第15話 美味しくない

 支度が終わり食卓に着く。クッカの隣にはマーが座っていた。そこにラーハが背の高い青年を連れてやって来た。


「クイットさんがお見えになったぞ。クイットさん、娘のクッカだ」

「クッカです」


 クッカは腰を上げ、丁寧にお辞儀をする。興味がないとは言え、礼儀は別だ。


「初めましてクッカさん。セウラーバの外務大臣をしております、クイット・ラスキートと申します。お目にかかれて光栄です。いやあ、お話に聞いていた通り美しいですね」

「それは、どうも……」


 いかにも好青年という風貌。顔も所謂イケメンに分類される方だろう。しかしクッカは、自分を褒めた時の表情に気持ち悪さを覚えた。


「そちらの方は?」


 クイットがクッカの隣に目をやる。するとマーは座ったまま、軽く手を上げて答えた。


「ただの母親代わりだ。気にしなくていいよ」

「ああ……気にしなくていい」


 ラーハも彼女が同席することが気に食わない様子だったが、来客の前なので簡単に済ませた。


「さあ、立ち話もなんだ。早速食事にしよう。クイット君もこちらへ」


 クッカの目の前の席にクイットは腰をかけ、その隣にラーハが座る。するとすぐに食事が運ばれてきた。


 湯気が上がるメッツァ風ロールキャベツに、クイットはわざとらしいくらい目を輝かせる。


「美味しそうですね!」

「腕によりをかけてお作りしたメッツア料理のカーリカーリュレートでございます。今朝収穫したものを使っているのですよ。森の土を使って育てたものです。ごゆっくり召し上がってください」


 侍女の丁寧な説明に、


「説明は良い。飯が冷めてしまうだろう。早く下がれ」


 と、ラーハは彼女を下げさせた。クッカは心の中で、「前は冷めてても良いと言ってたのに。勝手な奴」と悪態を吐いた。


「さて、乾杯といこう。グラスを」


 ラーハの音頭に合わせて一同もグラスを持つ。


「乾杯」


 一口飲んだクイットは、またもや大袈裟な抑揚をつけて感想を述べた。


「美味しいお酒ですね」

「メッツアの特産品のヴィーナだよ」


 何故か得意気なラーハ。クイットは彼に相槌を打つと、続けてクッカに会話を投げかけた。


「そうなんですね。クッカさん、毎日こんなに美味しいものをいただけるなんて素敵ですね」「私はあまり飲まないです。お酒苦手なので」

「あ、そう、そうなんですね。クッカさんは今おいくつ何ですか?」

「18です」

「お若い! 僕は今年で22になります」

「そうですか」

「ええ……。……あ、クッカさんは普段何をされてるんですか?」

「舞台の稽古です」

「演劇をされてるんですね」


 あまりに会話をする気がないクッカを見兼ねてか、ラーハが割り込んでくる。


「クッカは小さい頃から街の劇団に所属しているんだ。どうしてもというから、語り手ならばと許したんだ」

「語り手か! 僕も舞台でクッカさんの素敵な声を聞いてみたいです。次の公演はいつですか」

「今週末です」

「クリスマフェスティバルの日だ! 楽しみです」


 猫の皮を被り続けるクイットを前に、マーが手を止め高い笑い声を上げる。思わず君が悪くなるほどで、さすがのクイットも少し表情を曇らせた。


「ひっひっひっ。演目はメッツアの伝説『森の女王』じゃぞ。私の娘の話じゃ。おたくのセウラーバを悪役に仕立て上げた童話じゃが。それでも楽しみか」

「マーお婆様、また娘の話とか言ってる。あれは伝説よ?」

「伝説なものか! 私はしっかりとあの時のことを覚えてる。コルヴィキーも言っておった。ヴィヒレアは森にいたと」

「わかったから」


 垂れ下がった瞼を上げ、目を見開くマーをクッカが宥めるが、そこにラーハまでもが入ってきた。


「コルヴィキーも親父も大した男ではない。見間違い勘違いに決まってる」

「どういうことですか?」


 このメッツァの歴史に残る事件の核心に触れようとするクイットだったが、


「気にする必要はない。『森の女王』も期待しなくていい。所詮は歴史を曲解したくだらん作り話だ」


 と、ラーハは雑にあしらった。


「えー、気になります」


 それでも食い下がらないクイットに対し、次はクッカが手に持っていたフォークとナイフを置いた。落ち着いた、低い声でクッカは話し始める。


「かつてメッツアはここら一帯で一番の経済大国として栄えていた」

「クッカやめないか」


 ラーハが悪い予感を察知し、すぐに止めに入るもクッカは当然のように聞かない。


「だけど当時、あなたの国セウラーバが機械産業で発展してきていた。キヴィパ元国王はそのセウラーバのラッタ社と協定を結び、利益を二人占めしようとした。そしてメッツアの更なる発展を求め、森を半分焼こうとした。森の女王・ヴィヒレアはそんな実の父である国王を刺殺して、森を守った」

「そのヴィヒレアが私の娘じゃ」

「だから違うでしょってマーお婆様」


 クッカを遮り、叫ぶマー。口から飛んだカーリカーリュレートの食べかすがラーハの皿に着地する。それがラーハの怒りの琴線に触れたようだった。


「お前たちいい加減にしろよ」


 席を立ち上がり、ラーハはマーに詰め寄る。


「適当を言ってもらっては困る。大事な食事の場なんだ。血縁者でもないあなたを、国王として、仕方がなく、今でも城で面倒を見ていることを忘れるなよ」


 クイットに聞こえないほどの大きさで。されど震える声と真っ赤な顔。かなりの怒りなのは一目瞭然だった。しかし、肝の座ったマーにとって、それは脅しにはならない。


「ああわかっているよ。行き場のなくなった私を気遣ってくれた、あんたのおじさんへの恩は忘れない。立場上私を捨てられないあんたにもちゃんと感謝してるさ」

「その感謝を行動で示しせると上出来なんだがな」


 そう吐き捨てると、ラーハは咳払いをして席に戻る。


「あなた、セウラーバの方なんですよね」


 流れを変えようと、クッカはクイットに尋ねた。ラーハもクッカの発言を良い流れに変えるチャンスにしようと。声色を変えて答えた。


「そうだ。クイット君は現在のセウラーバの大統領の長男さんだ」

「余計に怪しいわね」


 クッカの一言にクイットとラーハの眉がぴくりと跳ねる。


「何がです?」

「経済力2位のメッツアの心臓に潜り込んで、セウラーバの利益に繋げようとしてるではないですか? かつてのメッツアと逆の立場で。そしてお父様がそれをわかっていながら、あわよくばメッツアを一位に復興させようとしている。違うかしら」

「クッカ! お客様に向かって何を言っている!」


 我慢の限界だ、とラーハは机を力強く叩き立ち上がる。しかしスイッチの入ったクッカももう止められなかった。


「お父様は黙ってて。私は今クイットさんに訊いているの。私との結婚は政治のため? 私はそんな結婚は望まない」

「……はあ。……僕、もう帰ります」


 クッカの口を物理的に封じようとしたラーハだが、クイットのその発言に慌てて彼の横へと戻った。


「クイット君! 待ちたまえ!」


 ラーハの制止も聞かず、クイットは食事を残したまま食堂を出ようとしていた。クッカとしても、ここで帰らせるわけにはいかなかった。彼の目的をはっきりさせる必要があった。


「図星ですか。言い訳できないから帰るんですか!」

「こっちはへりくだっているのに、なんて娘だ! 結婚なんて僕から願い下げだね!」


 クイットは力強くクッカの額に人差し指を突きつける。先ほどまで出していた誠実さの面影は全くない。あまりの変貌にクッカも拍子抜けし、返す言葉も思いつかないほどだった。


「クイット君! 待て! 金ならあるぞ。いくら払えばいい?」

「いくらあっても嫌だね!」


 ラーハに腕を掴まれても、力強く振り払い、彼は食堂を去った。


 静かになった食堂。カーリカーリュレートは既に冷め切っていた。


「クソ……私が持ちかけなければ嫁の貰い手もない男のくせに! クッカお前も何てことを!」

「私はあんな男と結婚なんてしたくない」


 怒りの矛先は再びクッカに向けられる。しかしクッカの燃料もまだ切れてはいなかった。


「私が……、私が苦労して手に入れたメッツア復興の機会を……。どうしてくれるんだ!」

「何がメッツア復興よ……。お父様は一番になることばかり考えてる。国民の声を聞いたことあるの? 今の現状に不満を持っている国民はいないわ」

「議会の人間は不満で一杯だ」

「国民の意思を尊重するのが議会じゃないの? まさか議会の意見を通すのが議会だなんて思っていないわよね? もう、これだから世襲制採用は……」

「議会に従うのが国民だ! お前に政治の何がわかる!」

「お父様こそ餌に使われた私の気持ちなんてわからないでしょう!」

「わかるわからないの話じゃない。お前は王女であることの自覚を持て! 王である私に従え!」


 ラーハが頭よりも高くまで拳を振りかぶる。クッカも反射的に目を瞑った。


 そこで沈黙を貫いていたマーが口を開く。


「やめんか!」


 マーは背もたれに手をかけながら立ち上がり、ラーハに近づく。そして下から彼を睨みつけた。


「そうやって奥さんも失ったんじゃろ。過去を忘れる気か」


 マーのその言葉にラーハは拳をゆっくりと降ろす。それと同時に緊張が解けたクッカは瞳が潤い始めたことに気がついた。


「もう……知らない」


 クッカは涙が溢れる前に、マーとラーハを残して食堂を去った。


 次の料理を運ぼうとしていたカマリとミエスにも出会ったが、構わず自室に向かって走った。


 自室に入るや否やベッドに飛び込み、枕の下に顔を埋める。


 溢れそうになる涙を真剣に堪え、自分に言い聞かせた。


「泣くもんか」


 必死に堪えているうちに疲れてしまったのか、気づけばクッカは深い眠りについていた。

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