに?」


 言い淀むヴァローに、クッカが先を促す。


 それに……。その先を言うことをヴァローは逡巡した。


 平民と王族という、恋をするには大きすぎる壁。想いを口にすれば、更に高くなるかもしれない壁。


 自分にはどうにもできないと思っていた。かつての自分なら。


 しかし、今の自分ならどうだろうか。


 変われただろうか。勇気のある男になれただろうか。


 いや、なるのだ。ここで変わるのだ。


 そしてヴァローは葛藤の末、決心した。


「僕の方が、クッカを幸せにできる自信がある!」


 ヴァローの台詞に湧き上がる動物たち。クッカも喜びのあまり、彼の名前を呼びながら抱きつく。唐突な彼女にヴァローは顔を赤くするが、クッカは構わず続けた。


「よく言ったわね青年」


 ヴィヒレアも彼の発言に関心しながら、痛む腹を抑えて立ち上がる。そしてラーハに近づき、左手を広げた。


「悉くあなたの負け。もう二度と、森に近づくな」


 大きく広げられた手に赤い光が集まり始める。しかしそれをヴァローが止めた。


「待ってください」


 彼が一歩前に進む。ラーハは顔の向きを変えないままヴァローを強く睨むと、静かに呟いた。


「殴るのか」

「殴らない。僕はあなたのようにはならない」

「貴様……。私を馬鹿にするのもいい加減にしろよ!」


 と、勢いよく立ち上がるラーハ。キサもコーラも振り払われ、彼はヴァローの胸ぐらを掴んだ。


 ヴァローの足が少しだけ地面から浮くが、ヴァローは一切目を逸らさない。


「いいか? これは下克上じゃない。同じ人間として、対等な身分の者として言っているんだ! もうあなたは王ではない!」


 ヴァローを掴むラーハが震える。その口は何か言い返そうと開きかけては閉じるを繰り返した。


 そしてヴァローの足が再び地面に着く。


 ラーハは項垂れながら、ヴァローらに背を向けて歩き始めた。


「……もう好きにしろ」


 闇の森の中に消えていくラーハ。彼の馬も一人歩き始めた主人を慌てて追いかけていった。


「バーカバーカ!」


 と、コーラはその背中に向かって飛び跳ねながら吠えた。コーラだけでなく去り行く脅威を見つめた。


 そして彼らの背後で何かが倒れる音がした。


 皆がすぐに振り返ると、深緑のドレスを見に纏う彼女が地面にうつ伏せになっていた。


「ヴィヒレア!」


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