第21話 きよしこの夜


 ふと、ヴァローは目を覚ます。


 酷い夢だと思った。どうしてクッカが捕らわれた今、あの頃を思い出しでしまったのだろう。


 ひとまず体を起こそうと試みるが、上手く起き上がることができない。やけに体が、特に腹が重たかった。ヴァローは自分の体の下の方に視線をやると、それなりの雪が積もっているのがわかった。


 雪を降らし続ける厚い雲の向こう側がまだ少し明るい。明るいと言っても、自分の周囲が肉眼で見える程度だが。


 しかしこの調子ではすぐに暗くなるだろう。それまでに山を下り、クッカのことを城の人間に知らせる必要がある。


 ヴァローは自分のお腹の雪を手で払うと、冷えた体を起こした。

山道は随分と雪が積もっていた。一歩進む度に足が取られる。しかし止まっている暇はなかった。ゆっくりと一歩ずつ。されど急ぎ足で山を下った。


 メッツァに着いた頃には更に暗くなっており、吹雪の勢いも増していた。


 そのせいか、ほとんどの店がもう店仕舞をしており、商店街に人影はない。


 街灯の明かりだけを頼りに石畳だった道を進んだ。


 早く城へ。その一心だった。


 あまりに夢中になって歩いていたため、ヴァローは路地から現れた人影に気が付かなかった。思わずぶつかってしまい、そのまま後ろから倒れる。


「すまない。大丈夫かい」


 と、手を差し伸べるぶつかった男の声は優しかった。身につけているタキシードからすぐに貴族の人間だとわかったが、彼の誠実な対応は良い意味で貴族らしくないとヴァローは思った。


「僕もすみません。前を見ていなくて」


 ヴァローも謝罪をしながら、彼の手をありがたく取る。そしてそのまま引っ張り上げてもらった。すると、その男の側にいたローブを頭に被った女性から聞き覚えのある声が聞こえた。


「……ヴァロー君?」

「え……ミエスさん?」


 女性がローブを取ると、カマリと瓜二つの顔が現れる。


「知り合い?」

「ええ。王女の友人で。それより、こんな所で何してるの。あ……ヴィル、彼のことは、カマリとクッカ以外には秘密にしておいてくれる?」


 人差し指を口に当て、ミエスは困ったようにお願いしてきたが、ヴァローにとってそれはどうでも良かった。


「それは構いません。あの、クッカが森の女王に捕まって。……僕のせいなんです」

「待ってくれ青年。森の女王っていうのはあの女王かい? 伝説の物語の」


 ヴィルという男は決して馬鹿にしたわけではなかったが、ヴァローのことが信じられないという様子の表情をした。それはミエスも同様だった。


「つまらない冗談はやめてよ。ヴァロー君らしくない」

「本当なんです! 僕が、僕が不注意で木の枝を折ったから。だから女王が怒って……。それで……」


 あまりに真剣に話すヴァローに、二人もさすがに只事ではないと思ったようだ。二人は一度目を合わせると、男の方が口を開く。


「森の女王のことは一度置いておいて。王女が行方不明となれば緊急事態だ。すぐに捜索隊を出すよう王に掛け合おう」「ありがとうございます!」

「……ヴァロー君。そうなれば、つまりラーハ王がこのことを知れば、間違いなくお怒りになる。もちろんその矛先はあなたにも向かうかもしれないけど……」


 ミエスはヴァローの身を案じたが、彼は力強く頷いてみせた。


「覚悟してます。僕の責任なので、どんな罪も受け入れます」


 その姿勢は貴族の男にも好印象だった。彼は少しだけ口角を上げると、


「良い青年じゃないか。減刑には尽力するよ。さあ、そうと決まればすぐ城へ戻ろう」


 と、路地から彼は抜け出す。ミエスもヴァローも彼に続き、摩天楼のように聳える城へと急いだ。


 城に辿り着くと、内部へと通じる大きな門の前に案内された。何度か、ここまでは来たことがあるが中に入れてもらえたことはなかった。


「すまない。青年はここで待っていてくれ。なるべくすぐに戻る」


 と、ヴィルが言うと、ミエスと共に城の中へと入っていく。今回も中には入れず、ここで留守番となったが幸いにも屋根がある。雪は凌げるので彼らの帰りを待つ上で支障はなかった。


「ったく。女王から逃がしてもらった癖に告発か。これだから人間はよお」


 唐突に背後から聞こえた低い声。どこか斜に構えたような喋り方。上から目線な態度に反して、聞いたことのない声だった。


「誰だ」


 辺りを見回すが誰もいない。


「誰だ! どこにいる!」


 もう一度叫ぶと、石の柱の影から白い狐が姿を現した。鋭い目に、銀色の体毛。しかし足や鼻先は黒い。


「人かと思ったか?」


 と、その狐が口にする。先ほど聞こえた声と全く一緒だった。喋る動物だ。


 ヴァローの脳内ですぐに自分たちを縛った犬や鳥と結びつく。


「君、まさか女王の」

「なんだ。意外に賢い奴だな。そうだ。ヴィヒレアの仲間だ。お前のことは鳥野郎たちから聞いたぜ」


 狐は文字通りニヤリと笑う。まるで悪巧みをしている人間のような微笑みだった。


「僕のことをつけるように頼まれたのか」

「そんな雑用なんてしないさ。俺の仕事は街の調査。森を守るためにも周囲の情報は把握しておく必要があるからな。お前のはついでだよ」

「……なら今すぐ女王に知らせに行った方がいいんじゃないか。城の捜索隊が来るぞってな」

「ああ、そのつもりだ。仕事を増やしてくれてありがとよ」


 狐はそう言い残し、城の門に背を向けた。


 人間を恐れない彼の行動に、ヴァローは恐れを感じた。


「ク、クッカに傷一つつけたら許さないからな」


 そう言い放たれた狐が歩みを止める。そしれ振り返ることもなく、ただ静かにヴァローに尋ねた。


「……彼女はお前にとって大切な存在か」


 思わぬ問いに一瞬戸惑ったが、ここで気圧されては駄目だと自身に言い聞かせながら答えた。


「ああ。こんな身分の僕と昔から仲良くしてくれている大切な存在だ。だから助けなくちゃならない」

「女王だって同じだ。森は昔から一緒に育ってきた大切な存在。森を傷つけるものから守りたい。お前と同じだ」


 ヴァローの答えに対し、狐は食い気味で被せてきた。先ほどの余裕とは打って変わって感情が溢れ出しているような喋り方だった。その姿にヴァローはどこか親近感を感じた。


「僕と同じ……じゃあ、女王は君にとってどういう存在なの? 女王を守ろうとするってことは大切な存在なのかい?」

「聞いてどうするんだ。どうせ人は狐の話なんて信じやしないだろ」

「僕も森が好きだ。女王と同じだ……。だから女王のことを知りたい。君のことも。僕は君を信じてみたい」


 本心だった。彼はただの狐じゃない。森が好きで、大切な人のことを想える狐だった。自分との違いは狐か人間か、それだけだとヴァローは思ったのだ。


 しかし、その歩み寄りは狐の琴線に触れた。


「信じるだと? 俺は信じられないね。狐の俺が今までどんな仕打ちを受けてきたか、お前にはわからないだろ!」


 勢い良く踵を返し、狐は歯茎を剥き出しにしてヴァローへ近づいてくる。森で何度も見た威嚇する獣の姿だった。


 その刹那、城の門が開かれる。


 ヴァローは反射的に狐を自分の後ろに隠した。


 それと同時に現れた人物の正体を知る。


 釣り上がった、人を見下すような目つき。大きく出た腹。その割に丁寧に整えられた灰色の髭。


 そして頭上に乗る王冠。


 メッツァの悪にして、愛する人の父親。


 ラーハ王だった。



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