第16話 君がいるから

「クッカー、クッカー起きてるのー?」


 高く昇った太陽の光が部屋に差し込む。そのクッカの自室に、カマリの声が響き渡っていた。


「クッカ? 入るわよ」


 応答のないお姫様に心配したのか、カマリが扉を開く。その音でクッカはようやく目を覚ました。


「ひょっと!」


 寝起きで口が回らない。素早く起き上がったせいで、頭もクラクラした。


「まあ……なんて姿なの」

「なんてって」


 カマリに言われ、クッカはベッドの横にある鏡の方を向いた。


 ライオンのような寝癖。腫れた目。口周りの涎の痕。


「なんて姿」


 と、自分でも言ってしまうほど。一先ず手櫛で寝癖を落ち着かせながらカマリを睨む。


「あなたが突然入ってくるから。声をかけてくれたら身だしなみを整える時間がなかったのよ」

「何度も呼んだし、声もかけたわよ。本当にこんな時間まで寝てるとは思わなかったわ」

「こんな時間って……。え、今何時」

「十四時。ヴァロー君来てるよ」

「えええ。どうして起こしてくれないのよ」

「だから何度も声掛けたってば!」


 転げ落ちそうになりながらクッカはベッドから降りる。そして瞬時に着替え、カマリに髪を整えてもらった。化粧もしたいところであったが、カマリが「化粧くらいしなくても綺麗だから大丈夫」と言うし、これ以上ヴァローを待たせるわけにはいかなかった。


「行ってきます!」


 と、出ようとすると、部屋に入ろうとしたミエスとぶつかりそうになってしまった。


「あ、ごめん! 急いでるんだ!」

「待ってクッカ。これ持って行って」


 ミエスはすぐに去ろうとするクッカを引き留め、持ってきたバスケットを無理やり彼女に持たせる。クッカが中身について目で問うと、


「バゲットを二つ。それとピーナッツバター。今日のお昼に」


 と、優しい声で答えた。


「まあ、ありがとう! 美味しくいただくわ! 行ってきます!」

「行ってらっしゃい! 気をつけて!」


 廊下を走り去っていくクッカの後ろ姿に向かって手を振る。彼女が角を曲がり、姿が見えなくなるとカマリとミエスは目を見合わせて微笑んだ。


 門から出ると、いつもの服装のヴァローが待っていた。クッカは急いだせいで前髪が乱れてないかと、手で直しながら彼の前に出た。


「ごめん、お待たせ」

「ううん、全然待ってないよ。あれ、目、大丈夫?」

「目?」 


 初めは何のことかと思ったが、すぐに思い至る。今朝も鏡で見た腫れた目。変に泣くのを我慢してしまったせいだ。


「何かあったんなら話聞くよ」


 良くも悪くもヴァローはこのような細かいところにすぐ気が付く。彼の好きなところの一つだ。


「……うん、ありがとう」

「とりあえず行こうか」

「そうだね」


 街の大通りを抜け、森へと通じる丘を登る。空を見上げると黒く大きな雲が数を増やしており、太陽が見え隠れしていた。風も先ほどに比べて冷たくなったように感じる。


「あまり長居はできないかもしれないね」


 それでも大丈夫かい? と尋ねるヴァローに対し、クッカは一度だけ頷いた。


 再び歩き始め、森の奥へと進んでいく。次第に鳥の声や川のせせらぎの音が大きくなっていた。少し道を外れ、草木を掻き分けながら歩くと川原に出た。


 ヴァローがそこに腰を下ろし、クッカも横に座った。


「これ、良かったら」


 クッカがバスケットの蓋を開けて中を見せると、ヴァローは目を輝かせながら喜んだ。


「美味しそうなバゲットだね! もらっていいのかい」

「ええ。二人でお昼に、と頂いたの」

「ピーナッツバターまで。最高じゃないか」


 クッカはバゲットにナイフで切り込みを入れると、そこにピーナッツバターを丁寧に塗り込む。それをヴァローに渡した。


「ありがとう。とっても美味しいや」


 クッカも同様に自分の分を用意し、一口齧る。クッカにとってはいつものピーナッツバタ―サンドだった。


 ヴァローはもう二口ほど食べると、弓を取り出して手入れを始めた。実際に矢を当てながら、弦の張り具合などを確かめる。


 ヴァローが喋らなくなったので、クッカも黙々とパンを食べ続ける。元々ヴァローはお喋りではない内気な性格だが、話せばちゃんとお喋りをするタイプだ。きっと彼なりにクッカを気遣ってくれているのだろう。


 城暮らしのクッカは友達が少ない。カマリもミエスも親友同然の仲だが、侍女であることに違いはない。そのようなクッカにとって、ヴァローは真の友人とも言えた。


 彼になら、話しても良いかもしれない。


 悩み終えた頃にはどちらもパンを食べてしまっており、クッカはようやく口を開いた。


「私、昨日お見合いをしたの」

「え?」


 素っ頓狂な声と共に、ヴァローはうっかり矢を張った弦から離してしまった。彼の手を離れた矢は思いもよらぬ方向に飛んでいき、付近の木の枝に直撃。激しい音を立てて折れた枝は下に落ちてしまった。


「あ、ごめんなさい! 大丈夫?」

「僕は大丈夫、木の枝が折れちゃったけど」

「ヴァローに怪我がないならよかった」

「うん、僕は大丈夫。それでなだって? お見合いだって?」


 彼の身に問題はなく、話を続けようとしていた。まるでクッカの話が気になって仕方がないようだったので、クッカも話を再開した。


「そう、セウラーバの男の人だった。私が政略結婚なんじゃないかって問い詰めたら、やっぱりそうだった。相手の方、怒って帰っちゃって。お父様もメッツア復興の機会を私が壊したってカンカンに怒ってる」


 その説明に、ヴァローはどこか安心した様子だった。


「あ、断ったのか良かった……じゃなくて、それは随分とやらかしてしまったね」

「お父様や相手のクイットさんには酷いことをしたけど、そのくらいしてやらなくっちゃ! 娘を大切にしてくれてなかったことは許せない」

「クッカのお父さん嫌いは相変わらずだね」


 ヴァローは苦笑いをするが、クッカは思わず熱が入り立ち上がると、川に向かって叫んだ。


「本当に大嫌い! 王という絶対的権力に自惚れてるのよ。実の話、国民からの支持率はイマイチなのよ?」

「まあ、実の娘の前で言うのも何だけど、確かにあまりいい話は聞かないね。昔から僕たち平民は森を開発したいなんて考えていないのに」

「でしょう! お父様はいつも人の意見を聞こうとしない。お母様の声なんていつも無視。あんな人に尽くす必要なかったのに。ああ! ヴァローが王様だったらなあ」

「僕が国王だなんて夢でも無理だよ。それならクッカが女王になる方が現実的だ」


 ヴァローの言っていることがわからず、クッカはきょとんと首を傾げた。


「どういうこと?」

「君はこのメッツアの街を救ったんだから。森の女王みたいにね」

「やっぱり、よくわからないわ。もう少し丁寧に説明してくれる?」

「隣においで」


 と、ヴァローが自分の隣に座るようクッカを促す。


「伝説と同じようにメッツアとセウラーバが手を組もうとしてたんだろ。もしそのまま上手くいってしまえば本当にこの森が開拓されたかもしれない。だけど君の行動がその未来を壊した。僕はこの森が大好きだから、君に感謝したいくらいだ」

「励ましてくれてるのね」

「励ましじゃない。僕の本心さ」


 優しく微笑むヴァローの姿に、クッカはなんだか照れ臭くなった。それを誤魔化そうと、彼を茶化してみる。


「そうやって色んな女の子を落とてきたんでしょ」

「まさか! 僕は全くモテたことないぜ? こんな身分だしね」

「良い人に身分なんて関係ないわ。あなたは立派よ。街の人だってヴァローほどの好青年はいないって言ってる」


 茶化そうという気持ちがあったとはいえ、本心から出た言葉だった。その真剣さはヴァローにも伝わったのだろう。彼も照れながら、クッカから目を逸らす。


「冗談やめろよ」


 視線を向けた先の空は、前よりも暗くなっていた。そして少しずつ白い粒がこちらに落ちてきているのが見えた。


「あ、降り出してきたな。帰らなくちゃ」

「ごめんなさい、私が話したせいで収穫がなくて」

「君の話を聞けたことが一番の収穫だよ。さ、本降りになる前に帰ろう」


 ヴァローは立ち上がると、クッカに手を差し出す。クッカもその手を掴み、腰を上げた。


 突如、冷たい風が二人に吹き付ける。そしてこの一瞬で雪も勢いを増した。ものの数秒で一寸先が見えなくなるほどになり、一歩も進めないような風に変わる。


 その吹雪の中から小さな二つの影が現れた。


「きゃあっ!」

「なんだ!」


 二人にぶつかってくる影。更に身動きが取れなくなる。一体何が起きているのかわからなかった。

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