第14話 あの男

「そうやってヴィヒレアは自分が神様にかけられた魔法と同じ、永遠の命の魔法を森の動物たちにもかけました。その後、ヴィヒレアは森の女王となり、動物たちとメッツアの森を百年間守り続けているのです……」


 城下町にある大きなホール。そこが今日の稽古場所だった。


 クッカが物語を締め括る台詞を口にすると、劇団の団長が両手を叩いて立ち上がった。


「よし! みんな良い感じに仕上がってきてるぞ。この調子で残りの一カ月も頑張っていこう。今日の稽古はこれでお終いだ」


 お疲れ様でした、と団員が言い合いながら、各々の荷物を片付け出す。その中、クッカと団長はホールの座席最前列に座っていたラーハの元にやってきた。


 団長は恭しく頭を下げると、


「国王陛下、仕上がりはいかがでしたでしょうか」


 と、今日の稽古の様子について尋ねた。それに対しラーハは顔色も変えず、彼に目線すら合わさずに答えた。


「脚本は祭典の舞台に相応しいとは到底思えない。しかし皆の演技力は認めざるを得ないようだ。特に我が娘の出来は最高だ」

「ああ……ありがとう、お父様」

「ええ、本当に。クッカ王女の演技力はメッツァ一と言っても過言ではありません。それはもう、語り部などという役ではもったいないように」


 団長とクッカが目を合わせる。


「もしも国王がお望みなら、今からもクッカ王女を主演に……」

「結構だ」


 団長が言い終える前にラーハはそれを遮った。


「しかし陛下、」

「クッカを役者にする必要はない。クッカ、お前も語り部ならば良かろうという条件で劇団に入団させてやったのだ。これ以上の我儘は受け入れられない」

「わかってるわ。お父様のことだからそう言うだろうと思ってた」


 クッカはそう吐き捨てると、ラーハに背を向けて自分の荷物をまとめ始めた。その背中に団長は、


「クッカ王女、良いのですか」


 と投げかける。クッカは一度溜め息をついてから答えた。


「今更変わるなんて主演の子にも迷惑よ」


 ホールを後にすると、ラーハとクッカは侍女と共に馬車に乗り込んだ。城へ戻るまでおよそ二十分。その時間でさえも、クッカは狭い車内にラーハといるのが苦痛だった。


 静かな車内でラーハが口を開いた。


「お前に役者をさせない理由は何度も説明したはずだ。王女たる人間が怪我をすれば大変だ。語り部ならばその心配は不要だからだと。くだらない森の魔女の話だからという理由ではない」

「魔女じゃなくて「女王」。「森の女王」よ。大事な娘が出演する劇の題名くらい間違えないでちょうだい」

「魔法だなんて馬鹿馬鹿しい。父上にお前まで。戯言を言うでない。魔法など存在する訳ないだろう。父上は落馬して頭を強く打ったのだ。魔女と化したヴィヒレアと会敵など、誰も信じまいと言うのに。あれでは誰も彼を慕わん」

「だから殺したの?」


 クッカのその発言に、車内の空気が凍った。クッカに付く若い侍女はあまりの冷たさに目を瞑り、無心になろうと試みていた。


「あれは老衰だ。医者もそう言っていたろう」


 ラーハは頭を抱えながら車窓から外を眺めた。


「あの魔女は我が国の発展を遅らせた大犯罪人だ。それ以降もコルヴィキー、テホア、まともなリーダーは現れず。今やここら一体のトップは隣のセウラーバ共和国だ」

「お父様が国王として、メッツアをかつての姿に返り咲かせてあげたい気持ちはよくわかるわ。でも美味しい森の幸のおかげで、古き良き都という揺るぎない座を築いているじゃない」

「古き良きだなんて諦めの言葉だよ。時代に置いてきぼりになることの言い訳だ。私がこの国を再び経済大国へ導いてやるのさ」

「あら、何か策が?」


 と、クッカはラーハを試すように窓に反射する彼の顔を見た。するとラーハは「おや」とクッカの方に向き直る。


「お前が気が付いていないとはな。今夜の会食が大いなる第一歩ではないか」

「会食?」


 そのクッカの表情を見て、侍女は違和感の正体に気づいた。


「マーに伝えるよう頼んであったのだが」


 ラーハの視線が侍女へ向く。彼女も「私は悪くないです」と言いたげな表情だった。


「マー侍女長のことです。おそらく伝え忘れているのかと」

「どういうこと?」


 クッカが侍女に尋ねても、彼女はラーハの様子を伺うだけだった。今にも怒鳴り声を上げそうなラーハだったが、マーにさすがに呆れたのか、これでもかという溜め息をついてから口を開いた。


「今夜お前の結婚相手を家に招く。クリスマスフェスティバルの時には国民の皆様に入籍の発表をしたい」

「何ですって? 私、まだ結婚する気なんてない!」

「クッカ、お前はもう18なんだぞ。遅すぎるくらいだ」

「でも見ず知らずの方と結婚するなんて」

「見ず知らずじゃなくするために今夜会うんだろ。それとも別の結婚相手の当てでもあるのか?」

「それは……」


 言い淀むクッカの肩に手を添える侍女。そうしている内に馬車は城の前へと辿り着いた。ラーハは御者よりも前に自分で扉を開けると、


「とにかく今夜だ。準備しておけよ」


 と、吐き捨てて降りて行った。


「まあ、ほら。意外と会ってみたらすごく良い人って可能性もあるかもしれないし……」


 侍女が慰めても、クッカは動かなかった。他に想う人がいるからか。ラーハの言いなりになるのが嫌だからか。彼女の側近であるからこそ、侍女にはどちらも理由に含まれているとわかっていた。


「クッカ……」


 かける言葉がわからず、侍女は先に馬車を降りる。馬車の前で彼女が腰を上げるのを待っていると、


「あれ、クッカ?」


 と、聞き馴染みのある声が聞こえた。それと同時にクッカの顔も明るくなった。


 鹿の革のベスト。つぎはぎだらけのブーツ。汚れた緑のマフラーに、ボロボロのハット。背中には矢筒と木製の弓を持つ。彼はクッカの一つ上の青年・ヴァローだった。


「カマリも、こんにちは」


 ヴァローは礼儀正しく、侍女にも挨拶をする。彼が来たことで、クッカもようやく馬車から降りた。


「ヴァロー……」

「どうしたの、浮かない顔して」

「実は……いや、ううん! 何でもない! ヴァローこそこんな所でどうしたの?」

「僕はこれから狩りに行くんだ。親父の付き添いでね。お前もいい加減一人前になれだってさ」

「ヴァローも大変ね。でもいいなあ。森に行けるのよね」

「まあね。不幸中の幸いってやつ。そうだ! 今度一緒に森へ行こうよ!」

「本当に? 明日はどう?」


 クッカが侍女のカマリに目をやった。


「城の人たちには上手く行っておくわ。二人で行っておいで」


 カマリのその答えに、ヴァローは拳を力強く握った。


「やったね。じゃあ明日だ。昼過ぎに君をこの場所へ迎えに来る」

「嬉しい! 約束よ!」

「ああ、約束だ」


 クッカとヴァローの指切りを、カマリは優しく見守る。

しわがれた声で誰かが「ヴァロー」と彼の名前を呼んだ。


「親父が呼んでる。行かなくちゃ。また明日ね」

「ええ、また明日!」


 馬車を離れ、大通りを駆けていくヴァロー。


 クッカはヴァローの背中が見えなくなるまで手を振り続けていた。






 窓から夕陽が差し込み始める頃。会食に向けて、クッカの準備も始まっていた。


 自室の鏡に映る、いつもより少しだけ派手な色をしたドレス。クッカはそれが似合っていないと思っていた。


「痛い! カマリ、強く結び過ぎだわ!」


 腰紐を縛るカマリは「そういうドレスなの」と、彼女を嗜める。


「本人の着心地が良くなきゃ。クッカの魅力が出ないわ」


 クッカに仕えるもう一人の侍女・ミエスは、クッカの化粧をしながら呟いた。カマリはそれに対しても「本人にその気がないんだから、構わないわ」と続けた。


「それもそうね」


 と、クッカもドレスについて考えないことにした。


 カマリとミエスはクッカよりも二つだけ歳が上の双子の侍女だ。ヴァンリの死後、クッカの付き人にするためラーハが連れて来たのだ。


 ラーハが選んだにしては良い人たちだとクッカは思っていた。歳が近いおかげですぐに打ち解けることが出来たし、どちらも頼りがいがある。城で過ごす時間が多いクッカにとっては数少ない親友でもある。そのせいか、クッカは二人に敬語を使わないようお願いしていた。


 部屋の扉が叩かれると、返事をする前に扉は開いた。腰を九十度近く曲げたマーが顔を出す。彼女はもう百歳を超えているが、侍女長として城で働いているのだ。


「もうすぐお相手の方がいらっしゃるわ。準備なさい」

「はあい」


 クッカの気の抜けた返事に、カマリもミエスも思わず苦笑いをした。


「あまりにやる気がなさすぎないかしら」

「私、明日に元気を残しておかなくちゃいけないから」

「明日って?」


 事情を知らないミエスはクッカに尋ねる。しかし答えたのはカマリだった。


「愛しのヴァロー君と森デート」

「違う。そんなじゃないって。彼は友達」

「へー。ふーん」


 ミエスの含みのある相槌に、クッカはより強く「違うんだってば」と抵抗するも、


「ちょっと化粧してる時に暴れないで」


 と二人から押さえつけられてしまった。

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