第3部 希望の光

第18話 偽悪


 クァンニがクッカを城の中へ連れて行ったことで、ヴィヒレアは一人広場に残される。吐いた大きな溜息は静かに響き渡った。


「情けない溜息ね」


 そう言いながら一匹の猫がヴィヒレアの方へと歩いてくる。灰色の美しい毛並みを持つペルシャ猫。ヴィヒレアと最も長い仲であるキサだった。


「何が『気が向いたら返す』よ。何が自信ないよ。これじゃあただの優しい森の魔女じゃない」

「キサ、聞いていたのね」


 ヴィヒレアは苦笑いをして答えた。


 決して聞かれたくなかったわけではない。しかし、古い親友に聞かれるには少し気恥ずかしさを感じたのだ。


「悪意はないのよ。目が覚めちゃって」


 謝りながら、キサはヴィヒレアの膝の上に乗る。彼女も丸い背中を撫でながら、遠くを眺めて呟いた。


「私、やっぱり森の女王に向いてないのよ」

「そうね、百年間経って初めて捕まえた人間はただ誤って枝を折っただけの子だし。挙げ句の果てには街へ返すとか言ってるし。さらには捕らえた子に弱音まで吐いて。お世辞にも向いてるとは言えないわ」

「そうよね……」


 本気で落ち込む様子を意外に思ったキサは、フォローをすべく彼女を褒めようと試みた。


「でもあんたはよくやってる。現に、森は一切大きな被害を受けてない。あなたやコーラたちのパトロールのおかげでしょう」

「……ありがとう。そう言ってもらえるだけで心が軽くなるわ」

「何年あなたを見てると思ってるの。それに、あなただって優しい心を持ってる」

「でも私はこの手で父親を殺した」

「あれは事故よ」

「だけど! …………」


 語気が強まる。ヴィヒレアの目元が赤くなっていることにキサは気づいた。しかし決して涙が溢れることはない。我慢をしている。とてつもない精神力で、女王として生きていることをキサは知っていた。


「そんなに自分を追い詰めないで……正直心配だわ。女王になってから目に生気がないもの」

「当たり前じゃない。もう百年以上生きているのよ。生気なんてとっくに無くなってるわ」

「コーラもリントもあんな風に役になりきってるけど、あんたのこと心配してたわ。無理をしてるようならやめた方がいい」

「無理なんて全然。それにこれは私の罪滅ぼしでもあるの。もっと頑張らなくちゃ」


 ヴィヒレアが立ち上がると同時に、キサは地面へ飛び降りる。


 城へと戻るヴィヒレア。その寂しそうな背中を追いかけながら、


「あなたは悪くないって。わかってほしいだけなのに」


 と、小さな口で呟いた。






 獣道さえもない。木々が生い茂る森の中を歩き続けた。


 何時間も歩き続けている気がするが、おそらく意外とそうでもないのだろう。しんしんと雪が降り続ける雲の向こう側が少し明るい。きっとまだ夕方くらいなのだ。


 小道に出ると、両腕を縛っていた縄が解かれた。腕はようやく自由になったが、縛られていた部分がひりひりしていた。


「さあ、元いた場所へ帰りなさい」


 黒い鳥が嘴で道の向こう側を指す。おそらく、そちら側がメッツァの街に繋がる道なのだろう。


「これはお前の荷物だ」


 続いて、レトリバーがヴァローへ矢筒を差し出す。彼は黙って受け取るが、それを再び肩にかけることができなかった。膝も地面についたままで、立ち上がることもできない。


 放心状態のヴァローの様子に、リントとコーラは目を合わせる。


「ヴィヒレアを悪く思わないで、青年。ヴィヒレアもヴィヒレアなりに悲しんでるんだよ」

「……でも、僕が、僕のせいで、クッカは……。僕が気をつけていれば!」


 「こんなものっ」と矢筒を地面に叩きつけようとする。矢筒を高く掲げたが、それを振り下ろす気力さえヴァローには残っていなかった。


 代わりに目に涙が浮かんでくる。


「……僕が、僕が弱くなければ…………」

「弱いなんて。あんたは勇敢だよ」

「リントの言う通り。僕たちが間違ってた」

「でも……。でも、僕が平民じゃなければ。もっと違う出会い方ができてたかもしれない。そうすればもっと違う方法でクッカと仲良くできたかもしれない。そうすれば、……こんなことになんて」

「……ヴァロー君」


 嗚咽の混じるヴァローの言葉に、リントも何と返せばいいかわからなかった。


 無言の中、雪だけが降り続ける。先ほどまでは歩いていたから良かったが、今は止まっているので体もどんどん冷えてくる。


「……ヴァロー君は悪くない。君なら、きっと……ううん、何でもない」


 言いかけた言葉を飲み込むリント。彼女はコーラと一度目を合わせると、来た道を引き返した。コーラも縛っていたロープを咥え、リントに続く。


 ボロボロのハットのつばに雪が積もり始める頃。ヴァローはまだ動けないままだった。


 もはや寒さも感じない。


 そのまま仰向けになるように倒れる。


 雪が降り続ける空を見上げ、ヴァローは自問自答を続けた。


「どうすれば、彼女を救えるのだろう」






 コーラとリントが城を目指し、森の中を進んでいると、同じ方向に進む見知った後ろ姿があった。


 雪のように真っ白な毛。枕にすると気持ちよさそうな尻尾。そして引き締まった筋肉。尖った三角の耳。


「ケトゥ?」


 コーラがそう声をかけると、


「おう、お前たちか。どうした浮かない面して」


 と、彼は振り返って立ち止まった。リントはここまでの経緯を丁寧に説明すると、ケトゥは深刻そうな顔をして俯いた。


「そうか。……そうかぁ」

「僕らがヴィヒレアに、クッカも返してあげるよう説得しても良かったんだ。だけど森を守るためには、時に残酷さを見せることも大事だろ?」

「ああ、いや、違うんだ」


 コーラの言葉にケトゥは首を振る。


「一つだけ、気になることがあってな」

「気になることって何よ」

「昨日、街に調査に行っていた時の話なんだがな」


 ケトゥは賢く、頭が良い。そのため、城の外でも単独行動をすることが多く、特に動物たちの中で唯一街中でも森の守人として仕事を行っている。ヴィヒレアから指示された内容は街の様子の調査。情勢などを常に把握し、以前ヴィヒレアが狙われた時のような万が一に備えるためだ。


 いち早く情報を得て女王に伝える。いわゆるスパイと呼ばれるような役職。ケトゥにぴったりだということで任命されたのだ。


「セウラーバの人間が王城に来てた。前のクラフトみたいに胡散臭い奴だったぜ。危機感を感じて張り込んでみたが、どうやらただのお見合いだったようだ。しかもクラフトもどきは腹を立てて帰って行ってたしな」

「で、気になることは?」


 と、コーラが話の先を急かす。


「皆まで言うな。ヴィヒレアは森の神さまたちに「森に安寧が訪れるまで」という約束で魔法をかけられた。それから百年だ」

「確かに、いつになったら平和になるのかね」

「違う、そうじゃない」


 ケトゥはリントの感想を否定すると、目を鋭く光らせた。


「まだ森に危険がある。再び迫ってると言ってもいい。そう考えられないか?」


 ケトゥのその言葉にリントとコーラはハッとした。しかしケトゥは二匹に頭を整理する暇を与えなかった。


「ヴィヒレアが捕らえた子は、クラフトもどきのお見合い相手。プリンセス・クッカだ」

「そ、それってつまり。また前みたいな軍が森へ押し寄せてくるってことかい?」

「ラーハ……王様がそこまで娘想いとは思えんが、可能性は十二分にあるな」

「じゃあ早くヴィヒレアに伝えなきゃ!」

「待て。慌てるなコーラ。これはチャンスでもある。……ヴィヒレアを救えるチャンスだ」

「あんた、さっきから言ってることがわからないよ」


 脳を使いすぎて疲れたのか、リントはコーラの頭の上に止まり羽を休めながら言った。


「お前らから話を聞いた限り、ヴァローって奴が使えそうだ。奴がヴィヒレアの、俺たちの希望の光だ。俺は奴の様子を見に街へ戻ってから城へ行く。お前たちは森の動物たちに緊急事態の声かけをしながら城へ戻ってくれ。早く城に着いた方がヴィヒレアに伝えよう」

「わかった。多分」


 本当に二匹がわかっているのか不安だったが、ケトゥはリントとコーラを信用し、街のある方向へと駆けて行く。二匹も二手に分かれ、動物たちに城へ集まるよう声をかけ始めた。

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