第17話 花世の姫


 両腕をロープで縛られた二人は、吹雪が舞う暗い森の中を歩かされた。

 しかし突如視界が開け、雪も止み、辺りも明るくなる。


「ヴィヒレア女王! 連れて参りました!」

「ヴィヒレアですって?」


 背後から聞こえた声。そして口にされた名前にクッカはすぐに反応した。後ろを振り返ると更なる驚きが待っていた。そこにいたのは金色の毛並みを持つレトリバー。そしてその横に並ぶ黒い鳥がクッカの額を突いた。


「女王陛下を呼び捨てにするんじゃないよ」

「い、犬と鳥が喋ってる?」


 と、ヴァローも珍しく冷静さを欠いていた。それも当然。彼が言ったように犬と鳥が喋っているのだ。まるで魔法がかけられているかのようだった。


「静かにしておくんだ。まもなくヴィヒレア女王がいらっしゃる」


 レトリバーがそう吠えると、広間の奥から丸太の椅子を持ったユキウサギが姿を現した。


 広間の中央、二人の目の前にその椅子を置くと、ウサギは側で手を前で組んで立った。


「ヴィヒレア女王の御成でございます」


 ウサギが可愛らしい声でそう口にすると、丸太の椅子の上が赤く光始めた。その光はやがて強くなり、周囲を真っ赤に照らす。やがて爆発したかのように光が発散した。


 クッカらはあまりの眩しさに目を瞑ったが、ゆっくり開くと、そこには先ほどまではいなかった女性がいた。


 深緑のドレス。真っ赤なポインセチアと梢の装飾。金のリボンに、薄黄色のレース。そして木の枝のような禍々しい冠。


 氷のように冷たい表情をした彼女は、静かに口を開くとレトリバーたちに問うた。


「その子たちで間違いないのね」

「ええ、間違いなく。彼らが意味もなく木の枝を折っていました」

「な、あれは事故です! 故意じゃない!」


 すぐに思い至ったヴァローが弁明するが、女王と呼ばれる者はそれを一刀両断する。


「それは森を傷つけてないという意味にはならないわ」

「確かにそれはそうだ……。悪いと思ってる」


 ヴァローが反論できずに黙り込むと、女王の視線はクッカに向いた。


「あなた」

「私ですか」

「そう、あなた。さっき私のことを知っているような言動をしていたけれど」


 彼女の言う通りだった。クッカは彼女のことを知っている。


 幼い頃、森に迷い込んだあの日から無性に気になり始めた。憧れの存在。魔女、希望。悲劇の王女。英雄。


 メッツァの街に多くの逸話を残す、あの「伝説」の主人公。


「森の女王……ヴィヒレア」

「だから呼び捨ては−―」


 と吠えるレトリバーをヴィヒレアはすぐに制止した。


「コーラ、構わないわ」

「……女王の寛大なお心に感謝するんだな」


 コーラという犬は気に食わないようだったが、女王の命令にクッカから一歩下がった。


「いかにも。私は森の女王・ヴィヒレアよ」

「まさか実在しただなんて。動物たちの言葉がわかるのもあなたの魔法ね」


 森の神々から魔法を授かったというヴィヒレア。元々彼女が動物の言葉を理解できたこともあり、クッカはそう推測したのだ。


「ご名答。私たちのことよく知っているわね。どこで知ったのかしら」

「メッツアの街では、あなたのことが『森の女王』伝説として語り継がれています。メッツアの森を守った英雄であると……」


 クッカのその説明に、ヴィヒレアは自嘲気味に笑う。


「随分と美化されたものね。まあ、百年も経てば脚色は入るか」

「伝説、本当だったのね」

「街で語り継がれているというその伝説を詳しく知らないから肯定はできない。でも、私は森を焼こうとした父親をこの手で殺し、森の女神の魔法を受け今日まで生きながらえている。この森を動物たちと守りながらね」

「伝説の通り……」


 生唾を飲み込むクッカに、ヴィヒレアは手の平に赤い光を集めながら冷たく微笑んだ。


「それなら森に危害を加えて、私に捕まったらどうなるかも知っているわね」

「……罰が下される」

「その通り」

「待ってください!」


 ヴァローの声に、ヴィヒレアの手の光が収まる。彼は身動きができない状態ながらも一歩前へと踏み出し叫んだ。


「罰ならクッカの分まで僕にください! 枝を折ってしまったのは僕のせいで、彼女はただ近くにいただけなんです」

「ほう、女の子を守るか」


 ヴァローの様子に感心したような声をヴィヒレアは漏らす。


「いや、それなら私だけに罰を! 彼の誤射を招いたのは私なんです」

「庇い合うとは。二人は恋仲なのかしら」

「「いや、それは」」


 二人の否定が見事に重なる。ヴィヒレアはニヤリと口角を上げた。


「まあ良いわ。どちらにせよ罰は下す。しかし、あなたたちは私が見てきた愚かな人々とは違う。コーラ、その少女を私のところへ」

「はい」


 コーラはクッカの腕を結ぶロープを咥え、ヴィヒレアの前へと引っ張っていく。ヴィヒレアは丸太から立ち上がり、跪いているクッカと視線と高さを合わせるように屈んだ。


「名前は?」

「……クッカです」

「クッカ、良い名前ね。今日からクッカは私たちと共に森で暮らす。少年は街へ帰りなさい」

「何だって? 殺すなら僕を殺してくれ!」


 クッカに言い渡された重い刑に、ヴァローは再び一歩踏み出すが、黒い鳥にロープを引っ張られる。


「殺すなんてしないわ。言ったでしょう。一緒に暮らすと。あなたもこの子も殺さない。優しい罰だと思うけれど」

「でも!」

「ヴァロー! 私は大丈夫だから!」


 抵抗し続けようとするヴァローを、次はクッカが止めた。共に自分を犠牲にしようとする二人にヴィヒレアは頷く。


「良い子たちね。コーラ、リント、その青年を森の外まで連れて行きなさい」

「「わかりました」」


 ヴィヒレアの命令に返事をした動物たちは二匹でヴァローのロープを引き、来た道を戻ろうとした。それでも最後の抵抗をしようと、ヴァローは体を反対に向けながらクッカに向かって、


「ごめんクッカ……必ず助けに戻ってくるから!」


 そう宣言した。


「必ずだ!」


 門らしくものを潜ると、彼の姿も動物たちも見えなくなる。広場にはヴァローの声の余韻だけが残っていた。


 ヴィヒレアはヴァローが連れ去られた方を見ながら静かに呟く。


「良い青年だったわね。きっと彼と幸せな道を歩む人生もあったでしょうに」

「……私を、どうするつもりですか」

「何度も言わせないでちょうだい。これから一緒に暮らすのよ」


 そう言ってヴィヒレアがクッカのロープを解く間に、ウサギがもう一つ丸太の椅子を持ってきた。


「どうぞ」

「……」

「座りなさい。疲れているでしょう」


 女王も促すと、クッカはようやく丸太に腰をかけた。ヴィヒレアも再び座り直し、横にいたウサギに指示を出した。


「クァンニ、クッカにお茶を」

「わかりました」


 クァンニが広間の奥、高く聳える巨大樹の城に戻ると、ヴィヒレアは先ほどと打って変わって優しい声音でクッカに声をかけた。


「怯える必要はないのよ。あなたに危害を加えるつもりはないのだから。これから共同生活を送る者として歓迎するわ」

「本当に何もせず、一緒に暮らすんですか」

「そう、一緒に暮らすのよ」


 クァンニは丸いお盆にポットとティーカップを載せて現れる。彼女はクッカの目の前でカップに紅茶を注ぐと、クッカの方へ差し出した。


「メッツアの森で採れた茶葉を使っています。熱いので気をつけてくださいね」

「ありがとうございます」


 クッカは渡された紅茶を眺める。本当に口にしても大丈夫だろうか。


 何度も読み返した「森の女王」伝説。本当は優しいヴィヒレア。


 しかしいざ本物に会ってみると、魔女と言われるのも頷けるほど恐ろしいものだった。


 それでも、あの優しい声音は、確かにクッカが信じてきたヴィヒレアだった。


 ゆっくりとティーカップを口に運び、一口飲んでみる。甘い香りが口の中に広がり、次第に体が暖かくなった。


「……あ、美味しい」

「お気に召していただけて嬉しいです」


 思わずこぼれた感想にクァンニはその場で飛び跳ねて喜んだ。クァンニは取り乱した、と慌ててヴィヒレアの側に戻る。


「どうして森に来たの」

「森が好きで。いや、それもそうなんですけど。何だか日々に疲れちゃってて。綺麗な花が見れたら嬉しいなあ、なんて。真冬なんですけどね」


 ヴィヒレアの問いに上手く答えられず、妙な苦笑いをしてしまう。しかしヴィヒレアの表情もどこか和らいだ気がした。


「森が……花が好きなのね」

「ええ。私のクッカという名前も花と名前が込められているんです。だから花は大好きです。メッツアの森の花は特に」

「それは余計に危害を加える理由がないわ。気が向いたら街へ返してあげましょう」


 そのヴィヒレアの意外な提案に、クッカは喜びと驚きの感情がごちゃ混ぜになり、立ち上がった。


「本当ですか!」

「気が向くまではこの森で暮らしてもらうけどね」


 ヴィヒレアはそう付け加えたが、その言い方がクッカにとって面白く、思わず笑ってしまう。堪える努力はしたが上手くいかず、ひとまず再び腰をかけた。


「何が面白いの」

「何だか、ヴィヒレアさんって伝説よりも優しいんですね」

「え? 怖さ足りてない?」


 ただでさえ優しい声音に戻っていたヴィヒレアの声が、さらに素っ頓狂なものになってしまう。


「いや、怖さが足りてないというより、優しさが滲み出てるというか」

「うふふ。クッカさんよくわかってるわ」


 クッカにつられ、クァンニも吹き出してしまった。


「クァンニ笑わないで」

「あら失礼」


 困った顔をするヴィヒレアに、あまり反省をしていなさそうな調子でクァンニは返事をする。ヴィヒレアがあまりに眉を八の字に曲げるので、クッカはすぐに謝罪した。


「あ、悲しませてしまったならごめんなさい」

「ううん、全然。私もあまり女王っていう肩書きに自信を持てていなかったから」

「そうだったんですか」

「やっぱり内側から森を守るのには限界があるの。さっきの青年みたいな子がリーダーになってくれればいいんだけどね」

「やっぱりそう思います?」


 ヴィヒレアは深く頷き、自身の胸に手を当てた。。


「人を導く者には優しい心が必要なのよ……。さ、私の話は終わり。クァンニ、彼女を私たちの寝床へ案内してあげて」

「わかりました。さあ、こちらへどうぞ」


 クァンニがクッカからティーカップを受け取ると、ヴィヒレアは一度彼女を呼び止めた。


「クッカ」

「はい?」

「今日からあなたはこの森の住人。花の姫よ。わからないことがあれば彼女にでも私にでも気軽に聞きなさい」


 やはりこの人は優しい人だ。クッカはそう思った。いつ街に戻れるかわからない。でもヴィヒレアなら信用できると思った。


「……ありがとう」


 クッカはそう感謝を述べると、ヴィヒレアを広場に残し、クァンニに城の中へと案内してもらった。

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